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未来の歌詞をかいている

どうしても、4月というのは元旦とは違った意味で新しい年のはじまりだと思ってしまう。
 きっとこれはよほどのことがない限り、ずっと自分の中で変わらないだろう。
 卒業式とか入学式とか、就職とか、たしかにそんなわかりやすい節目がある。
 だから何かたとえば春の歌詞といえば、出会いとか別れとかをかかなければいけないというような気がしてしまう。ところがそもそも、四季があるということ自体が当たり前のことではないし、日本語圏以外の歌をみたら春をそのような季節としてとらえなければいけない必然性がないことはすぐわかる。別にそんな曲を作らなければいけない理由はないのだ。


 だいたい、いつも春の中で、春の曲をつくっているわけでもない。春にリリースする曲は、秋とか冬につくっているのが普通だ。
 未来の曲を作っている。
 
 でも、その未来は当たり前にくるわけではなかった。


 この曲が聞かれる時、きっとこんな世界になっているだろう、とそう思って曲をつくることが、必ずしも当たり前のことではなくなってしまった。
 今、この瞬間だけを切り取る、そんな作り方ももちろんできるのだけれど、
 今この瞬間に、何かをいうために、未来の曲をつくっていたということはずっと真実だったと思う。
 
 ああそうか、春を迎えたいから、春の曲をつくって、待っていたんだろう。
 同じことだとしたら、恋をしたいから、恋の曲をつくって、恋をまっている。

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