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#音楽ミステリー小説 第4作 「深い海」

 
 問題をつくるのと解くのは、どちらが難しいのだろう。学校、という組織に属して十数年、卒業してすぐ社会人となり、わたしは今レコード会社で音楽をつくって、そしてそれを売ることを仕事にしている。それでも基本的にはずっと、問題を解くのが私のすべきことだった。それが学校ならテストだろうし、今だったらどうやって曲を、CDを売るのかという問いである。
 CDは売れない、というのはもう何年も前からいわれはじめたことだ。わたしがレコード会社に就職した頃にはもうすでにそう言われていた。単純に考えれば、それは時代の流れの中で当たり前の帰結だ。CDの中に入っているのはデータである。データを手に入れるだけなら、今はインターネットからダウンロードしたり、ストリーミングで聴く方が明らかに合理的で無駄がない。CDをケースから取り出して、CDプレイヤーにいれるという作業もいらないし、最近ではCDプレイヤーだってどこにでもあるものではない。今だったらCD一枚を購入する値段で、1ヶ月ほとんどどんな音楽も聴き放題なのである。もちろん、CDのジャケットが好きとか、アーティストのためにCDを買って還元したいとか、そんな色々な理屈に訴えかけることはできるだろうけれど、音楽を聴くことがCDの一番本来的な目的であるとしたら、少なくとも今その目的のためにはCDというのが便利な方法であるとはとても思えない。
 だから、いつ誰が発明したかはおいておくとしても、CDに別の価値をあたえて発売しよう、というのはまったく新しい問題の解き方だったといえるだろう。アイドルだったら握手券をつける、バンドだったらライブの入場チケットをつける、ファンはそれを目当てにCDを買う。極端なことを言ってしまえば、もはやみんなCDそのものを買っているわけではないのだ。

「でも、そこまでするならどうして握手券を直接売らないんですか?」
 とミドリがきいた。これについてのレコード会社の答えはもうお決まりだ。ミドリだってプロの作詞家の弟子なのだからわかっているだろうとは思いながらもわたしはいつも通りの答えを、友人や別業種の人に「音楽業界って大丈夫なの?」という余計なお世話をされたときに説明するのと同じように、何十度目かの議論を口にした。
「それはCDを売らないとレコード会社の利益にならないから。あとは、チャートだよね。音楽チャート、ランキングが、CDの枚数によって決められているからね。オリコン握手券チャート、ってわけにはいかないし」
「あ!でもそれ実際に作ったらいいのに」
「実際、みんなそういうものだと思ってチャートをみてるんだから、逆にいらないんじゃないのかな。でも、毎週チャートの順位見ながらああだこうだっていう会議もなくならないけどね。まあ意味があると思っている人がいる限りはなくならないんだろうな」
「意味がないんですか?」
「まったくない、ということはないと思うけど。でも他にもっと気にするべき基準は今となってはいっぱいあるってこと」
 去年、大学時代の恩師を通じて、作詞家の猫宮という人物と知り合った。それ以来、仕事の合間を見つけては、彼の仕事場に遊びにきている。遊びに来ているとはいっても一応、会社には仕事でということになっているし、実際にここで話していることはほとんどがわたしの仕事に関連する相談だった。今年の年明けにも、自分の会社の先輩がリリースしようとした新人シンガーについて猫宮からの助言をもらった。結果的にそのリリースはなくなったが、のちにそのことが週刊誌などで話題になったこともあって、その決定は英断だったと、会社ではわたしも上司から感謝されることになったのだ。今までなんだかんだで、作詞家としての猫宮と仕事をしたことはなかったけれど、すでに今年一番一緒に仕事をしたような気持ちになっている。
 そして今日もまた猫宮に相談をするために、会社から電車で十分さらに駅から歩いて五分くらいというところにある(この距離が絶妙にここへのやってきやすさを増長させてしまっている)この仕事場まで来ていた。もう、本当のところ具体的な何かを相談したいのか、それともここにくるためにどれを相談しようか考えているのかも、鶏と卵のようにわからなくなっている気がする。ここに来れば問題が解決するということもあるが、なにか自分が自分自身の仕事について抱えている悩み、あるいはフラストレーションの一部が、実際にはそれほど悩むようなことではない、ということに気づかされるだけなのだ。猫宮に言わせれば、わたしたちが扱っている音楽の方にすでに答えがあって、あとはそれを見つけるだけだということらしい。たしかにそれはその通りだし、最近は自分だけでもそう考えて仕事に臨みたいとは思うようになっていた。
 きょう、猫宮はここにはまだきていない。いつも彼に連絡をするにしても、「明日伺います」というようなことしか言わないし、それで断られたこともなかったのだが、きょうはスタジオにつくと猫宮のアシスタント仕事をしているミドリがひとりでレコードを聴いていた。
「かえでさん、猫先生に何か相談があったんですか」
「うん、まあちょっと」
「たぶんまだしばらくは来ないと思いますし、僕でよかったら聞かせてください」
 ミドリはまだ十六歳だが、猫宮の元にいるだけあって、すでに高校一年生の年齢とは思えないほど色々なことを知っている。わたしよりも、知識の量、特に歴史や科学といったようなことに関してのそれは間違いなく多いだろう。高校は入学して数ヶ月後にはやめたといっていたが、確かにこれだけのことを知っていればわざわざ高校にいって勉強するようなことはないのかもしれない、と度々話していて思う。自分は何も考えずに、まわりもみんなそうするからということで中学・高校・大学と進学したが、もし自分が十五歳くらいの頃に猫宮にあっていたらどんな選択をしただろう。
「わたしが新しいアイドルグループの担当をすることになったってことは、前に一度話したかな」
「うん。かえでさん、前にいってましたね。それのことですか」
「そうだね。えっと、そう、とある大手事務所から独立した芸能マネージャーが、新しい会社をつくってそこで立ち上げたグループなんだよね。独立した、といってもその大手の事務所がかなりの部分で資本としては入ってて、うちのレーベルはその事務所から頼まれたら絶対に断れない。その事務所が地方のメディアと一緒に組んでるんだけど、その県の行政とかも応援してくれてる。まあ後にはひけない案件ってわけ。グループ自体は年末にできて、まだイベントも何もしてないうちから、いきなりメジャーデビュー」
「へえ、そういうことってあるんですね」
「あるよ。まああんまりそうやってトップダウンで決められていい感じに進むことはないけどね。でもまあ、今回はメンバーの五人とも、あってみたけど地方出身って感じですごくいい子達だし、それに現場のマネージャーの坂本さん、彼女も初の大きな仕事みたいですごく気合入っている。事務所のお偉方と、こっち側との板挟みでまあずいぶんと大変そうではあるけど」
「へー。そんなグループなんですね。あ、かえでさん、猫先生に歌詞を頼んだんですか」
「うん、そう思ってこの前話そうと思ったんだけど、結局別の話になっちゃって、それになんか最近、猫宮さんもちょっと忙しそうなのかなって」
「え、そんなことはないと思いますよ。猫先生がそんなに忙しい、なんてこと今までなかったですし」
 それがどういう意味なのかはよくわからなかったが、なんとなくここによく来るようになるにつれて仕事を、仕事として頼みづらくなっているのは事実だ。それだけ親しくなっている、と単純に考えていいのかわたしにはよくわからなくなった。
「で、そのアイドルなんだけどね」
 そこで少し間を置いたのをミドリは見逃さなかった。このあたりは猫宮によく似ている気がする。
「なにか問題でもあったんですか。そういえば最近アイドルのスキャンダル多いですもんね。スキャンダルというか、こんなどうでもいいことまでよく調べたり、ネタにしたりするな、っていうようなことばっかりですけど」
 ミドリがアイドルのニュースに多少なりとも詳しいというのはすこし意外だったが、それならと話にのることにする。
「まあね、私もあらためて担当するってことになってから、アイドルの世界のニュースとかよく見るようになってさ。それこそ地下アイドルっていうのかな、そういうところまで。そしたら、本当にすごいね。毎日、誰かがやめたとか、運営の金銭トラブルだとか、それこそ一日ひとグループくらいはグループができては解散しているんじゃないかな」
「ははは、でもそこにかえでさんも足を踏み入れるってわけですか」
「規模感的に、そういうことにはならないと思うんだけど」
 そういいながらも、すでにある程度の不安はあった。
「えっと、それで。五人組のグループなんでしたっけ。五人組っていいですね、江戸時代のあれだ」
「あ、なんだっけそれ、なんか日本史でならった気がする」
「ごめんなさい、別に関係はないんですけど。あの江戸時代に、なんかこう村とかの中で一番小さい単位として、五人で一組、要は年貢なんかをちゃんと払うようにお互いがお互いを見張るようにさせたんでしょうね。あ、でもグループアイドルっていうのもお互いに意識し合うっていうのはありますよね」
「ああ、それが五人組か。何でも知ってるね、あいかわらず」
「中学校の教科書に載ってますよ」
 ミドリはあたり前のようにいった。そう言われるとそんなものがあっただろうか、今となっては必要のなくなってしまった情報がどんどんと抜けていっているような気がする。
「そうだっけ。まあそう、五人組なんだよ。せっかくだからメンバーひとりずつの紹介、きいてよね。事務所からも常にこの順番でいうようにって覚えさせられたんだから。」
 ミドリはそれをきいて笑った。しかし実際にはこうやってメンバーを担当カラーでわけて、いつも同じ順番で紹介して、というのは理にかなっているような気もする。少なくとも自分がぜんぜん知らないグループを見たら、そのあたりの情報で識別するしかないのだから。
「それじゃあ、はい、お願いします」
 私は名前入りの写真を一枚ずつ取り出しながら、ミドリに説明した。
「まずは赤色担当、芦田サリー」
「なんか、このブロマイドっていうところもアイドルっぽくていいですね」
 ミドリがブロマイド風の写真を手にとって、じっくりと覗き込んだ。たしかにブロマイドという言葉を発音したのは、今回のことではじめてだったかもしれない。
「まあそこはいいでしょ。それから青ね、廣川あいり、それと緑が廣川ゆうり、それから紫が柳井りさ、あと白が城山すずか」
「一度には覚えられない、ですね」
「ま、それはそうだよね。」
 そういいながらもミドリだったらもうすでに覚えていそうではある。
「あ、でもあれですか、廣川さん、この二人はもしかして姉妹ですか?」
「そうそう、よく似てるでしょ。まあ苗字でわかるか。あいりがお姉ちゃんで、ゆうりが妹」
 ミドリは意外そうな顔をする。
「あ、そうなんですか、逆かと思った」
「たしかにそう言われると、ゆうりのほうが大人っぽいかもね。まあどっちもまだ十八と十六だけど。」
「姉妹で、同じグループで一緒にっていうのは珍しい、って感じなんじゃないですか?オーディションとかを一緒に受けに来たんですか?」
「ああ、それがね。この二人は事務所の幹部の、まあざっくり言えば親族なわけ。」
「そういうパターンなんですね。わかりました」
 飲み込みがはやい。しかしわたしにとっても、このことはそれほど問題ではなかった。
「まあでもちゃんと歌とかダンスの基礎もできてたし、ほらビジュアルもいいし、別にこちらとしては問題はなかったんだけどさ」
「なかった?ってことは今はなにかあるんですか」
 さすがに作詞家の猫宮のアシスタントだけあって言葉の微妙な引っかかりに対して敏感である。場合によってはただの揚げ足取りにも思えるが、ミドリのそれはいつもうまく会話を進行させる役割をしていた。そういえば猫宮に関してもそういうところがある。影響を受けているのか、それともミドリ自身のもっている能力なのか、今度猫宮にきいてみようと以前おもっていたことを思い出した。
「うん」
 私はそう答えながら、一週間ほど前の記憶を引っ張り出した。頭のなかでなるべく隅のほうに置こうとしていたせいか、少しだけアクセスに時間がかかる。
「その姉妹に、ってことですか?」
「そうなんだよね。実は、ゆうりちゃん、その姉妹の妹のほうが、来なくなっちゃったんだ、急に」
「来なくなった、っていうのはどういうことですか」
 ミドリは淡々と質問を続けた。
「うーん、そうだね。えっと、その日はうちの会社でweb媒体の取材をうけることになってて。まだほとんど稼働してないグループだからほぼ取材自体が初めてって感じだったのね。うちの会社に全員でくるのも初めてだったんだけど、そこにまず、ゆうりちゃんが来られなくなったわけ」
「なるほど」
「マネージャーからは病欠だって、そのときはそう言われたんだけど。うちとしても、最初の取材にメンバーが全員揃ってないんじゃってことで、その日はいったんバラしてもらったんだ。で、翌日またマネージャーに確認をとったら、その日以来連絡が取れないと」
「あれ、でもその子って親だか親族だかがその事務所の人、なんですよね」
「親戚ね」
「それなら少なくとも連絡取れるんじゃないんですか、そこから。だって一六歳なんでしょ。だったら、家の人に連絡取れれば」
「もちろん、それは事務所のほうにも確認してみたよ。ただ、それでなんとなかなるわけじゃないって。だってほら、あなただって例えば私が親を通して、「やっぱり高校はいきなさい」とかいったって言うこと聞かないでしょ」
「はは、まあそもそもうちの親だと、誰に言われてもそんなことを僕にはいわなさそうですけど。」
「いいご両親でよかったね」
 高校をやめて、昼間からあやしげな作詞家の手伝いをしている、ということに何も口を挟まないのだとしたらミドリは相当に信頼があるのだろう。
「じゃあ、それで音信不通ってわけですか。お姉さんの、えっと、あいりさんの方からも連絡はとれないんですか?」
「そうみたい」
 もちろんあいりのほうにも連絡ができないか、という確認はしてみたあとだった。あいりはもちろんゆうりが連絡が取れない状況にあるらしいということはマネージャーから聞かされて、今の状況を察しているようだったが、姉妹でも連絡がとれないというのは改めて考えると随分と緊急事態にも思えた。それにしてはマネージメント側の危機感が感じられない気がして、わたしは少し気分が悪くなった。
「で、どうするんですか。かえでさんががんばって探すとか。まあでも、四人でやるしかないのか」
「いや、ところがそうはいかないんだよね」
「どうしてですか?」
「五人じゃなきゃダメなんだよ、このグループは」私は最初に、会社の会議室で事務所の担当者から渡された資料を思い出していた。「ほら、今年から例の新しい高速通信システムというのが実用化されるでしょ。それの宣伝のタイアップが最初に決まってたんだよ。まあほら大元の事務所が強いし、それに新しいシステムの広告ってことでちょうど新人を使いたかったみたいだよ。それで、ほら名前的に」
「五人組なんですか?」
「なんだってさ。なんだかバカみたいな話だけどね。それが絶対条件。でもね、今となってはやっぱりあの五人で頑張ってほしいな、というか頑張ってみたいなという気に私はなってるんだ。こういうのなんていうのかな、親心?なんかやっぱり感情移入しちゃってるのかも」
「かえでさん、なんだかんだでいい人ですもんね」
「そうかな」
「そうですよ。猫先生とうまくやれてるのも」
「うまく、やれてる?」
「僕が今までみたなかでは一番」
 ミドリは今までに何人、猫宮と仕事をしてきた人とこうやって接してきたのだろうか。
「でもなあ、ゆうりちゃん、本当はアイドルやりたくなかったのかな」
 わたしは記憶の中のゆうりのまだ緊張の抜けない様子だった顔と、目の前の写真とをくらべて小さなため息をついた。

 新規のグループの担当を任されるというのは、もちろんわたしにとってもかなり嬉しいことだった。今、わたしが仕事をしているのは2グループある。ひとつはバンドで、一年半ほど前にうちのレーベルと契約した。直接の担当は会社の先輩であり、わたしはアシスタントとして仕事に入っている。もうひとつはアイドルではないが、女性ボーカルグループで、こちらも上司が担当をしている。わたしの仕事は主に曲集めで、さまざまな作曲家たちから「コンペ」として曲を募集して、その中からグループにあう楽曲を決めていくことがわたしとその上司のこのグループについての重要な仕事だった。時には数百曲から千曲ちかい曲数を聴くときもある。バンドの方では、曲はバンド側がつくってくるのでわたしはスタジオを手配したり、その他スケジュールを立てたりするのがわたしのメインの業務だ。
 ただ、やはりレコード会社の制作にいる以上は、自分のイメージするもっとも良いと思える曲をつくってみたい。わたしはもちろん作詞も作曲も編曲もできないが、幸いにもこの曲を集めるという仕事をするなかで素晴らしい作曲家にも出会うことができたし、なにより新しいグループがあればディレクターとして挑戦してみたい音楽のイメージがいくつか浮かんでいた。
 そんなタイミングで、新規のアイドルグループを立ち上げるという話が、会社内にもちこまれた。降ってきた仕事とはいえ、わたしはこの機会を逃したくはないということで自分で手を挙げたのだ。アイドルグループであれば、その楽曲のコンセプトは周りのスタッフたちでつくっていくことになる。特に今回は最初から事務所がレコード会社であるわたしたちと組みたい、と言っている以上楽曲については特にレコード会社側がイニシアチブをとっていく、ということになるだろう。すると、今回のこの新しいアイドルグループについていえば、わたしがまず楽曲についてどのようにするかを決めていかなければならない。アイドルグループは、楽曲を作る以外にもやることが多くしかも、特典会や握手会なども含めて、その都度現場にいって実際に動かなければいけないことが多いので実は社内でもあまりやりたがる人が多くない。しかも、今会社の中には他にも女性アイドルグループのビッグプロジェクトがあった。そちらと少なからずぶつかる可能性があるこちらの話に、あまりのりたがる社内ディレクターはおらずわたしが担当することになったのだった。もちろん、上司の確認はとっていたが、基本的には今回は「自分でやってみろ」というように言われている。
 
「結局さ、もうおじさんたちは逃げ切りたいだけなんだよね」
 巨大アイドルグループのアシスタントディレクターをしている佐藤と会社のロビーであって、一緒に社内にあるカフェに向かった。ここでお茶をすることは打ち合わせの時以外あまりなかったが、昔うちの会社から発売されたレコードが置いてあって雰囲気がよい。そういえば、猫宮のスタジオにいくようになってから目に入ってくるレコードにだいぶ注目するようになった。
 佐藤が担当しているグループは、まさにCDというよりも特典券を大量に販売しているといえるだろう。しかしそれによってCDがしっかりと売れるので、楽曲制作にかけられる予算も他とか比べ物にならないものになっていた。実際、音楽ファンが聞いてもうなるような楽曲が集まっている、と業界内でも評判ではある。
「おじさんって」
 佐藤の言葉は辛辣だった。
「かえでちゃんはそう思わないの?別に今の売り方がすべて悪いってわけじゃないけど、こんなこといつまでも続くわけないし、でもあと五年これで持てばいいって思ってる人がほとんどな気がする」
「そこまで持てば、自分たちは逃げ切り、ってことですか。退職とかして」
「実際定年退職がそのくらいの人も多いだろうね。しってる?うちのグループとか、関連グループのためにできたマーケティングの部署なんて、半分くらい50代だよ。話にならないけど、会社としてもあの人たち首にはできないんだろうな」
 佐藤がダメ出しするのも無理はない。その半分といわれている彼らはたぶん、九十年代の功労者といわれる人たちなのだろう。その時代は無条件でヒットが出ていた。もちろんヒットしなかったものはたくさんあるが、CDというものを基準にしたときのそのヒットしたものの売れ方が今の10倍はあったといっても過言ではなかっただろう。だから、それほど能力がない社員であっても、ヒット作にかかわることがあったのだ。というよりもレコード会社にいたら、それはある程度必然だったといえる。それが今となっては、同じ規模で売れる可能性があるのは、この巨大アイドルグループくらいなのだ。であれば、そこに有能無能関係なく人が集まってしまう。50代くらいで有能な人は、出世して現場からいなくなるか、独立や社内にいたとしてももっと自由なポジションを確立している。そうでない、ということはその時点で、有能な若手社員である佐藤にとってはマイナスな存在でしかない、ということなのだろう。
「しかし、新しいアイドルやりたいっていうのは思い切ったね。かえでちゃんが手をあげるとは思わなかった」
「つくってみたい曲があるんです」
 わたしは素直に答えた。
「それが一番。やりたいことないなら、この世界いても意味ないし。でもね、アイドルグループやるなら、それはそれとして他にもかなり重要というか、気にしなきゃいけないこといっぱいあるよ」
 佐藤が少し苦笑いをしながらいった。嫌味を言おうとしている感じではない。実際になにか経験上あったことから感じたことなのだろう。
「例えば、なんですか?」
「まず間違いなく、メンバーのメンタルのケアだろうね。うちなんて年間何人辞めてることか」
 たしかに、かの巨大グループは年間何人もメンバーがやめている。(アイドルでは、そのことを「卒業」というのが通例だ)。しかし、それは別にアイドルとしてはそれほど特別なことではないように思えた。一生アイドルをやっていきたいというよりも、のちに俳優になりたかったり、モデルになりたかったり、次へのステップアップを考えているアイドルは多く、そして実際に業界自体がそれは当たり前のこととしてとらえている。
「でも、ほらメンバーもたくさんいるし、辞めて行く子がいるのは当たり前なんじゃないですか?」
「まあね。でもやめるっていうのも本人だけの問題にとどまらないんだよ。実際、他のメンバーにとっての精神的な支えになっているのがどの子だ、とか結構外からじゃわからないこともいっぱいあるからさ。」
 なるほど、たしかに何十人という人数がいえばそこはひとつの学校とか会社とか、そういったものに匹敵するような人間関係が生まれているのだろう。そこでひとりのメンバーがいなくなることは、単にそのひとりにとってのことだけではなくメンバー全体の人間関係に影響するというのはわからなくもない。中学生のとき、自分とは関係ないがある仲良しグループのひとりが転校したことによって、残ったメンバーはあまりその後行動を一緒にしなくなった、ということがあったのを思い出した。きっとあの転校してしまった子が、ハブになっていのだろう。あの子はなんという名前だっただろうか、その子の存在はわたしにはわからないそのグループの生命線だったのだろう。
「まあ、とにかくメンタルケアには気をつけて」
 わたしのグループのゆうりは、姉妹であるあいりにも連絡をとれないような精神状態になってしまったということなのだろうか。もしそうだとしたら、と考えて自分がゆうりと交わした言葉を思い出した。まだほとんど、大したことは話していないと思う。それでも何かが彼女のメンタルに影響を及ぼしているのかもしれない。

 渋谷の駅周辺は、この数年でだいぶ様子が変わってきている。特に駅の南側、代官山や恵比寿とつながるこのエリアの開発は著しい。このあたりにビルを構えていたり、オフィスをあらかじめもっていた会社は先見の明といえるのだろうか、それともただ人が増えることをあまりプラスには捉えていないのだろうか。このあたりの芸能事務所に打ち合わせにくることは多かったが、これからはまた来る機会が多くなりそうだ。よくこのあたりにくると入っていた店は再開発でなくなっていた。どうもいまひとつ感傷がわかないのはここに再度出店するらしいという話をきいたからというのもあるのだが、そもそもその店は元の店と同じ店だとどうしていえるのだろうかと考えてしまったことにも理由がある。お店が移転すると、味が変わったりするのはよくあることだが、そもそも味の前に何かそのもの自体が変わってしまっているような気もする。再開発が完了したあとの渋谷も、本当にそこが渋谷なのかはよくわからない。
「やっぱり名前で、思い入れってあるものですか?」
 坂本が聞いた。
「ああ、やっぱり好きかなって思うのは、それもあるかも」
 意外とこういったことをストレートに聞いて来る人は周りにいなかったので、わたしはすこし驚きながらも思った通りの言葉を返した。
「で、結局連絡はなしですか?」
 わたしはすぐに切り替えて、仕事の話に戻る。あまり余計な話をしているような時間はない。
「はい。残念ながら」
 坂本は想像していた以上に淡々とそういった。危機感がないというよりは冷静なのだろうが、しかしもう少しあせった姿を見せてもよさそうだ。なにかゆうりがこなかった日からそわそわしているようには見えるものの、それでもわたしがこの年齢のときにこんな状態に陥ったらここまで冷静ではいられなかっただろう。
「あいりちゃんの方に連絡は」
「はい。それはもちろん、確認しています。ただ、あいりってちょっと変わっていて。わたしも含めてちょっとスタッフもうまくコミュニケーションとれてないところがあるんです。まあ正直にいえば全員とコミュニケーションがちゃんととれてるといえるほどまだまだメンバーと会ってから時間もたってないんですけど、それにしてもあいりはその、ちょっと難しくて」
「前にもそういってましたね」
 坂本からその話は聞かされていた。メンバー一人ずつの特徴をきいたときにいっていたが、廣川あいりはかなり寡黙で、問いかけにも基本的には黙って頷くだけめったに自分からはしゃべらないということだった。アイドルとしてはその性格はかなり活動する上で難しいようにも思えたが、坂本からも「一人くらいはそういうミステリアスなメンバーがいてもよいと思う」と聞かされており、実際それはたしかにそうも思えたので素直に従うことにしていた。それにくらべると妹のゆうりの方は、かなりハキハキとしゃべるタイプだったと思う。だから、正直にいっていなくなってしまうというようなこの事態を引き起こす可能性があるとすればどちらかといえばあいりの方ではないかと思っていた。それがどうにもこの事態に全員が現実感を持てていないことのひとつの要因なのかもしれない。
「わたしが話した感じでも、あいりちゃんはかなり無口というか、まあ私もそんなにたくさんアイドルに会ってきたわけじゃないけど、よくアイドルをやること決断できたなとは思ったかも」
「え、ああ、そうですよね。すいません、かえでさんにそんな心配させちゃって。」
「いえ、でもだからどちらかというと意外だったというか」
「え?」
「いや、ゆうりちゃんの方がいなくなっちゃったってことが」
「ああ、ええ、まあそうですよね、たしかに。どちらかといえば、なんて言っちゃうのは変かもしれませんけど」
 あいりからはメールでも必要最小限のことしか送られてこないが、それでも会話するよりは多少言葉数が多いようだ。文面を見せてもらったわけではないが、坂本が説明するあいりからの現状報告はそれなりに内容があった。しかし、それでもどちらかといえばそれはゆうりが言っていることのように思えるくらい、イメージの中でのゆうりのほうがいなくなってあいりが残っているというのはまだ想像しがたい。こんなことをいったらあいりの方に失礼かな、とは思いつつもそう考えてしまうことは止められなかった。
「でも、あの二人って姉妹でいるときどんな会話してるんでしょう。ちょっと想像できないな。坂本さんの前ではどうですか?」
 デビュー前から活動が進んでいることもあって、メンバー同士の関係性がわかるようなイベントなどの現場を一度もみたことがなかった。レコード会社の担当、という立場であればそのくらいのことはなくもないのだが、それでももっと知っておきたいという気持ちがあるのと同時に、もしそれをしていたらこんなことにはなっていなかったのではないかという後悔も少しふくらんできていた。
「ええ、でも普通にまあ、姉妹ってあんな感じなのかなと思います」
 わたしの知っている姉妹のように話しているところはまったく想像できなかったがとりあえず相槌をうつ。そういえば姉妹で一緒のアイドルグループ、という子にはいままでもあったことはなかった。調べた限りではいないわけではなかったが。
「そうですか。まあとりあえずは家族の方に連絡はとり続けて、あとはとにかくどうするか、ってことですよね。」
「彼女にもどってきてほしいのはやまやまなんですけど、もしこのまま見つからないようだったらどうなるんでしょう」
 坂本の言葉が、まるでこのグループを最初に立ち上げたときとは違って、それが他人事のように発せられたようにきこえたのでわたしは少し驚いた。
「ええ、そうですね、うちの上からははまだデビュー前というか、ほとんど情報も出てないのだから、それはそれで、体裁させ整えればなんとかなるだろうということでしたけど。ただ、例のプロジェクト、あのCMの話なんかは難しいですよね」
「そうですね。一応、話としてはもう通っているのでこれでひっくり返るということはないと思うのですけど、やはり形としては五人組というところは崩したくない、というところではあると思います」
「まあ5って数字がポイントなわけですからね」
 自分で話していて、人を人として扱っていないようなこの会話にぞっとしない感覚を覚えつつも、しかしまずはと、事態を収める方法を考え始めていた。結局は、ゆうりが見つかるのが一番良い解決なのだが、こういった場合みつかったところですぐにそのまま活動ができるのかというのはまったくの別問題だ。衝動的に姿を消しただけ、と考えればまだやりようはある気もするがモチベーションがこれまでと同様のところまで戻る、あるいはそれを超えていくのには相当に時間もかかるだろう。それはこのプロジェクトのスピード感には合わないし、他のメンバーにしてみてもやりにくいだろう。姉であるあいりがどう感じているのか、きいてみたいところではあったがそれも難しそうだ。
「あの、新しいメンバー、どうにかならないでしょうか」
「うちの方で探す、ということですか」
 わたしは坂本の言葉に驚いて、そう返すしかなかった。
「え、ええ。いや、うちも企画が企画だけになんとか良い子をとおもって無理やりあつめてきたメンバーだったので、なかなか別の子ってなると、今それに避ける時間もとれなくて」
 坂本はこのグループへの熱意という意味では、このプロジェクトの中でも一番あるようにわたしには感じられていた。今は成功のために、大プロジェクトの進行も含めてかなり忙しくしているということだろう。それに加えていなくなってしまったゆうりを探す、というかなり難儀な仕事まで抱えてしまっている。もちろんそうならないようにするのがそもそもマネジメントの仕事ではあるのだが、たしかにこうなってくると少し気の毒にも思えてくる。
「わかりました。わたしのほうでも考えてみます」
「曲の方は、どうですか?」
「そちらはばっちりです。ただ」
「どうしたんです」
「作詞家の先生に、この話をしたんです。いや、えっと正確にはアシスタントの子に話をして、それを伝えてもらったんですけど」
「すいません、ご迷惑ばかりおかけしてしまって。いきなりこんなことになっちゃって怒ってらっしゃるんじゃ」
「いや、それは大丈夫です。ただそれならゆうりちゃんの、その地元の方に一度いってみたらって」
「え?」
 坂本の反応は、わたしがそれを猫宮からきいたときとほとんど同じようなものだった。
「メンバーはみんなもう東京に出てきてるんですよね?そのことは説明したんですけど。ゆうりさんにしても、あいりさんにしても。」
「ええ。ゆうりたちも、出身はあちらですけど。地元のメディアがだいぶ出資してくれてるみたいですし、実は関係者の親族っていうのも元々はそちらの方でして。」
「実家に帰ってるってことはないんですよね。まあでもそれなら連絡取れるか」
 さすがにその確認はしているだろう。しかし親もまだ未成年の子供を東京に出したら、それが連絡がとれないというのでは事務所の責任問題は大きいが、そもそもその前に子供が心配でそれどころでもないかもしれない。
「はい。そちらにも連絡はないそうです。」
 坂本はあっさりとそういった。もう何度も連絡をとっているのだろうが、しかしこの状況でゆうりの親に連絡をとるというのも随分と気まずいことだろう。
「そうですか」
「あそこのご両親自体は、そうですね、あの、なんだかあまりこの活動には興味がないようで。あまり乗り気ではないというか。今回のことももともとは、ご両親よりも親戚の方が動かれたみたいで、もしかしたら実家にさらっと帰れるような関係値ではないのかもしれないです」
 坂本のひとつひとつ噛みしめるようにそういった。
「そうですか。ただ、猫宮さん、その作詞家の先生ですけど、彼のいうことはこんなこというのも変ですけど、本当によくあたるんです。確証はもちろんあるわけではないんですけど、一度わたし行ってこようと思っていて。もしよかったら、実家の場所だけ教えてもらっても良いですか」
「え、ええ。わかりました」

「ゆうりさん、見つかったんですか」
 いつもより頻繁にスタジオに現れているせいか、また今日もやってきたわたしをみて一瞬で来客モードからいつもの顔に戻ったミドリはすぐにわたしの目の前のソファにやってきてそういった。わたしも猫宮のスタジオでのソファの所定位置が決まってきた気がする。
「まだ。これから探しにいくの」
「えー、そんなことまでするんですね。レコード会社の人って」
 ミドリは興味深そうに聞いてくる。猫宮から事の次第を聞いているわけではなさそうだった。
「いや、しないよ、普通は。」
 わたしにしてみれば正直、猫宮に何かあてがありそうだ、という様子だからそうするだけである。本来ならこれらはどう考えてもマネージメントスタッフの仕事だし、そうでなかったとしてももはやそこまで追求するべきことなのかどうかわからない。ただ、わたしがここで中途半端におわることもできないな、と思い始めていたのも事実だった。
「あいりさんも心配してるでしょうね」
「名前、覚えてくれたんだね」
「あ、ええ、まあ」
「そういえば、結構アイドルのこととか詳しいみたいだけど、意外と好きだったりするの?案外ドルオタだったり?」
「ドルオタ?そうなんですかね。ちょっとわからないけど、でも結構ほらこのあたりってちょっといったらアイドルのイベントとかやってるところ多いから、ちょっと気になって調べたりしているうちに曲に詳しくなったりはしたんです。僕も、ちょっと中学生のときは学校いけなかったりとか、まあ色々なこと考えていた頃があって。なんていうんですかね、こう決められたことをただやる、っていうのができなかったんですよね。それでそれまでむしろ、アイドルってまさにそういう決められたレールの上でやるものだって思ってたんですけど、でも調べて見てみたらぜんぜん違って。あのライブ会場に来ている人たちはきっとそれが好きで、しかも曲とかそういうところも含めて本当はすごく自由なんだなって思ったんです。猫先生がかいた歌詞もそうですけど」
「うん、たしかにそうかも。それは私も、今はそう思っている」
「やっぱりそうですよね」
「わたしも今は、わたしがつくってみたい曲があるからアイドルグループを担当してみたいって思ったの」
「そうなんですね。まさにそういうのが、本当は一番自由なんだなっておもって。それで、僕自身も結構そこから気持ち切り替えることができて。それ以来ちょっとアイドルにも本格的に興味持つようになりました。だからアイドルファンといえばそうかもしれないです。もちろん猫先生がかいたあの曲とかもよく聞くようになって。まあ結局高校はやめちゃいましたけど」
「まあそれも別に自由でしょ。むしろ普通の高校生よりずっと充実しているように見えるし」
「そうですか?」
「うん」
「でも、何かしなきゃ、っていうのはやっぱりどこかにあります」
「何かって?」
 そういったものの、その言葉の真意はわからないでもなかった。わたしの場合は大学生のころだが、周りが大学に入るやいなや積極的に色々な活動に参加するのを横目にみて随分とあせった時期がある。あの頃は何か自分探しのような学生活動に参加するのが流行っていた。考えて見えればそれはほとんどみんな就職活動のためにやっていただけのことで、つまり就職活動向けの自分を探していただけで、その時期がおわればもう二度と振り返らないような活動だったのだとおもうが、それでも「何かやっている人間」と「そうでない人間」には明確に何か線が引かれているような気がした。自分はなにものかになれるような気がする、でも実際にはこれといって何をしているわけでもない。ただ授業に出て、サークルにもほどほど出て、バイトも少しはしていた。それまで自分のことを特別だとおもったわけでもなかったけれど、さりとて平凡だとも思っていなかったが、急に随分と深いところに取り残されてしまったような気がしたのだ。
「いや、別にこれっていうのがあるわけではないですけど」
「でも、猫宮さんのアシスタントなんて、高校生の頃わたしがやってたらそれだけで特別な感じしただろうけどな」
「それは、また別の話です」
「猫宮さんって、何かこう教えてくれる感じなの、丁寧に」
「うーん、聞いたらその事実に関しては教えてくれますけど、そもそも猫先生って「人が人に何かを教えられる」ってことに対してぜんぜん納得していないというか」
「え、でもこの横の建物で塾をやってるんだったよね」
「まあそうですけど。でも、結局勉強って、勉強する側がやるかどうかじゃないですか。教えると教わるという関係よりも、すごいところを見せる人と学びたい人、の関係なんだって昔いってた気がします。」
 まあたしかにそれは一理あるような気がする。やりたくない勉強などどれだけやっても身に入らないが、何かすごい人にあったときその人みたいになりたいという意志から始まる勉強は実際身になっているような気がする。仕事をはじめてからは何度かそんな経験があったが、学生時代にはついぞ体験できなかった。
「それでいうと、猫宮さんから何か学びたいことがあったってことなんだ」
 そういうとミドリは笑っていった。
「ほら、自由そうじゃないですか、僕の知っている人の中でも一番」


 久々の東京駅からの遠出だった。新幹線を降りる予定の場所は、今年の初めくらいにきた場所からはちょうど一つ先の駅だ。あの時は山登りなんかには行きたくないといっていた猫宮の代わりにミドリと一緒だったのだが、今回は猫宮がむしろ自分も同行したいということでついてきていた。そういえばあの時も結局は、温泉にはいきたいからということでひとりで後からきていたのだ。
 その三島駅をおりて、そこから在来線で1駅。この辺りのほうが新幹線の駅周辺よりむしろ栄えているようにみえるエリアだが、新幹線が止まる駅と止まらない駅の差はよくわからない。猫宮にそれをいうと「少なくとも人口とは必ずしも関係ない」ということだった。
 駅前のロータリーからは海の方に向かうバスがいくつか出ている。観光客風の人たちはほとんどがそちらに向かうようで、バスの列に並んだりタクシーに乗り込んだりしていた。
「ここからタクシーですか?」
 猫宮がバス乗り場の行列をみて目を細めながら言った。
「はい。でも、結構すぐみたいですよ。ここから」
「僕らの知ってるすぐ、とは違うかもしれませんからね」
「たしかに、東京だと一駅ってだいたい歩ける距離だけど、この辺じゃ無理でしょうね。そういえばここは東海道沿いみたいですけど、駅というのはその当時の宿場町と同じくらいなわけですから、まあ歩いたらそれぞれそれなりの距離にはなるって感じですかね。一駅の間は下手したら10kmくらいあったりするわけですよね。」
 わたしがそういうと、猫宮は振り返って山側のほうを見た。この辺りからはどこから見ようとしても、富士山はほとんど見えないようだ。意外だが、そんなものなのかもしれない。
「日本で一番高い山でも3776mだから、4kmにもならないんですね。ちょっと街に入ったらこうやってほとんどの部分が見えない。距離というのは上に向いているのと、横に広がっているのではだいぶ受ける印象が違いますよね」
 猫宮はほとんど独り言のようになったわたしの言葉に軽く頷きながら、頭では何か別のことを考えているように見えた。

 タクシーにのって、ほとんど特筆することもない道をしばらく進むと右折して駅付近よりはほんの少し高級住宅街といった様子のエリアに入っていった。そこからしばらく進んだ家の前でタクシーは停車した。タクシーの運転手はここには何度か来ているのだ、といったくらいの自信ありげな到着だったので、おそらくここがゆうりたちの実家で間違いないのだろう。
 表札には「広川」と書いてある。姉妹は活動する上で、読み方はそのままで文字の表記を変えたのだろうか。芸名の付け方としてはよくあることだ、と聞いたことがある。この辺りは、ずいぶんと大きな家が多いようだったがその中でも広川家はかなりのものだった。
 事前に伺うことは連絡をしていたので、スムーズに客間に通された。そもそも東京でマンション暮らしをしている「客間」、というものがあることが驚きだ。対応に出て来たのが、どうやらゆうりたちの母親らしい。ゆうりたちも整った顔立ちだったが、この母親にもやはり面影があるような気がする。名刺を渡しながら名乗った後、猫宮を紹介する。広川夫人は猫宮を不思議そうな顔で一瞥したあと、飲みものをとりに一度部屋の外に出て数分で戻ってきた。
「きょうは東京から、ですよね?」
「ええ」
「こんな遠いところまでわざわざどうも」
 そういいながらも、ほとんど申し訳なさそうな様子はない。そもそも娘が仕事を放り出していなくなった、ということに対してもあまり責任を感じたりはしていないようにも見える。実際、責任があるのかと言われたらなんともいえないところだ。未成年なのだからもちろんルール上は親に監督責任はあるわけだが、しかしそういったことがまったく判断できないような年でもないだろう。
「あの、単刀直入にお聞きしますが、ゆうりさん、こちらにはいらっしゃってない、ということですよね」
「ゆうり?ああ、その名前で活動してるんでしたっけ、あの子。」
「あ、ええ」
 そういえば下の名前のほうも芸名だ、といっていたかもしれない。
「まあ私が言ったんですけどね。差し出がましいようですけど、一応本名はそのままには出さないようにって。それに、あの子がアイドルなんて、とてもそんな風には見えなかったんですよ。子供の頃から、自分から表に出ていくような感じじゃあなかったですし」
 それはゆうりの印象とは違っていたが、今は明るく見えるアイドルでも実は学生時代はクラスの中心になるような人物ではなく、暗い性格だったというようなことをいう子は多い。わたしはその一部はあくまでもファンサービスで「特別な人間ではないよ」というためのポーズのような気もしているが、基本的にはそれは本当の場合が多いだろう。つまり、本当にすべての人間関係に満たされたいわゆる「充実している人」がアイドルになるのだろうか、ということである。
「そう、なんですか?」
 ええ、と夫人は事も無げに答えた。
「そうですよ。それで東京に行って以来、こちらには一回も戻ってはいないです。別に戻るな、なんていったわけじゃないですけどね、私も主人も。本人がなんだか意外とずいぶんやる気だったみたいで、しばらくは帰ってこないから、みたいなことを言ってましたね」
「あの、ゆうりさんのことをどこまで聞いていらっしゃいますか?」
「ええっと、マネージャーの坂本さん?でしたっけ。その坂本さんから、何度かお電話頂いたんですよ。あの子が仕事に来ていないと」
「それだけですか?」
「ええ。だからこちらには戻ってきてないです、とそう伝えました」
 広川夫人の言い方は、我が子の話をするにしてもどうにもドライに思える。実際、娘がどういう状況かはともかく姿を消したという話をきいて、そんな風にいられるものなのだろうか。 
「以前にもこんなことが、ありましたか?」
 広川夫人はそれをきいて今度は少し露骨に嫌そうな顔をしたが、すぐに自分の表情の変化に気づいたのかそれを切り替えてしゃべりはじめた。
「ああ、そういえばあの子が中学生の頃でしたでしょうか。随分と長いこと学校に行きたがらないことがありました。引きこもりっていうんですか、結局はわたしたちが説得していけるようにはなったんですけどね、そのあとも学校にいくのはなんだか嫌そうにしていましたね。あの子はそういうところがあるんですよ。協調性がないというか。まあそれも今は個性だっていうんでしょうけど、ほら中学校は義務教育ですから。いかなくちゃいけないでしょう」
「ええ」
 実際にはその義務というのは、親が子供に教育を受けされる義務であって本人が学校にいく義務ではない、という話をちょうどミドリの件で以前猫宮からきいていたことを思い出した。
「だからほらそんな性格ですからアイドルをやる、なんていうのもびっくりしてしまって。どうもあの子の叔父に当たる人があの子のことを心配して、事務所の方?に声をかけたみたいで。まあ、それはありがたいことなんですけどね」
 これもあまりありがたそうには見えない様子だった。
「ええ、そのあたりのことは坂本さんからも聞いております」
「渋谷さん、でしたっけ?あなたは坂本さんと同じ会社からいらしたのではないんですか?」
「いや、わたしはレコード会社の方の担当でして」
「レコード会社というのは、事務所とは違うのかしら。どうもそのあたりに無知で。すいませんね」
「いえ、わかりにくいので、普通はそう思われるかと思います。」
「そちらは猫宮さん、でしたでしょうか。作詞家さんでしたよね」
 猫宮はそれをきいてただ頷くだけだった。
「猫宮先生には今回、ゆうりさんがメンバーとして参加されているこのグループの楽曲の作詞を頼んでいます。いつも色々とお世話になっていて、今回の件を話したらこちらに同行していただけると」
 広川夫人はまた疑問が増えた、というような顔をしながらも、それ以上は自分の守備範囲ではないというように、ふうとため息をついた。
「広川さん」
 猫宮が話始める。先ほどまでほとんど話を聞いているのかどうかもわからない様子だったが、急に広川夫人のほうをじっと見つめていた。
「はい?」
「あなたからみて、ゆうりさんたちきょうだいの仲はどう見えてましたか?」
 夫人は一瞬驚いたような目をして、猫宮に目線を合わせたようだった。
「どうといいましても、小さい頃は、いやでもまあ普通と変わらない様子だったと思いますけれど。この数年は、あまり家で話しているような感じは、そうですねしなかったような。でもきょうだい同士なんてそんなものではないかと」
 わたしはしばらくあっていない自分のきょうだいのことを思い出した。今となってはある意味昔よりも仲良くはできているかもしれない。しかしそれは頻繁には合わないからで、お互いに適度な距離をとれるようになってきたからもしれない。
 その時3人が話していた部屋に若い男がひとり入ってきた。ノックもしないで入ってきたので、この家の住人なのだろうが猫宮なのかわたしなのかの顔をみるとすぐに扉を閉めて出て行った。
「ああ、すいません。うちのものでして。失礼しました」
 家族だけだとおもってはいってきたのだろうか。
「こちらにはご家族のみなさんでお住まいですか?随分大きなおうちで、きょう伺って驚きました」
 夫人がすこし気まずそうな顔をしていたので、わたしが話題をさりげなくつなげた。猫宮は横で少し笑っているように見えた。
「ええ、家族だけですよ。夫の両親と子供たちと。それにこのあたりじゃみんなこのくらいの家に住んでますから。土地だけはたくさんあるもので」
「このあたりで、もしゆうりさんが帰ってきてたとしたら、どこか行く可能性があるようなお友達とかご親戚とか、いらっしゃいますか?」
「さあどうでしょう。親戚はちょっと離れたところですし。ああ、あの子を紹介した親戚の叔父というのは」
「そちらには事務所のほうから連絡をとらせていただきました」
「お友達はどうでしょうね。ほら、あんな感じなので私たちの知っているお友達というのはいなくて。どうですか、そのグループのメンバーの方とはうまくやれてたんでしょうか?」
「ええ、それは」
 実際のところ、それがわかるほどわたしにしてもメンバー同士が一緒にいるところにあったことはなく、ほとんどは個別に話をしたりすることがほとんどだった。特に最近は直接会わないことも多いし、事務的なことや契約などの最初に話さなければいけないことはメンバーそれぞれに話すことが多かったのだ。
 猫宮は、もうこれで話は十分だというような目配せをした。広川夫人にしてももう何も話すことはないし、これ以上面倒なことに関わりたくはないといった様子が隠せなくなっている。
 
 特に大きな収穫もないまま広川家をでて、また駅のほうに戻ることになった。
「猫宮さん、この後はどうしますか?」
 タクシーを呼んで、猫宮に声をかける。
「ここからならそう遠くないんで、港の方によっていきましょう」
「港ですか」
「昔ながらのパターンなら、逃避行は海を眺めるって相場が決まってます」
「それ本気でいってるんですか?」
「昔はね、作詞家っていうのはここの景色を書かせたらこの人、って決まっていたんですよ。逃避行なら日本海、東尋坊とかですかね。東尋坊担当の作詞家がいたわけです。その人は常に逃避行の歌詞をかくし、それを今度は弟子が引き継ぐ。そういう行為が作詞だった時代があります」
「はあ」
「まあでも、確かに、海が見たかったらこの辺りの、駿河湾ではないでしょうね」
「たしかにどちらかというと、たしかに東北とか北陸とか、寒い方に行くイメージですね」
「このあたりと、日本海のほうでは空の色がだいぶ違いますね。それに、漁港ではアイドルの逃避行にはあまりにイメージにあわない、ですかね」
「どこかいきたいところあるんですか?」
 そういうと猫宮はふっと笑った。
「沼津港はどこも魚がおいしいですよ」
「前から聞きたかったんですけど」
 わたしはそういって少し戸惑いながら前から疑問に思っていたことをきいた。猫宮の答えは一応は思っていたとおりだったが、「調べればわからないわけではないですけどね」といいながらもあまりその話を続けたそうではないように見えた。
「あとは、ほら沼津港にある水族館、あれによっていきましょう」
「水族館があるんですか?」
「知りませんか。深海魚専門の、深海水族館です」
「お好きなんですか、深海魚。」
「うーん、どうだろう。そもそも深海魚っていうのは」
 猫宮がそういいかけたときに、ちょうど乗り込んだタクシーの運転手から行き先を聞かれて、ふたりの会話は中断された。猫宮が港の深海水族館に、とつげて後は何かを考え始めたようだったのでわたしは窓からおそらくもうしばらくはこないであろうこの街の景色を眺めていた。見かけないデザインの制服をきた高校生たちが道いっぱいに広がって歩いている。あいりやゆうりもアイドルにならなければこのあたりで彼らのように高校生をしていたのだろう。これから先お互いに名前を知ることもないだろう窓の外の彼女たちが、幸せの体現者であるように見えたのは気のせいでなかったように思う。
 
 タクシーは深海水族館のすぐ近くについた。このあたりは漁港といっても、ずいぶんと観光地化されていて、飲食店も賑わっている。仕事柄地方にいくことは少なくないが、漁港というのはほとんど来たことがなかったし、そこで海鮮料理をとなればさらに珍しい。少し心惹かれたが、猫宮はまっすぐ深海水族館に向かっているようだ。
「そういえば、深海魚って食べられるんですかね」
 向こう側にみえる港の飲食店に心が傾いていたわたしは思わず聞いていた。
「すぐそこのお店でも食べられるみたいですよ」

「そうなんですね」
 水族館そのものはそれほど大きい施設ではなかったが、このすべて深海魚というのだから驚きである。深海魚というのはそれほど種類がいるものなのかと思ったが、猫宮によるとそもそも生態がわかっているものが全体のどのくらいの割合なのかもわからないくらいの量なので、ここにはいない深海魚もたくさんいるのだろう。
「「の仲間」とかって書かれているのも多いですね」
「まだまだ学問上の区別もついていないということでしょうね」
「あ、これがメンダコですね。深海のアイドルだって。あ、今日やっとアイドルを見つけられましたね」
「ああ」
 猫宮は笑わなかった。
「担当カラーは赤かな。まあメンダコはみんな赤なんでしょうけど」
「深海魚は、だいたい体が赤くなるんですよ」
「そうなんですか。」
「深海ではそれが保護色になっているみたいですね。光の届かないところまでくると、赤い色のほうが目立たない。派手なことやるほうがわかりづらいってこともあるんですね」猫宮はそう言って少し複雑そうな顔をした。「でもメンダコって、育成できるのは長くても数ヶ月とかそんなものらしいですよ。だからこの次来たときに僕らが見るアイドルは、同じメンダコって名前だけど、違うメンバーなんですね」
 それもアイドルらしい、という意味でいったのかわたしには猫宮のその話の真意はわからなかった。
「それにしてもゆうりちゃん、どこにいるんでしょう」
「彼女のいるところならわかってますよ」
 その言葉にわたしは立ち止まった。水族館の順路は、この後二階のフロアにつながっているらしい。その階段を登りながら猫宮は立ち止まっているわたしの方を振り返った。
「え?」
「ゆうりさんは、あいりさんのいるところにいます」
 猫宮はいつものように随分と確信をもったいい方をした。
「ゆうりちゃんはいなくなったわけじゃなくて、本当はあいりちゃんのところにいるってことですか」
「まあただ言い方だけの違いですけどね。そうですね、もう少しちゃんと言うのであればゆうりさんはやっぱり一度いなくなって、そしてあいりさんのところにいった、ということになるのかな」
「はあ」
 結局、あいりにせよ、ゆうりにせよ、猫宮とは一度もあっていないわけだが、猫宮は今彼女たちをみてきたかのように話をしている。あるいは歌詞を書こうと考えると、それだけメンバーに心理的には近づいていくというものなのだろうか。
「渋谷さんは、あいりさんとゆうりさんにあって、それぞれどんな印象でした?」
 あらためて二人のことを思い出す。ゆうりを探していたこともあって、このところはゆうりのことばかりを考えていたが、グループを立ち上げた当初はあいりのことも一緒に考えることが多かったし、担当カラーが決まるまで正直どちらがどちらか覚えるのに少し時間がかかったりもしたものだった。
「そうですね。みた感じはまあ姉妹だな、っていう感じでよく似ているけど、あ、でもあいりちゃんはほとんど自分からはしゃべらないからあまりどんな感じかはよくわからないですけど、ゆうりちゃんはうーん、お母さんがいうような感じとはちょっと違って、わたしとしてはアイドルやるのにも結構向いてる感じの子かなと思ってました。」
「アイドルに向いてるっていうのは、具体的にはどういうことですか?」
「人と話すのが好きなのかな、って思ったんです。わたしはそうですね、アイドルってやっぱり結局は人とのコミュニケーションだと思っているんですけど。彼女のほうが、わたしと喋るのも積極的な感じがしたんですよ。」
「ゆうりさんがしゃべっているときでも、あいりさんとはほとんどしゃべらなかった、ということですか」
 そう言われてあいりたちとはじめてあったときのことを思い出した。坂本につれられて会社にやってきたメンバーひとりずつと面談をしたのだ。あのときは最初にあったのがゆうりだったので、あとからきたあいりのあまりに無口な感じに驚いたのだった。そしてあることを思い出した。
「そういえば、わたし二人が並んでいるときに比べてみたことはなかったかもしれないです」
「そうでしょうね」
 猫宮は当たり前のようにいった。
「わかるんですか」
「まあもちろん僕の場合あったこともないので、もちろん推測ですけどね。実は最初に写真を見せてもらった時からそうじゃないかなとは思ってたんです。それで、広川さんのところの、あのご実家にいって、ほとんど確信にかわりました。そうだ、渋谷さんはリビングにあった家族写真を見ましたか?」
「えっと、どんなものでしたっけ?」
 そういうと猫宮はスマホでその写真を写したものを取り出して見せた。いつのまにそんなものをとっていたのだろうか、という顔をすると猫宮は帰り際にちゃんと許可をもらってとりましたよ、と言った。
「先ほどお会いしたお母さんと、こちらがたぶんお父さんですね。それからあのとき途中で入ってきた人、あれはきっとあいりさんのお兄さんじゃないでしょうか。どうしてちゃんと紹介してくれなかったのか、それはちょっとわかりませんけど。それと、あいりさんが一緒に映ってる写真、4人での家族写真がありました」
「ああ、そういえばこんな写真があったかもしれません。あれ、でもゆうりちゃんは写ってなかったってことですか?」
 わたしは何か少し気味の悪い予感がしてきた。そういえば広川夫人は、どこかゆうりのことを他人事のように扱っているように思えたのだ。他人、というよりも他人事だ。あの感覚はなんだったのだろうか。
「いや、そうですね。ゆうりさんも、ちゃんとあの写真にいましたよ」
「あ、えっともしかして写真をとったのがゆうりさんだってことですか?」
 考えるうる限りでは一番まともであろう可能性を話した。もちろん、しかしそれが別の意味でありえないことはよくわかる。
「だとしたら、僕がそれをこの写真だけからわかるのは、かなり奇跡に近いですね」
 猫宮はそういって笑った。
「いや、なにかそれがわかる痕跡があったのかなと思って。わたしはちゃんとみてなかったですけど、猫宮さんはたぶんわたしが話をしている間もあの部屋のなかを色々と観察してたってことですよね。でもじゃあどういうことですか?」
「この写真に写っているお兄さんの方が、おそらくはゆうりさんです」
「え?」
 そういわれて、あの時一瞬入ってきた人物の顔を思い出した。あれがわたしのあったことのあるゆうりだったということなのだろうか。
 しかし少なくともその一瞬でそれが男性であるとわかったくらいなのだから、あれがわたしのみたことがあるゆうりだったというのはとても信じがたい。猫宮はそのわたしの表情を読み取ったかのように続けた。
「と、いってもわかりづらいと思うんですが、つまりあのお兄さんのお名前がゆうりさん、というだけですよ。あの人が、渋谷さんが思っている、つまりアイドルグループのメンバーである廣川ゆうりさんだ、というわけではありません。渋谷さんが廣川ゆうりさんだと思っている方は、その写真であいりさん、と言われてる人物です。」
「これがゆうりさん?それじゃあ、あいりさんの方はどこにいるんですか?」
 と自分でいった瞬間に答えがわかったような気がした。
「あいりさんは、そうですね、そこにいるあいりさんです。渋谷さん、前にも一度ききましたけど、渋谷さんはあいりさんとゆうりさんが一緒にいるときには、一度も一緒にあったことがないんですよね」
「ああ、なるほど、そういうことなんですね。わかりました。いや、でもなんでそんなこと」
「坂本さんはもちろんわかっていた、ということでしょうね」
 猫宮はわたしの話たいことの先を読んでそういった。
「それは、そうですね。もちろんそうなんだと思います。ゆうりちゃんに、いやどっちなんでしょう。猫宮さんのいう通りだとしたら、あいりちゃんがゆうりちゃんという子との一人二役をやっていたということになるんですか?」
「はい。広川さんの話からも、そういうことだと感じました」
 猫宮はそういったが、その真意はわたしにはよくわからなかった。どちらかが本物なのだとしたら、それは少なくとも「あいり」のほうで、「ゆうり」というのはあいりが兄の名前をつかって演じていた偽の存在だ、ということが猫宮にとってはあの広川夫人との会話からわかるようだ。
「広川夫人はこのことを知っているんですか」
「いや、細かいことは知らないんじゃないでしょうか。あのほとんど興味がない感じ、あれはある程度、隠すつもりのないそのままの態度なんだと思いますけどね。」
 たしかにそれでも十分に話は通る。夫人からしてみれば、あいりが東京で「ゆうり」という名前でアイドルをやっていて、連絡がとれなくなったそのゆうり、つまりはあいりを探しにわたしたちがきたということになってるわけだ。
「お兄さんの名前をつかったのは」
「まあ、事実上広川家にあいりとゆうりというきょうだいがいることは嘘にならない、ということなのかもしれないですね。名前に関しては、僕もほとんど推測ですけど」
「いや、でも」
「たしかに、正直現時点では理由はよくわかりません。もちろん、なんとなくのそれをいうことはできますが」
 猫宮がそういう以上、おそらくその理由というのもすっかりわかってしまっているのだろうが、この件に関してはそういった問題ではない。わたしもふくめてなぜそんな嘘をつかれる必要があったのだろうか。それではこんなところまで探しにきたわたしがまるでバカみたいではないか。
「でも、それじゃあ探してもゆうりちゃんは見つからないんですね」
 事務所ぐるみでなぜそんなことをしたのか、ということに対しての怒りよりも、正直なところ自分はどうするべきなのか、ということが頭を支配していた。こういう事情ならは別に4人でデビューすればいいではないか。クライアントの事情で5人ということにこだわっていたのは事務所の方である。なるほど、もしかしたらそれが理由でこんなややこしいことを事務所ぐるみで行ったのかもしれない。ある時点で5人いることにしなければ話が進まない事情があったのだろう。それは今こういう事情でも変わらないのだろうか。絶対に5人だ、といっても別の人間が参加してそれでいいのだろうか。坂本は、別のメンバーをいれるのもやぶさかではないというような言い方をしていたのでなんとなく曖昧になってしまっていたが、やはりわたしはどこかでゆうりがちゃんと帰ってきて、あの5人でスタートをするということを期待していたし、イメージしていたのだ。それは単にわたしの頭の中にあった理想像でしかないのだけれど、結局それを実際に形にすることそのものがわたしの仕事なのである。
 水族館の展示はハイライトのシーラカンスまでたどり着いている。これがここの目玉だと入場する前の資料で見た気がする。このフロアにきてからというものほとんど内容は頭に入ってなかったが、見た目のインパクトで自分が今深海水族館にいることを思い出した。ここには、シーラカンスが5体いますね、と猫宮がいった。数えていたのだろうか、そう言われても目の前にいる2体しか思い出せない。冷凍されたこの二つも、ほとんど同じものにみえてどちらかはただの複製の模型だといわれても疑えないだろう。むしろ、今の自分にはそう思えてきた。
「そうだ渋谷さん、これ」
 猫宮がそういって、ファイルを取り出してそこから紙を二枚引っ張り出し、呆然としていたわたしに手渡した。一瞬そのほとんどが余白に見えるくらいゆったりとした感覚に文字が印刷された白い紙の一枚目の冒頭には、猫宮の名前があった。
「これは、歌詞ですか」
「はい、つくってきました。こうやってデビュー前に色々ありましたけど、でも完成させるんでしょう?曲は」
 猫宮はわたしの不安をもしかしたら感じてそういったのかもしれない。いや、別にそこにはただ単純な不安があるわけではないのだ。むしろ不安はないといってもいい。自分のやりたいことはわかっているのだから。わたしは手渡された紙を見ながら、自分が猫宮に送ったデモ音源を思い出していた。最高のデビュー曲を、と考えて何回ききこんだかもわからないくらいにきいた楽曲だった。

 深いため息がそっと泡になる
 恋が足りない
 違う仕方でそっと呼吸して
 生きていける


「タイトルは「深海」ですか。」
「ええ、ここで見たら、たぶん忘れられないでしょう?」
「そうですね。いや、でもそもそも忘れないですよ」
 わたしはそういって苦笑いした。猫宮はもう水槽の方に目を移している。
「僕たちから見たら必要ないように見えるような、満ち足りているように見えることでも、その場にたってみたら、ぜんぜん足りていないような、そんなこともあるんですね」
「え?」
「ほら、この生き物なんて、こんなに体が枝分かれしている」
「はあ」
「こんなになる必要が、進化のどこかの段階であったって、今の僕らとかこの水槽からはとても推測できない」
「でも、進化ってなりたいように変化するってわけじゃないですよね」
「ええ、そもそも進化っていうのはある個体に対しておこるわけじゃないですからね。でも、どこかの世代が、何か足りないって思ったのじゃないかなって、そういう風に想像することはできる」
「坂本さんや、あいりちゃんには、こんなことが必要だったんですか?」
「ええ。それに、渋谷さんや、他にもまだ足りてない人が、きっといますよ」


 深海水族館から出て、そのままタクシーに乗る。猫宮は、参考資料とおみやげですよといってパンフレットと、限定品のシーラカンスのぬいぐるみを抱えていた。駅からは同じルートでの帰路だ。帰りの新幹線ではほとんど二人とも無言だった。東京駅から、猫宮は直接自宅に帰るというので、そのまま新幹線の改札を出たところで解散した。別れ際に猫宮は、あいりのこともメンバーのことも、ひとつアイデアがあるから明日話しましょう、といった。歌詞のこと以外で彼に何かを負担させるのもしのびない気もしたが、きょうはこれ以上考える気はあまりしない。明日は13時に猫宮の作業場までくるように、ということだった。
 いつもより随分空いているように感じる在来線の座席に座って、猫宮からもらった歌詞を見た。この海の200m以下は、実際にはすべて深海だ、と猫宮はいっていた。つまり海のほとんどは深海だということだ。このグループも、わたしたちの音楽も深い海からスタートするのだろう。きっとほとんどが、そうとしらないだけで、光の当たらないところからはじまっている。
 わたしは何かを忘れているような気がしながらも、むしろ今日のめんどうなことももう一度明日までは忘れて、深い海で眠りについた。

 翌日朝、まずは坂本に電話をかけて状況を確認した。ゆうりは見つかっていない、ということだったが、昨日の猫宮の話を聞く限りではおそらくそろそろ探すのは諦めて契約を解除したと言う話をしてくるころだろう。事務所としても話を進めないわけにはいかないわけで、もしかしたらすでに別の候補を探し始めているのかもしれない。実際にはそもそも5人目のメンバーが見つからなかったということが、こんな出来事を引き起こしてしまっていたのだろうから、そうやすやすとは見つからないだろう。わたしは、それでもとりあえずは坂本に話を合わせることにした。
 スタジオには13時前についた。もうここまでのルートにはすっかり慣れていて、ちょうどいい時間につくようにほとんど何も考えなくても調整することができる。
「あ、かえでさん、こんにちは」
 入って左の奥にある小さな台所スペースに立っていたミドリが入り口までやってきて出迎える。めずらしく何かあわてたような様子で、何かの作業をしていたようにも見えた。
「あれ、なんか作業中だった?」
「いや、ぜんぜん。はやかったですね」
「そう?ちょうどくらいかと思ったけど。あれ、そういえばきょうってここにくる日だったっけ?いつも水曜日はいなかったような」
「あ、いや、僕は特にこの日にくるって決まっているわけでもないんですけど」
 ミドリはそういって、椅子に座った。
「僕が呼んだんですよ」
 奥の部屋から出てきた猫宮が言う。
「ああ、猫宮さん、おじゃましてます」
「ええ」
「それで、きょうの話って」
「ああ、昨日帰ってきて、一応もう一度本人にも聞いてみようと思ったんですけどね」猫宮はそういって、持っていたスマホの画面をタップした。「まあそれで確認はできたんですけど、あとは直接話した方がいいかなと思って。あ、そうだ坂本さんとは話しましたか。まあもう向こうもこちらがわかって動いていることも気づいているでしょうけど」
「はあ」
「新しいメンバー、探してるんですよね」
 実際にはまだそういうことにはなっていないが、しかし現実的には探さざるをえないということは先ほども確認したところだった。
「ええ、それはそうですけど」
「そうそう。だからきてもらってるんですよ、きょうは。本人は、やってみたいって」
 猫宮はそういって、ミドリの方に目をやった。
「え?」
「どうですか?」
 そう言われても急なことで、頭がまわらない。今までイメージしたこともなかったが、よく考えて見たら今一番頻繁にあってる10代で、しかも先日アイドルに「興味がある」といっていたのだから、一度くらいはそのような考えをもってもおかしくはないわけだ。猫宮は最初からこのことを考えていたのだろうか。
「えっと、いや、そうですね。わたしは、良いと思いますけど、うん」ミドリはまだ黙っている。「え、本当に?」
「かえでさんがよければ、僕はやってみたいって思ってます」
「そっか。うん」
 改めてその姿を想像してみると、それは随分とわたしにもハマりが良いように思えてきた。いや、単にこの場の思いつきでそこまで判断してしまうのは危険だということはわかっているが、それでもなぜかそれはまるで問題ない、ある種の確信のようにも思えてくる。それはおそらく、猫宮がそう判断しているということもあるだろうし、その猫宮と一緒に一年弱ではあるがこのミドリというわたしよりも随分としっかりした十六歳とそれなりの時間を過ごしてきたからだろう。
「向いていると思いますよ」
 猫宮がそういった。
「はい、そうですね。わたしも、なんで今まで考えなかったんだろう。いや、でも勝手にそんなこと考えるのはダメか」
「驚きました?」
 ミドリがいった。わたしにはその複雑な表情の意味が、昨日よりも少しわかるような気がした。
「驚いたよ、そりゃ」
「ああ、じゃあ失敗だったかな,、きょうこの話したのは」
「え、どういうこと?」
 ミドリはその言葉を待つ前に、先ほどまでいた台所スペースに向かっていき、そして何かをもってすぐに戻ってきた。
「サプライズ、ふたつ重なったら、あんまり驚かないですよね」
 いつの間にか猫宮は部屋の隅にあるレコードプレイヤーの所に移動して、アナログに針を落としていた。どこかで聞いたことがあるようなシーケンスフレーズが流れ始める。わたしは、なんだかすっかりと忘れていたことを思い出した。
「ケーキ、3人で食べましょう。きょうお祝いしようと思って準備してたんです」
 ミドリはそう言って笑った。それはもうすでに、自分のために輝いている偶像の笑顔だった。


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作詞家です。作曲、アレンジなども結構します。音楽プロデューサでもあります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「#音楽ミステリー小説」も書きはじめました。よろしくお願いします。 ご連絡は info.apriorimusic@gmail.com にお願いします。