フィロソフィーのダンスの参考文献(最終更新20190526)


フィロソフィーのダンスはその名前にフィロソフィー(哲学)と入っているとおり、明確に全曲が哲学をバックグラウンドにしている。これは、なんども色々なところでいっているように歌詞が哲学的に(いいかえるならば過度に思弁的に)書かれているわけではない。もう少し端的に「哲学」と称されるような一連の思想的な流れや、それに関連するテキストをベースにしているということだ。

ところで哲学もしくはそれを含む人文科学のマナーとして、参考文献をあげないというのはルール違反のようにも思える。もちろん、作詞は純粋に創作的な行為であって、実際直接的な引用箇所がない以上、ぜったいにそれらをあげる必要があるわけではない。そもそも、具体的にこれとこれとこのテキストから考えた、ということが明確に示せるわけでもない。ただ、ある程度それらをかいていたときに念頭のおかれた代表的なテキストをあげることはできるように思える。

以下にそのテキストをあげたが、もちろんこれをみると哲学とはいえ東洋哲学に関する文献がまったく入っていないことなどは明らかである。このように、意図的に、あるいは無意識に特定の分野のテキストがまったくないこともありえる。これは、その分野を前提にしていないということでは必ずしももない。私自身の興味の対象、あるいは研究の対象が西洋哲学に大いにかたむていることは事実だが、それ以外の哲学的な研究を軽んじているということではなく、あくまでもまだ取り上げていない、あるいはまだ扱いきれない、というだけにすぎない。(もっというと、フランス語がぜんぜん読めないこともわかる笑)

ひとまずはリストだけなのだが、
時間ができたら、テキストの内容と歌詞との関連性についても書きくわえたい。(慣例にしたがって『』では書籍、「」で論文、また””で原題の論文のタイトルをのせます)。ほかにも関連するテキストはたくさんが、できるだけ邦訳があるものを選んだ。

また下記の分類は便宜上のものではあるが、一応哲学(特に西洋哲学)の歴史を語るときに一般的に使われるようなものを参考にした。(もちろん微妙に分類にあってないものもある)

古代・ギリシア
プラトン『饗宴』
キケロ『善と悪の究極について』

中世・スコラ
アウグスティヌス『告白』
トマスアクィナス『対異教徒大全』

近代

ヒューム『人間本性論』

カント『純粋理性批判』

ミル『自由論』
ニーチェ『偶像の黄昏』『悦ばしき知識』

現象学
フッサール『内的時間意識の現象学』『イデーン』
ハイデガー『存在と時間』

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』

フランス・現代
ベルグソン『物質と記憶』(プルースト『失われた時を求めて』)
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』『野生の思考』
フーコー『性の歴史』『言説の領界』

分析哲学
ラッセル ”On Denoting” 『数学の原理』(Principles of Mathematics)『神秘主義と論理』
マクタガード「時間の非実在性」
クワイン「経験主義の二つのドグマ」
チャーマーズ『意識する心』
クーン『科学革命の構造』
クリプキ『名指しと必然性』
チャーマーズ『意識する心』
ネーゲル「コウモリであるとはどのようなことか」
ルイス『世界の複数性について』

その他テーマとなった哲学の話題

ライプニッツ・クラーク論争

普遍論争
オッカムの剃刀


好きな曲のテーマになったのがどれか、というのが気になる方は個別に聞いてもらえれば答えます

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