浜崎あゆみ「Who…」 歌詞分析 #ayumix2020
先日浜崎あゆみさんがシングル全楽曲を含む、自身の楽曲のアカペラトラックを公開した。これはこのトラックをつかって、クリエイターが自由にリミックスなどを行ってよいよ、という豪華な企画であゆは(敬意をこめて以下こう呼ばせてもらいます)これまでも様々なリミックス企画を行なっていたこともありすでにプロ・アマチュア問わず様々な人が参加している。普段僕も、色々と新人クリエイターの育成について考えているけれど、今回もし機会があればアレンジャーを目指す人はこのトラックをつかって何か一曲仕上げてみるのもいい機会になると思う。プロ、それも大ヒットシンガーであるあゆのボーカルトラックを使用できる機会というのは普通なかなかないだろう。
さて、僕自身もトラックをつくってみた。
まずは、あゆの大ヒット曲”SEASONS”
そして、僕自身が彼女の歌詞で一番印象深い “Who…”という曲をつくった。
本記事を含む、#ロゴススタジオ では普段作詞や歌詞に関する解説を行なっているので、今回はこの ”Who…” の歌詞について見てみようと思う。実際、この曲はあゆのかいた歌詞の中でもかなり異色なものだと思われる。
まずこの曲は通して聴くとよくわかるのだが、非常に不思議な歌詞の構造をしている。
冒頭、1番のいわゆるAメロと言われる部分だが、歌詞が入ってくるのがこのAメロの2ブロック目のところからなのである。2番では1ブロック目から歌詞が入っているので、1番では単純に一行文歌詞が少なっていることになる。
1番
uh-la la la
辛い時誰がそばにいてくれて
2番
本当の強さは誰が教えてくれて
優しさは誰が伝えててくれた?
通常こう言った場合、前奏の長さをかえるなどの対応で楽曲の方の構造をいじるのが一般的かとは思うが、ここであえてこの一行「日本語の歌詞が出てこない」ことには、なにかしらの意味があると考えることができるだろう。
この曲の歌詞では歌い手は、
自分の人生に寄り添ってくれた人が「誰」だったのかということを、様々な形で思い返すことになる。
しかしこれらを思い返す前に、前述した通り歌詞の上では「一行の余白」があるのだ。この一行は一種のためらい、あるいはそれを考えること、思い出すことに対するほんの少しの抵抗があるのではないだろうか。
ここから考えられることは、この「誰」として歌われている人との別離である。より端的にいえば、死別であるとか、なんらかの意味での別れがすでに起こっており、それよりあとの時点でこの歌は歌われはじめていると考えることができる。
ふたり離れて過ごした夜は
月が遠くで泣いていたよ
ふたり離れて過ごした夜は
月が遠くで泣いてた
だからこそ、本当は一緒にいる時間を思い出していいはずの1サビで主人公が思い出しているのは、離れて過ごした夜のことなのだ。実はあのときに泣いていたのは自分ではない。そのときには、離れていること自体は実際にはそれほど悲しいことではなかったのかもしれない。なぜなら、その頃は当たり前に普段は一緒にいたからである。
月は泣いていたんじゃないか、と今になってみれば思う。というのはつまり、月はその後の別れを予測していた、もしくは月のような客観的な立場からすればそれが必然に思えたということかもしれない。
もう一度その「誰か」との日々を思い出していくのがこの楽曲である。
そして最後に、きっともうずっと遠くにいってしまったその誰かにむかって、「あなた」とよびかけて、このフレーズを繰り返すことになる。
これからもずっとこの歌声が
あなたに届きます様にと
これからもずっとこの歌声が
あなたに届く様にと
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