どうしてみんな数学がいやになってしまうのか
数学がきらい、という人は例えば学校でならうほかの教科にくらべても圧倒的に多いと思う。きらい、というよりも苦手、という人が多いかもしれない。
それは、小学校なのか中学校なのか、高校なのか、どこかのタイミングでちょっとだけ授業かなにかで追いつかなくなってしまった瞬間があってそこから嫌になってしまったり、そんなきっかけがあるのではないかと思う。
実は、
数学が嫌いになってしまうその理由のほとんどは「計算がおそい」ということにあるのではないかと思う。
計算のスピードというのはひとそれぞれで、それが早い人もいれば遅い人もいるし、ある特定の計算ははやい、おそいという人もいるだろう。
実際にはこれはあまり数学の能力とは関係ないように思う。
数学者でも計算が遅い人もいるし、僕らよりよっぽど計算のはやい計算機であっても小学校一年生の文章題すら解くことはできないのだから。
ところが、そんなこととは関係なくどうしても、
数学の能力=計算力
と印象付けられてしまう行事がある。
それはテスト。
テストというのは定着度を測ることもそうだが、それで「評価」をしなければいけないので、必然的にある程度平均点がこのくらい、となるようにつくらなければいけない。全員が100点をとってしまったら、評価がつけられないし、0点でもそうなる。
たとえば社会科だったら、知識の量によって問題のレベルをコントロールすることができる。だから、たとえばできなかったとしても「もう少したくさん覚えておけばできたかも」というように思うだろう。
問題(知識)の分量=得点
というようなある種の定量化(評価を数字におきかえること)ができる。
数学のテストで、このように問題の難易度で点数をコントロールすることは非常に難しい。数学はほとんど前提となる知識がいらないので、それをしっているかしらないか、のような分量でそれを問題を作る側が示すことができないからだ。
だから、点数をコントロールしようとするとどうなるかといえば単純に「計算量」が多くなる。
計算量を増やせば、間違いなくそれにかかる時間は増えるので、自動的に点数をここでコントロールすることができるのだ。
しかし前述したように、計算のはやいおそい自体には個人差がかなりあるし、それは数学の理解とはさほど関係ない。
だから、本来は数学がきらいではない、苦手ではない人でもテストで点がとれなくてきらいになってしまうということが多くなる(テストで点がとれなくて好きになる、という人もいないとはいいきれないが)
大人になってよいな、と思うことのひとつにテストを受けなくてもいいことがあるだろう(もちろん受けてもいいのだけど、それを自分で選ぶことができることがおおい)
だから、テストのことは気にせず数学をやってみることができる。
実は、「数学苦手です!」というような人の中にも、こちらから見るとぜんぜんこの人は数学が苦手になるようなタイプではないのにな、むしろ向いているんじゃないかな、というような人が実は大勢いる。
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先日から楽しく高校くらいからの数学を勉強し直すあつまりをはじめたので、定期的なものになったら、アナウンスしようと思います。
数学、ほんとはもっと勉強してみたかったなというひと、実はよく考えてみたら計算がいやなだけだったな、という人ぜひ。