音楽を勉強する前に
5/27に原宿の新しい商業施設「HARAKADO」内に”Re:DESIGN SCHOOL”が開校します。これはデザインの専門学校ですが、この中に音楽制作のコースが作られました。そしてそこで私が講師をすることになっています。
これまで個人的に、人に音楽の作り方を教えることはありましたが、こうして学校といわれるような場で継続的にそれを行うのははじめてのことです。
講師にはもう一人、作曲家の宮野弦士氏がいて、どちらかといえば専門的な音楽制作の手段については彼がまさに専門とするところとはなると思いますが、僕からもそもそも僕にどんなことが「教えられるのか」ということを書いておこうと思います。
講義に参加される方はもちろん、ギリギリまで参加が可能ということで今最後まで悩まれている方の参考になれば幸いです。
さて、早速、参加される方を不安にしてしまうかもしれませんが、実は私自身は音楽の体系的に専門的な教育を受けたことは一度もありません。つまり、音大や音楽の専門学校、あるいは音楽教室といったところも含めて音楽を勉強したことがほとんどないのです。小さい頃と中学生の頃に合計数ヶ月だけ、家の近所のピアノ教室にいったことがありましたが、せいぜい入門書の一冊が弾けるようになったとかその程度です。
そして、ここで「体系的に」と書いたのは、僕はたしかに専門的な教育を、学校などでうけたことはないにせよ、自分が音楽活動をしていく中で実際にはそれに類するものを学んできたという事実があるからです。
音楽というものに取り組む上で「学ぶ」ことができることはかなり多様です。例えば、今ポップスの世界にいれば「映像」と関係しない音楽というのは少ないと思います。ですからミュージックビデオの作り方も音楽に関する学びとして存在しているでしょう(実際に”Re:DESIGN SCHOOL”はデザイン全般に関する学校なので、そういった学びや出会いもあると思います)
一旦「楽曲をつくる」ということだけに絞って考えてみても、
・音楽理論
・楽器の演奏技術
・DAW(DTM) の使い方
・音楽ジャンルの知識
などの多様な要素を学ぶことができます。そして、これらの知識そのものは別に僕の講義を聞かなくても、さまざまなところで実質無料でも学ぶこと自体はできます。YouTubeなどを含めて、それらを解説する素材は溢れていますし、実際にプロの作曲家から見てもよくまとまっているなと思うものがタダで見れてしまうようなコンテンツがたくさんあります。
しかし、実際にやってみるとわかるのですが、そういった知識をどれだけ摂取したとしても、それだけでは音楽はつくれません。そして実際には、「音楽をつくってみたい」とは考えていても、そこが問題で音楽が「つくれていない」方がたくさんいらっしゃるように思います。
今回の講義ではそこに取り組んでみようと思っています。
料理に例えてみると、今数々のレシピと、食材が並んだ、便利なキッチンの前にみなさんはいるわけです。たしかに、なんでも作れそうな気がしますがこれだけではある重要な視点が欠けています。つまり、「何をつくりたいか」というものがなければいけないのです。
高級店を開いて、高価なフレンチのコースをつくりたいのか。あるいは安価でおいしいカレーをつくって、多くの人に食べてもらいたいのか。自宅で家族の健康のためにつくる料理もあるかもしれません。それはなんでもいいのですが、ただなんとなく「いい料理をつくれ」といわれても困るでしょうし、音楽も同じようなことがいえます。
これは別に「あるジャンルのものをつくりたい、という意志をもちなさい」という意味ではありません。
そうではなく「自分がどんなものをつくりたいか」ということを言語化できるようになることです。
僕自身が、教育を受けていないにも関わらず実際にその過程で学ぶような知識や経験を持てている理由は、「こういうものをつくりたい」という前提があり、そしてそのために必要な知識や能力を手にするためのステップを踏んできたからということでしかないのです。
よく「音楽理論はクリエイティブな場面では役に立たない」というようなことが議論になります。なぜそんなことが言われるかといえば、理論を学ぶだけでは楽曲をつくることは難しいという実感があるからでしょう。理論というのは知識を体系化し、他者と共有するために存在するものです。
音楽理論が役に立たないかどうか、ということは音楽をつくっていけばいずれわかることとは思います。(そもそも「本当に便利で役に立っているとき」には、人はその存在にあまり意識的にはなれないものとも思いますが…)ただ、それを自分の外側にある単なる知識体系であると思ってしまうのは非常にもったいないことでしょう。単に知識として知りたいというわけではないのなら、それらが自分のやりたいこと、つくりたいものとどのように接続しているのかということを体感することそのものが音楽制作の過程ではもっとも重要になるように思います。
ここまでをよんで、思い返してみてほしいのですが、実際に「自分のやりたいこと」「つくりたいもの」を言語化するというのはそれほど簡単なことではありません。なんなら、自分の好きなものというのを(なぜ好きなのか、どういうところが好きなのか)語ることすらほとんどの人がすぐにはできないでしょう。
僕が「教えること」ができるとすれば、それを語れるようにサポートすることです。そして、実際にはそれを語る過程で上にあげたような体系的な知識や技術もまた必要になってくることに気づくと思います。そのために必要なことは実際に授業でも学んでいくことになりますし、そういったモチベーションで身についた知識や技術は音楽制作においても最も重要な「オリジナリティ」に直結するものと思います。つまり本来であればみんなで同じ授業をうけていても、オリジナリティというのは醸成できるものなのです。
また、「やりたいこと」「つくりたいもの」を言語化することは、音楽制作における別の場面でも重要な意味を持ちます。
僕や宮野氏のような作家では顕著ですが、我々は自分の作りたいもの(音楽)をつくっているのと同時に「誰かが求めるもの」をつくる仕事でもあります。そして誰かが求めるもの、というのを感覚的にも理論的にも共有するには、結局この「やりたいこと」を言語化してあげるような作業が必須となります。このように発信する側としても受信する側としても、音楽に対しての取り組み方が大事になってきます。
非常に乱暴に言いますが、「これこれこういう理由でこういう構造でこういう雰囲気の曲がつくりたい」ということを言語化できさえすれば、その作り方はネットで検索できるでしょうし、もっと言えばおそらくAIがそのような曲をつくることができる時代はもうすぐそこにあります。こういった技術は積極的に使われるものでしょうし、それを否定することは難しいと思います。
しかし最初の言語化の部分、そしてアウトプットされてきたものを解釈したり、使用したりしていく部分は、我々が学びながら身につけていくしかないものです。
ぜひそのような意味での音楽の作り手になって、一緒にいい音楽をつくっていく仲間が増えたら嬉しいなと思います。