フィロソフィーのダンス「ヒューリスティック・シティ」


Twitterでも書いた通り、この曲を解釈するポイントは

「思い出の不可逆性」「平成のおわり」「自動運転の街」

です。


曲調やリリース時期から、「別れ」をテーマにした曲にしたい、という話が最初にあがりました。概ね、曲のオーダーというのはこの程度の内容なのでそれ以上は作詞家の領分です(もちろん、内容がかなり細かく指定されるようなタイアップものなども存在します)

さて、別れといえばマイナスなイメージもあります、そしてそれは「想定外」のものとしてやってくるものとして描かれがちです。しかしよく考えてみると、例えば死別も含めれば人と人の別れとは必然的なものです。

そして今、わたしたちは外的な要因による必然的な別れをひとつ迎えようとしています。それは「名前のついた時代」との別れです。自分自身も人生のほぼすべてを「平成」という時代にいきてきました。もちろん、アーティスト自身もそうでしょう。その時代も、今ふりかえれば「平成」というのはこういう時代だったな、というのがわかるだけで平成をいきていたその瞬間にそれを感じるようなものではありません。私たちは未来から過去への思いなしとして、その不可逆な必然性をとらえることになります。

平成がおわり、まだこの時点では名前のない新しい時代がすすんだとき、街はどのようになっているでしょう。例えば、今街にあふれている車たちはすべて自動運転になっているかもしれません。自動運転の車で、ドライブデートをするカップルは車の中でどんな会話をするのでしょうか。その行き先は、必然的に決定されています。我々の意思は、その決定や結論をみて、「おそらく、こういう理由でこうなったのだ」ということを考えるのでしょうか。

さて、この歌詞をかいたすぐ後にちょうど作家の榎本憲男さんの新刊が出て、献本いただきました。

この内容が、実に今回のテーマにぴったりすぎて、ちょっと怖いくらいだったのですが、その後とあるニュースが世に出てさらにそれが現実味をおびています。予言の本かもしれません。

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