「のび太の結婚前夜」の一言
声優の小原乃梨子さんが先日亡くなられたというニュースを受けて、ふと氏が長年演じられていたドラえもんののび太の言葉の中から、たった一言のセリフなのだけど今でも忘れられないワンシーンを思い出した。
それは劇場版(大山版ドラえもん)の「のび太の結婚前夜」での一言。
この作品は原作でも屈指の名作で、アニメ、映画ともに複数回映像化されている。
ストーリーをまとめれば、
のび太とドラえもんが未来の自分の結婚式(のび太としずかちゃんの結婚式)をタイムマシンを使って見に行くが、間違って前日に着いてしまう。
大人ののび太は前日に間違って結婚式場に行くなど相変わらずの様子ではあるが、ジャイアンやスネ夫、出来杉など旧友たちとハングオーバー(という言葉は同時はないと思うが、要は独身最後の飲み会)を楽しんでいる。
一方で自宅で家族とお別れパーティーをしたしずかちゃんは結婚することで残していくことになる自分の父を思い、「結婚するのをやめる」とも言い出す。そんなしずかちゃんを、しずかちゃん父が素晴らしい言葉で送り出す(未視聴の方はぜひ見てください。このシーンが一般にこの話のハイライトです)。過去から来たドラえもんとのび太はそれを陰から見ている。
というような感じ。
リメイクも含めて、これらの基本的なストーリーはどれも変わらないのだけど、上記の大山版「のび太の結婚前夜」ではいくつか追加されたシーンがあった。
その中でも、最も印象的なのが、未来ののび太(大人のび太)が結婚前夜の飲み会からの帰り道に一人で歩いているところで「先生」に出会い少し会話する。(このシーン、過去ののび太とドラえもんはしずかちゃんの家の方に行っており、こののび太を見ている人物は劇中には誰もおらず視聴者のみである)
この先生は例の子供自体の担任の先生でもちろんドラえもんの視聴者にはお馴染みの人物。そこで、明日のスピーチを先生にお願いしている話などをして、二人は別れる。
再び一人になったのび太が、夜空を見上げて一言だけ独り言を言うのである。
「ドラえもん」と。
言うまでもないことではあるのだろうが、未来ののび太たちの世界ではドラえもんの姿はない。普通に考えれば、過去のどこかの時点でドラえもんは未来に帰ってしまったと考えられるだろう。
ところで、それにしても、未来ののび太たちの会話の中にはまったくドラえもんの話題が現れないのだ。それこそ、この友人達が集まったらドラえもんのことを話題にしても良さそうなものだが、少なくともこののび太の一言までのシーンではドラえもんという存在はほとんどなくても成立しうるほどのものとなっている。
ドラえもんとのび太が過去から来ているという点を除けばこの「結婚前夜」には未来的(あるいはSF的、非現実的)要素は何もない。(唯一、実は日中にちょっとした小冒険のシーンがあるのだが、そこでジャイアンが「あの頃のように楽しかった」というセリフを発する場面がある。これは当時これが大長編との同時上映だったことを考えても中々洒脱なセリフだが)。ドラえもんというSF的存在が入り込む余地は、(少なくとも未来視点の人物たちから見たら)ないのである。
僕は最初にこの映画を見た時、もしかしたらドラえもんは未来に帰る時にみんなの記憶から消えてしまう、というような存在なのではないかと想像した。
SF作品では時折ある設定で、未来のものが過去に過度の影響を与えないために、その時代に存在した記録や記憶を消すというような設定である。そう考えればみんながドラえもんについて語らないことも、理解できる。しかしのび太だけにはなんらかの記憶として残っていたのだろう。
もちろん、そこまで物語をややこしく読み取る必要はないし、ドラえもんは未来に帰った後もしょちゅう会いに来てるからあえて話題に出すほどでもないということなのかもしれない。
しかし、
この映画に追加されたたった一言の「ドラえもん」というセリフだけで、もしかしたら存在し得たかもしれないこうしたストーリーが想像できるというのは、やはりアニメ作品の奥行きと言えるのではないだろうか。
小原さんのご冥福を祈ると共に、またこの名作を多くの人がどこかで見る機会があればと願っています。
*今回、作品を再度見ることなく記憶に頼って文章を書いていますので、細かいところで事実と違う内容があるかもしれません。が、僕の記憶にはそのように残っていたということで、今回はあえて確認することなく書いています。