国民的聞き間違いと歌詞

聞き間違い、というのは日々いたるところで起こっていて、トラブルの原因になったり、あるいは笑いのタネになったりしている。なかには聞き間違いがもとで、その後間違えられたもののほうが定番になってしまっているものもある。

例えば「ワイシャツ」というのは、もともと「ホワイトシャツ」と呼ばれていたものだったが、今では白くないものも含めてすべてワイシャツと呼ばれている。Tシャツという形がもとになっているものもあるのでややこしい。「ミシン」も「Machine」(機械)の聞き違いからだろう、というのが定説だ。

これが歌詞となると、よりそういった聞き間違いが起こる可能性も増えてくる。それは歌になると、特に日本語の歌詞に顕著だが、本来の発音とは違う形で歌として発音されることになることがよくあるからだ。

日本語の歌詞の聞き間違いについて、おそらくもっとも有名かつ面白い例はアニメ「巨人の星」のOP曲「ゆけゆけ飛雄馬」の冒頭部だろう。
この曲は

「思い込んだら」

というフレーズから始まる。
知っている人も多いとは思うが、当時これが多くのひとに「重いコンダラ」だと思われた。
ここまでなら、まあありえなくもない聞き間違いかもしれないが、さらにその謎の単語「コンダラ」が野球部などがグランド整備につかうローラーのことだと勘違いされ、「重いコンダラ」は「グランド整備用の重いローラー」のことであり、むしろそのローラーの正式名称が「コンダラ」であるというような誤解が生まれた。(もちろん、それまでそんな名称はまったくなかった)。今でも「コンダラ」といえばそれなりに、ローラーのことだと通じるらしいのでこれはまさに「国民的聞き間違い」であるといえる。

実はアニメのOPにはしっかりと「思い込んだら」というテロップが入っているのだが、なぜこんなことがおこってしまったかというとどうやらいくつか説があるようだ。もっとも有力なのは、アニメのとある回で主人公の星飛雄馬がこのローラーを引くシーンがある(そもそもこのローラーは引くものではなく押すものなのだが、その点でもこのアニメの影響が非常に大きいことがうかがえる)。この時に件の「ゆけゆけ飛雄馬」が挿入歌として流れる。それによって、この飛雄馬がひいている重そうなものが「重いコンダラ」なのだろう、という誤解が生まれたというのが定説だ。

この聞き間違いは、本来の歌詞の意味とまったく違うどころか日本語、また他の言語のどこにもない「コンダラ」という新語を生み出したという点でもかなり空前絶後の例であると思われるが、もう少しその理由について考えてみよう。

この歌詞の続きは

「思い込んだら試練の道を
行くが男のど根性」

と続く。
ここで出てくる「試練の道」または「ど根性」といった部分が、かなり重いローラーをひく星飛雄馬の姿と大きくオーバーラップするであろうことは容易に想像がつく(しかも劇中でも語られる通り、星飛雄馬は野球選手、それもプロになろうという選手としてはかなり体が小さくそういった意味でも大きな重いローラーと飛雄馬の体の対比はまさしく「試練の道」であるといえる)。そこで、まさにその「試練の道」というのがイコール「この弾いているローラーである」と考えるのは、たしかに不自然ではない。つまり

「ひいているローラー」=「試練の道」

となる。

そして、この試練の道の説明、あるいはまさに試練の道そのものをその前段である「オモイコンダラ」という部分と同一視してしまう、というのは歌詞ならではであるといえる。歌詞では短いセンテンスで内容を説明する必要があるため、当然主語や接続詞、関係詞や前置詞などを省略する傾向にある。

たとえばこの歌詞の部分も

「もし私があることを思い込んだら、試練の道であってもそれをいくのが男のど根性というものです」
といっていたとしたら、「重いコンダラ」という誤解は生まれなかっただろう。

さて、他に歌詞の聞き間違いにはどんなものがあるだろうか。
例えば「アルプス一万尺」の冒頭

「アルプス一万尺、小槍の上でアルペン踊りをさあ踊りましょう」

の「小槍」を「子ヤギ」だと勘違いしていたひとはいないだろうか。冷静に考えれば子ヤギの上で踊るというのはだいぶおかしな光景なのだが、まあそこは歌詞なので何かしらの比喩、子ヤギが集まっている場所の少し上のほうで踊っているのか、といったような解釈ができないこともない。またそもそも「小槍」というのが、全く聞き馴染みのない言葉である。「アルプス一万尺」からして、それほど一般的な言葉ではないのだから、この曲は冒頭からわからない言葉が二連発でそれはおかしい、つまり二つ目はきっと知っている言葉だろうと類推してしまうのも仕方ない気がする。

アルプスには野生の子ヤギがいそうに思われるのもひとつの原因かもしれない。そもそもこの曲はいわゆる「アルプス」とは何の関係もなく、アメリカでできた民謡に日本語詞をのせたものであって、このアルプスは「日本アルプス」のこと「小槍」は日本アルプスにある「槍ヶ岳」の山頂付近にある石の名前である。たしかにこの背景をしっていれば、「子ヤギではなく小槍」と思えるかもしれないが、それがなければ、この曲は「「アルプス一万尺」という一般的ではないと思われる単語の説明をしますが、「こやり」というところの上で「アルペン踊り」という(謎の)踊りを、踊りましょう?」というどこから解釈していいのかわからない内容になってしまう。そのため、唯一既存の知識と結びつけられそうな部分をとっかかりとするために「こやり」を「こやぎ」と聞き間違えてしまうのは仕方ないのかもしれない。

さて、聞き間違いとは少し違うのだが、
「オー・シャンゼリゼ」という曲がある。CMなどでも使われることが多いので、特にこの冒頭の「オーシャンゼリゼ〜」というところは聴いたことがあるひとも多いかと思う。これも不思議な経緯を辿っている曲で、実はシャンゼリゼ通りのあるフランスではなくイギリスで作られた曲であって、その後フランス人作詞家によって歌詞がつけられLes Champs-Élyséesというタイトル(訳せばそのまま「シャンゼリゼ通り」)がつけられた。シャンゼリゼ通りは、パリの中心、凱旋門からコンコルド広場までのびている通りでフランスはもちろんおそらく世界中でも知らない人は少ない(整地用ローラーや日本アルプスの固有名よりは)ものだろう。

この楽曲は日本語にも訳されていてそのタイトルが「オー・シャンゼリゼ」である。これは原曲(フランス語)の冒頭でもそのような発音で歌われている部分をそのままつかったものであるが、日本語詞では「oh! シャンゼリゼ」というような形、つまり「オー」は感嘆の意味で使われている。もともとフランス語としてはこの「オー」は「aux」であり、これは英語でいうところの「at the」というような意味で、「オーシャンゼリゼ」は「シャンゼリゼ通りで」という意味なのだ。しかし、日本語の歌詞は前述した通り、基本的に必要に応じて助詞などを省略することが可能である。そこで、この訳詞では「で」の部分はいかさずにあくまで音として「オー」を生かすことにした。その結果、歌詞の意味が少し変化し、「感嘆」の意味をこめた言葉になった。実際、僕自身もはじめてパリ、シャンゼリゼ通りにいったときは「おーこれが有名なシャンゼリゼ通りか」と思ったものだから、これは実際に日本人、あるいはパリに住んでいない人にとっての憧れの街パリ、そしてシャンゼリゼ通りを表すものとしてはむしろぴったりな意図的聞き間違いを誘引しているといえるだろう。

助詞といえば最後にひとつ。
昔から「蓼食う虫も好き好き」ということわざを音でしか知らなかったので「蓼」を「田で」だと思っていた。田んぼだろうがどこだろうが、虫をたべるのはそもそもたいぶ好き好きだろうなと思ったので、言葉の意味がよくわからなかったのだが、これも「蓼を」の「を」が省略されているところを「で」が入ることと混同したことによるのだろう。

他にももしこんな例があったら、ぜひそれぞれ検討したいので教えてください。


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ヤマモトショウ

作詞家です。音楽をつくります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「食べる毎日、毎日食べる」では一日一軒食べたお店を紹介します。

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アイロンはアイアンから。
wizardryには「シールドイーター」が登場する。
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