大切なことはバンドスコアに書いてない -僕がバンドサークルにいた頃 part.1
僕が大学生のとき、バンドサークルでコピーした名曲の数々を、僕のサークル史と共に紹介しようと思う。なぜこのような記事を突然投稿するかといえば、ミュージシャンがよく聞かれる「どんな作品に影響をうけたのか」ということの若干微妙な範囲外に置かれそうで、それでいて意外と今自分の作家としての重要な部分をなしているのではないかと思ったこと(単純に楽器の練習、という意味では一番重要な時期でもある)、そしてふと現在を逃すとまったく思い出せなくなりそうな気がしたからだ。10年前くらいの話なので、記憶はもちろん抜け落ちている。しかし、今の自分からみてもなかなか興味深いデータになっているとも思う。
入学
最初からバンドサークルに入ろうと思っていた。プロのミュージシャンになろうと思っていたわけではない自分にとっては、音楽は「一番楽しい趣味」なので、大学のサークルの時間はそれに費やしたい、というような気持ちだったと思う。
入学してすぐ新歓ライブがある。いくつかのサークルを見に行って、一番適当そうなところを選んだ(練習量が多いらしいところは開口一番「授業なんかいかずにここでいくらでも練習できるよ」と言われたので、「いや、授業行きます」と言って部屋を出た。あの先輩は卒業できただろうか)
新歓ライブは先輩たちがでるもので、僕は演奏したりしないのだけど、入ることになったサークルで先輩がLOUDNESSの「S.D.I」をギターボーカルで演奏していて、それがあまりにも超絶技巧すぎて(歌ってなくてもちゃんと弾ける気がしない)「早弾きは自分にはできない。やめよう」と思ったことを覚えている(結果的にはいくつか流れでやることにはなってしまうのだが)
(LOUDNESSの映像をどの時期を選ぶかは、大学一年生にとっても大いなる思想的問題とは思うが、入学前からXを敬愛し、その流れでLOUDNESSをきいた僕としては沢田泰司在籍時のこの映像を選ばせてもらった)
初ライブ
サークルの同期は十人もいなかった。よくあることなのだが、僕は最初よくギター以外にベースも弾いていた。ベース志望がおらずベースを持っていたのが僕くらいだったのだ(1万円でかったphotogenicのベース)。とりあえず知らないひと同士なので、先輩に言われるがままに楽器が被らないひとと適当なバンドを組まされる。こう言った場合、どんな曲をやるのかというのもなかなか決まらず、全員の妥協点、あるいは知っている曲の共通部分を探した結果とんでもない曲目になることが多い。(来年の新入生は、もっと人数を増やして趣味が合うひと同士が組めるようにしてあげよう、などとおせっかいなことを考えた気がする)
さて、そこでコピーすることになったのはB'zとOasisだった。
僕がサークルにはいったとき、所謂音楽性というものはサークルに存在せず、強いていうならば洋楽、特にハードロックやメタルを好む人が多かった(部室に新入生が誰でも弾けるように一本だけ置いてあった共用のギターがヌーノベッテンコートモデルだった)。僕が一緒に組んだ仲間(結果的に大学在学中もっとも仲の良い友人になり、かつバンドもオリジナル曲含めて色々とやることになる)はもう少しポップな曲を好みとしてた(じゃあなんでこのサークルに入ったのか、という疑問はもっともだがそれものちにわかることになる)。
そこで、まずOasisということになったらしい。(何を隠そう先輩が決めたのだ)。ギターはひとり初心者ではじめたばかりの人がいたので、なんとか最初の発表(7月を予定していた)に間に合うようにという選曲でもあったらしい。今思えばOasisが初心者でも弾けるというのはまったくよくわからない判断なのだが、たしかにメタルの早弾きに比べれば「物理的には」数ヶ月で到達できそうな気もする。この曲は大好きだったので、僕は特に異論はなかった(ベースを弾いた)
B'z の方も先輩が決めた。せめてもの「ハードロックなもの」ということだったのだろうと思う。しかしB'zの曲ならもっと「メタル、ハードロック然とした曲」はたくさんありそうなのになぜこの曲が選ばれたのかはわからない。あまりそれまで聞いてなかったのだが、結果的にB'zの中で最も好きな曲の一つになったのでこの時演奏できて本当によかった。
録音もないので、出来がどうだったのかわからないが、まあひどいもんだったと思う。僕は当時、チューニングのことすらあまりよくわかってなかったのだ。
さて、初披露もおわったのでいったんこのバンドは解散。基本的にはライブイベントごとにバンドは解散し、また気の合うメンバーや趣味の合うメンバーとバンドを組むことになる。
合宿
不思議なことに、バンドサークルにも夏合宿がある。いや一般的には不思議じゃないかもしれないが、僕のいたサークルにとっては不思議だ。定常的に活動してるバンドがないのだから、合宿で練習しても意味がない。ようはみんなであつまって楽しく過ごしたいだけなのだ。しかしそれだけではということで、合宿ではなんと
くじ引き
でバンドを決めて数日間練習してから発表ということになっていた。パートごとにくじを弾いてバンドを決めるのだ。
さて僕のバンドは黒夢の「Like A Angel」をやることになった。正直に言って、なぜこれをやることになったのかという過程はまったく覚えていない。確率的に言っても、くじ引きバンドの自分以外は上級生なので自分の意見ではなかったように思う。黒夢は好きだったが、この曲は清春さんが歌わないとあまりいい感じにならないのだな、とよくわかった記憶がある。
文化祭
東大の文化祭は5月と11月にある。5月はまだ一年生はほとんどライブに出られないのと、一年生のときは、クラスで模擬店を出さなければいけない決まりがあって、そちらがそれなりに忙しかったためあまりサークルとして文化祭にある程度本格的に出られるのは11月になってからだ。
先輩からここで、ハードロック系のバンドに誘われた。断る理由は何もないので、もちろん承諾する。そういえば、今考えてみると僕はサークルにいた初期「自分から何かしらのコピーバンドをやろう」と言い出したことはなかった。それはたぶんその頃の自分の性格でもあり、また自分の興味のあったバンドのコピーをやりたそうな人がいなかったというどちらの理由もありそうだ。
大学生ならやっておきたいのはこの曲だろう。しらない人はサムネイルをみて、何をやっていると思うだろうか。要はギターソロ(ベースも)をドリルで弾くという曲だ。しかしこの曲をコピーしてみるとわかることだが、生半可なドリルだとピックが弦にあたった瞬間に絡まって飛んでいってしまう。やはり本人たちがつかっているマキタのドリルがもっともいいのだが、大学のサークルのコピーバンドのためだけに高級なマキタの電動ドリルを買うというのも現実的ではない。
しかしさすがに先輩たちも歴代の知識を結集しており、実はドリルではなくより電動歯ブラシを使えば安価なものでもかなりいい感じにこの曲が再現できる、という方法論を編み出していた。
あとはこのあたりの曲をやった。Jet to Jetはイングウェイマルムスティーンが在籍したアルカトラズの有名曲だが、もちろんイングウェイなのでギター意外はなかなか味気ない曲だ。ギターソロのために他の楽器は小節の頭だけうってブレイクしなければならない。最初誘われたときギターだとおもって練習をはじめたらベースだった、ということが何曲かあって拍子抜けした。
部長になった
これも大学の慣習なのだが、3年生から違うキャンパスになることもあって、サークルの運営は1年生の終わりころに代がかわり、2年のおわりくらいまでやることになる。部長になった。といっても別にそう大したことをするわけではない。
このころには同じ代の人たちとも色々と話をするようになっていたが、基本的にはみんなこのサークルのあまり決め事がなく、もちろん上下関係もなく、自由なところが好きで入ってきている(音楽的な理由はあまりない)。その雰囲気は特に変える必要はないだろう。ただ、人数が少ないことでできない曲があることも事実で、そのあたりはなんとかしなければと思ったのも覚えている。
そういえばこの時期アニメタルのコピーをしたのも覚えている。
このあたりは結局はメタリカの練習をすることになる。
この後学年もあがり、僕はだんだんと自分の好きな曲ばかりを演奏するようになってくる。中には当時ほとんど誰も知らなかったインディーバンドも。それがまさかあんなバンドになっていくなんて、そしてあのバンドの人と一緒に曲をつくるようになるなんて。
そんな話は次回part2で