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タイトルという作品、そして作詞

iTunes/Apple musicで、アルバム内の「タイトル」の表記を一言語に統一しなければいけなくなる、大文字小文字を区別できなくなる、といった情報がまわってきた。
本当にそうなるとすれば、データの処理などの理由なのだろうが、まあこれはなかなかとんでもないことだ。
(そもそもなことをいえば日本語、といわれている言葉も「漢字」とか「カタカナ」みたいな別言語由来のものが混在しているわけで、まったく統一できてない。あともっというとiTunesって名前はどうなんだ)


曲を作る人のなかで、作曲者と作詞者は基本的に同等の権利を持っているように思う。
例えば、印税の配分は基本的に同じ。並列に表記される。もちろん仕事内容は結構違うのだけれど、同じひとつの曲を作り上げるという意味ではかなり近い仕事をしている。

ところが(これは前にも書いたことでもあるのだけれど)
現代における楽曲の重要な要素の一つで、基本的には作曲家にはなく作詞家に委ねられている部分がある。それは
「タイトル」をつけるということだ。

実は昔はタイトルは作詞家がつけていたわけではなかったが、今ではタイトルを作詞家がつけている、少なくとも作詞家のつくったものからそのアイデアが始まっているというものがほとんどだろうと思う。

なぜか、といえばタイトルは基本的に歌詞の内容と関係しているからだ。

そして、これも繰り返しかいているように
今、どのようなタイトルをつけるかということは、音楽を発信する場においては非常に重要になる。

Youtube、サブスクリプション、それにおいてまず私たちが見られる情報は、ジャケットやサムネイルの一枚絵、アーティスト名、そしてタイトルだ。逆にシャッフルなどできいていて、いい曲だなとおもってまず確認するのもタイトル。これは別に楽曲に限らないが、名前というのはそれらのものを語る際に、かならず中心になる存在であるといえる。

だから、作詞をする人間にとって、もちろんタイトルをつけることができるというのは、特権であると同時に非常に重要な責任である。
もちろん、作品としてのクオリティにも関わってくる。言葉をつかって作品をつくる人間として、ひとつひとつの表記に(タイトルに限らず歌詞本文もすべてだけれど)すべて意味があるものをつくっている。

であれば、少なくともこれまでそのように作られたものを、一つの言語に統一したり、大文字小文字を統一したりするのは、作品の改変である。
そもそも、これまでのものを変えるのは面倒くさくないだろうか。

逆に、これからそういったことをしていきたいということであれば、
少なくともそのような方針をとる発信側はもはや「アルバム」という形式を必要としていないのか、という風に逆に捉えて(僕自身もプロデューサとしては、とくにアルバムをつくらなければいけないとは思ってないので)、全曲シングルでリリースしましょうということなのかもしれない。

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ヤマモトショウ

作詞家です。音楽をつくります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「食べる毎日、毎日食べる」では一日一軒食べたお店を紹介します。

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