ミュージックビデオと作詞

音楽を聴こう、と思った時いま最もスダンダードな手段のひとつは

Youtubeを開いて、ミュージックビデオ(以下MVと表記)を観ること

だと思う。

非常に重要なことだと思うのだが
これは音楽の作り手である我々にとっても、まさにMVをそのように捉えているのだ。

つまり

MVは音楽のひとつの大きな入り口


ということだ。

おそらく、そもそもの起源としてはMVというのはプロモーションの手段であったと思う。ラジオからテレビ・映像にエンターテインメントの主流が移り変わると共に、そういった媒体でのプロモーションツールが必要になり、それに伴って音楽に付随するものとしてMVが作られることが普通となった。実際少し前まではMVではなくてPV(プロモーションビデオ)というのが普通だったようにも思う。まあこの辺りの歴史的な経緯は他にも多くの研究や記述があるので、そちらに任せるとして、いずれにしても今このMVが音楽を体験する一つの重要なきっかけになっていることは間違いない。
しかし、一方で普通このMVはミュージシャンの「作品」ではない。それはもちろんミュージシャン自身がつくっていることがほとんどない、という意味でもそうだし、ミュージシャンの作品というのは基本的には楽曲そのものだけなのだから、当然当たり前のことだ。

 実際、たしかに最近は、MVが前提にあるようなタイプの楽曲も存在しており、それらは確かに作品といえるかもしれないが、それらはまだまだ企画のひとつといったような域は出ていないといえるだろう(これから、そういった作り方が中心になるアーティストが増えることは大いにありうるし、あってほしいとも思うけれど)

 MVはビデオをつくる人(ビデオディレクター)の作品であり、また作品の宣伝ツールである、という点は多くの部分で未だにゆるぎない土台になっているといえるだろう。

 しかしここでいう作品の宣伝ツールというのは、やや以前とは状況が変わっているように思う。というのも、ビデオが例えばYoutubeを通して基本的にはいつでも見られるようになり、冒頭にもかいたとおりむしろYoutubeできくことこそが音楽をきく第一義的な手段になったからだ。以前はその楽曲のビデオを、その「楽曲」に紐づけてみているのが当たり前だったと思うが、今やライブハウスやあるいはアルバム以上にYoutubeがそのような出会いの場になっているとしたら、MVというのは「作品の宣伝ツール」というよりもむしろ

「アーティストの宣伝ツール」

ということになる。

それは当たり前じゃないか、という人も多いと思うのだけれど、自然にそう思えるならばそれはまったく問題ない。ところがそうなっていないビデオはいまでもたくさんあって、僕自身もそういったものに多く関わってしまったという反省がある。
 

 ところで実際にはそのようなことが起こってしまう原因はなかなか避けがたいものであるといえる。つまり、楽曲に対して一回限りの関係で制作される作品の場合、それがなんであれなかなかその「アーティストそのもの」の宣伝、そしてブランディングであるというような調整は、その作品の制作者(たとえばビデオディレクター)の意図と反してしまう場合があるからだ。というか、普通はそうだろう。

 実は作詞に関しても、似たようなことがいえる。
 同じアーティストに関わり続ける場合は、作詞家がこのような道筋を描きつづけることができる一方で、ある作品にだけ関わる場合はそれがやはりどうしても推測の域をでないのだ。もちろんそのような方法が、「常に関わり続ける」という方法に劣るというわけではない。むしろアーティストイメージがしっかりしているアーティストの場合は、こちらのほうがよい結果をうむ場合がほとんどで、それはやはり創作者としての作詞家(あるいは、作曲家や編曲家、そしてもちろんビデオディレクターやアートディレクターも)がそのアーティストからインスピレーションをうけるということが実際にかなり多くあるからだ。
 

 しかし、そのようなイメージをつくっていく段階においては、やはりその道筋を描きつつ、確認しながらその流れを意識して作品を「残していく」必要がある。今や、Youtubeにせよサブスクリプションサービスにせよ、楽曲はすべて常に視聴可能なものとして残っていく。よって、これらはすべてアーティストのイメージに直結するからだ。

 そして、ここで歌詞はまた

アーティストの進むべき道筋も示すことができる手段

であるともいえる。僕は本質的に

作詞とはプロデュースである

とも考えているが(これについてはいずれまたnoteでもかきたいと思う)、それはひとつにはこういった理由がある。

 もしそのようなマインドを共有できるのだとすれば、実は作詞家とMVの制作者はもっとコミュニケーションをとることが求められることになる。だって、目的が同じなんだから。(もちろん、これは作詞家に止まらない話なのだけれど)。もちろん、書いたものから読み取ってくれ、ここに全部書いてる、と作詞家はいうことはできるかもしれない。僕も、そう思わないわけではないのだけど、だからといってコミュニケーションをとることがマイナスになることはないだろう。アーティストのイメージを担うことに責任を持つという意味では、このくらいは普通のことだ。

 そういった作品が、いやそれは作品とはいえないのかもしれないけれど、増えていくところをみてみたい。自分たちもそんなものを作りたい。

そして、そのようなことが実現されるために、何度でも楽曲は精査され、アーティストの状況によって同じ曲であってもどんどん新しいMVがでてくるという道は開かれていてよいように思う。

そんな気持ちの前進


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