枠を超えたアイドル

例えば、ある個人の資質をさして、何かしら称賛しようと思った時に、

「枠を超えた」

という表現がある。

僕の周辺で言えば、

アイドルに対して「アイドルの枠を超えている」
というのがよく聞かれる(毎日のように枠を超えてる)

これは基本的には褒めようと思っていってるのだから、喜ぶべきこととして受け入れれば良いと思われるかもしれないが、場合によってはあまり嬉しくないようだ。実際に、そんな言説も多い。

たしかに、この表現にはあからさまになっていない形の問題がある。

例えば件の、「アイドル」に関していえば、枠を超えたと表現されている以上そもそもそこには枠が前提されていることになる。

枠があるからこそ、枠を超えているという表現がされるわけだ。

さて、アイドルの枠とは何だろうか。
例えば女性アイドルでいえば、

その定義は

若くて容姿が優れている、人前で歌ったり踊ったりする人

くらいに単純化できれば話は簡単なのかもしれないし、そういった意味であればまあ枠を超えるのは簡単だ。人前で歌ったり踊ったりした後に、しばらく歌うのとか踊るのとかをやめてしまえば、アイドルだったままアイドルの枠を超えられる。

しかしこのような詭弁では看過できない問題がある。実際のところ、

超えられていると思われているその「枠」は何かに対して劣っているものであると考えられている点だ。

「アイドルを超えた表現力」(表現力でなくて、歌唱力でもダンスパフォーマンスでも演奏力でもなんでも構わない)

というとき前提にされているのは、「アイドルは基本的に表現力がそれほど高いものではない」ということだ。

このこと自体はそうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。というか、そもそも表現力などというのものが二者をくらべて「どちらが明らかに高い」とか、あるいはすべてをランクづけできるようなものであるならば、アイドルだろうがなんだろうがどんな世界にも高い人と低い人がいることになる。アイドルという集合に入っているものが、それ以外の集合とくらべて、特別上記のいくつかが低いとするならば、これらは一般に定義の側にはいる問題である。

アイドルの定義に「表現力が低いこと」が含まれているとするならば、そもそも表現力が高い場合はアイドルではなくなってしまうのだから、これはもはや「アイドルを超えたアイドル」ではなく「ただ表現力が高いアイドル以外の何か」ということになる。


いずれにしても、結局ここで言われていることは本来それらのステータスが低いものの中で、多少それが優れている、というような言い方での賞賛の仕方になってしまっているということである。

この「枠を超えた」がいまひとつ褒められた感がないのはそういうところなのだろう。


ただ、実際にはこの「枠を超えている」こと自体は、大いに求められるべきものだと思う。

僕がその場合に「枠」だと思うのは、むしろ「枠だと思っている思い込みそのもの」のことである。

周辺で言えば、アイドルだろうが、バンドだろうが、シンガーだろうが、「こうでなければいけない」という思い込みは信じられないほど蔓延している。あるいは、何かすでに枠のきまったもの、作られた席を奪い合うことが、超えるべき目標だと思い込んでいる。

だから、今名前のついていないものに、他の分野から名前がつけられそうになったときに、あくまでその既存の分野への批評として、「枠を超えている」とそのように表現されるべきなのではないだろうか。





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ヤマモトショウ

作詞家です。音楽をつくります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「食べる毎日、毎日食べる」では一日一軒食べたお店を紹介します。
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