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「神の声」で歌う巫女に隠された秘密とは。音楽ミステリー小説第二作「山の神」


 師走、という言葉の意味を毎年語ることになるのは、実際に十二月がほとんど誰にとっても忙しい時期だからだろう。自分にとって師と言える人が誰かということはおいても、とにかく周りの人全員があくせく動いているようにみえる。そういえば、わたしの仕事の周りには「誰々さんは私の師匠である」ということを明言する人も多い。なぜだろうかということを考えてみると、おそらくこの業界は個人個人の方法論が、一般論よりもまかり通っているからだろうと思う。つまり、単純な言葉でいってしまえば「センス」のようなものが重視されるのだ。そしてそのセンスの磨き方を誰から受け継いでいるのか、もっと極端にいえばそのセンスの「責任」を誰に求めるのかというのが「師匠」という言葉でもっともらしく語られている。それでも尊敬すべき先輩や、たしかにセンスがすばらしい人は間違いなくいるのだけれど。
 わたし、渋谷かえでがこの会社に入社して五年目になる今年度のつい先日終わりをむかえた十二月は、これまでで一番の忙しさだった。担当するアーティストが、年末に行われるフェスにはじめて出演したり、年明けからはじまるドラマのタイアップ曲の制作だったりと、レコード会社のアーティスト担当の仕事としては嬉しい忙しさでもあったが、それ以上に紅白に初出演した自社のアーティストの担当が急遽変わることになったり(自分自身がその担当になったわけではなかったが、そのきっかけになった出来事に少しだけ関わっていた)、年明けからの大型ドラマにも出演することが決まっていた自社所属のアーティストにスキャンダルがありその対応に追われたりと(今時、CDを回収しなかればならないというのにはすっかり辟易したけれど)、イレギュラーな対応が多かったのも忙しさの原因だろうと思う。
 そういえば年末や期末になると、交通違反の取り締まりも厳しくなるらしいと聞いたことがある。私は運転はしないし、そもそも免許ももっていないから関係ないといえばないのだけれど、もしかしたら交通違反以外にも警察は何か年末にむけて売り上げをつくらないといけないのかもしれない。うちの会社は三月が期末なので、三月になると帳尻合わせのためのCDがたくさんリリースされる。だからといってクオリティが落ちていいわけではないが、出すこと自体が目的になっているという点では私はいまだにこの文化に慣れてないし、もちろんできることならばあまり慣れたくもない。交通違反の取り締まりだってそうだろう。本来なら、交通違反などないほうがいいにきまっている。しかし、犯罪が何もなければ警察の仕事の多くがなくなってしまう。それならそれでいいような気もするが、実際にはそんな単純な話にはならず、中にはそんな時期だけ「仕事熱心」になる人たちがいるらしい。

「ほんとに大変だったよね、年末は」
 正月が開けて、やっと通常営業にもどった会社の社食で、わたしは久々にあった三つ年上の先輩社員と昼食をご一緒させてもらっていた。入社してすぐに宣伝担当として配属になった部署で直属の先輩だった人で、わたしにとっては一番最初に直接仕事をおそわった恩人でもある。彼女は、かなりアーティストに対して距離の近いタイプだ、とわたしは思っているし、社内でもその評判はかわらない。よく言えば熱い人であり、それぞれのアーティストのことを親身になって考えて宣伝も制作も行っている。私が入社して1年くらいしたころ、宣伝から制作にうつった彼女が最初に担当したアーティストは当時まだインディーズで活動一年あまりのガールズバンドだった。彼女はそのバンドとほとんど生活を共にして楽曲を制作したらしい(本当にメンバーと共同で家を借りて、そこで曲をつくっていたという話をきいた)。わたしなどからしてみれば、いくら仕事とはいえ他人と私生活まで一緒にするなんて、しかも自分以外は今まで一緒に活動してきたバンドメンバー同士の中にはいっていくなんてとても信じられなかった。そのやり方はバンドとの距離を縮めて、より密な関係をつくるにはそれ以上ないものだろう。しかしそのぶんアーティストたちとぶつかることも多く、そのやり方を社内でもあまりよく思わない人もいる。わたしとか彼女は今では大きくは同じ社内にはいるけれど、別のレーベルでアーティストの制作担当をしており、最近ではあまり会う機会がなかった。
 彼女にあうと私はいつも、自分自身はアーティストたちとどう向き合うのが一番いいのだろうか、と考える。どうするのが一番か、ということを考えたところで結局は自分がその都度考えているやり方をとるしかないのだけれど、それでもここ最近アーティストを直接担当するようになってからもまだ彼女のように、本当の意味でアーティストと向き合って仕事をしたことはないような気がしていた。それが本当のところ、アーティストたちにとってよいことなのかどうかはわからないが、それでも彼女の生き方は少なくとも一本筋が通っているようには見える。
 彼女は、つまり自分がよいと思ったものを世に出すということについて、それをずっとやり続けているということなんだろう、と私はずっと思っていた。そしてそれは運がいいからできるのだ、とも。わたしも、これまで自分がいいと思ってうちの会社で契約してデビューさせたら、と思うアーティストをいくつか提案したことがある。しかしそのどれも
、思ったようにうちからデビューしたことはなかった。他の会社からデビューして、しかも今では売れっ子になった新人もいた。テレビで見かけるたびに目をそらしてしまうのは悔しさなのだろうか。もし私が担当できていたら、こんな風になったはずなのに、と考えてしまう自分がいやになる。
 だからいつも会うときは色々と話をきいてみたいと思っていたのだが、この日はたまたま、いつもよりはやめにいった私と出社の時間が重なって、そのときに、お昼でもどう、と声をかけてくれたのだった。
「小林さんの方も、結構影響があったんですか?」
「そうね。例のほら、CDの回収とかでさ。今は社内でレーベルが違うけど、もともとはうちのほうにいたこともあったりとか、他にもその人がプロデュースしてるアーティストがあったりでその対応。そもそも中では別々とはいっても、外からみたらぜんぶうちの会社で出してるものってことでひとくくりに思われちゃうからね」
 小林がいっているのは年末にスキャンダルをおこしたアーティストのことである。これまで発売されたCDを回収したり、音源の配信をすべてストップするほどの騒ぎになっている。自分がいいと思った良いアーティストの担当ができるのも運なら、このような大変な騒ぎになるアーティストの担当になるのも運である。自分がその立場だったらと思うとぞっとしないが、自分が好きで関わっていた接していたアーティストがそんなことになったらと思うとそれはそれでどうしていいのかわからない。
「ややこしいですよね。私たちでもよくわからないうちに、社内の部署の名前や人もかわりますし」
 わたしは当たり障りのない返事をする。
「そっちは、どうだったの」
「えっと、同じような感じだと思います。回収しなきゃいけないものはたくさんあって、私は配信とかの対応だったんですけど。でもこんな回収とかって、本当に意味あるんですかね?」
「ないよ」
 小林は断言した。こういうところが、わたしから見てもアーティストからみてもまずは信頼できるところなのだろうが、逆に会社員としてみると組織と対立しやすいともいえる。わたしなどはそう思っていても、なかなか断言はできない。基本的には上司からの指示通りに動くしかないし、それをある程度は正しいことと思い込んで動くしかないからだ。
「ないですか」
「ない。だって配信にしたってもうすでにダウンロードしている人や、もっといえばもともとCDを買っている人にとっては何も関係ないし。それを今更返金するから返してくれって言いに行くわけじゃないだろうしね。あとはストリーミングとかYoutubeか。まあたしかに今、Youtubeにないってことはそのアーティストが存在しなくなったのも同然だ、という考え方は頷けなくもないけどね。そもそも、スキャンダルを起こしたアーティストの楽曲を聞けないようにするとか、売らないようにするっていうのが完全にナンセンスだよ」
 それはわたしもその通りだと思った。例えば、その楽曲が誰かの権利を侵害しているとか、具体的に誰かに被害を与えている、ということであればそれ自体は懸念すべき事項である。しかし例えばアーティスト自身が逮捕されたとして、それとその楽曲の価値には本質的な関係はない。誰がつくった曲だろうと、いい曲はいい曲だろうし、聴く側にしてみれば、突然自分の好きだった曲を聴く権利を奪われることになってしまうのは変な話である。
「なんでこんなことするんでしょうね、うちの会社も」
「結局さ、みんな責任を取りたくないんだよ」
「文句を言われる前に、責任を取らされる前に、その原因からなくしておくってことですか?」
「うん、でもいまじゃあ、その会社の姿勢が結局ネットとかで叩かれているわけだけどね.。まあ世の中がそういうことに厳しくなってるのも事実だよね。入社した頃とか、先輩の武勇伝のように昔は社員もあぶないことくらい経験として一度はやっとけみたいな風習もあったなんて話聞かされたし。それこそ、ドラッグのオーバードーズで死んだ同僚の話とかね」
「バカみたいですね」
「バカみたい、じゃなくてバカだね」

「ってわけで、年末は大変だったから、年明けからしばらくちょっと旅行してたんだよね」
 と小林が話を急に変えた。わたしにしても年始から社内の暗い話をこれ以上続けたかったわけもないので、そのままのっかることにする。小林が休みをとるというのも珍しい気がしたので、その中身にも興味があった。
「いいですね。海外ですか?」
「そう思ったんだけど、さすがに国内。まあ何の連絡くるかわからないし。ってそんなこと考えちゃうのもいやなんだけどさ」
「なるほど」そういえばここ数年ライブなどの仕事以外で東京を出たことがない。旅行にいきたい、という気持ちがないわけではないが、それではどこにいきたいかと言われると具体名は考えられないくらいの微小な熱量だった。「それで、どこにいったんですか?」
「まあ近くだよ。温泉地にしばらく滞在してね。あとはその近くをぶらぶらしながら、ちょっと作業したりとか」
「えー、いいですね。なんか文豪みたいですね、温泉地に逗留して、なんて」
 その文豪のようなクリエイター的なイメージは、小林にはぴったりだった。小林の思い切りの良さと行動力は、アーティスト以上にアーティストらしいところがある、とわたしは常々思っていた。
「うん、そう思って一週間予約してみたんだけど、ま、正直三日くらいで飽きちゃった。それで近所とか、県内の別の場所を色々電車で回ったりとか。」
 ごめん、おみやげはないよ、と言われたが、正直おみやげなんていつももらってもちゃんと消費できないものが多いので助かった。小林はおそらくライブやレコーディングにも無駄な差し入れを持って行かないタイプだろう。いつも、みんなが持ってきてはほとんど余ってしまって結局最後にスタッフが持って帰ることになる。余るぐらいに差し入れをもってくることが美徳であると考えている人たちもいて、新入社員の頃にそんな風に教わったりもしたのだが、何をもっていこうか考える時間も加えたら時間にしてそれなりの損失だ。偶然、みんなにあげたいものがみつかったときだけもっていけばいいだろう、と思うけれどもなかなか実行できずに、いつも無難なお菓子あたりを持って行ってしまう。それなりの値段のものならいいだろうと考えてしまう自分がいつも少し嫌で、領収書をみるたびにそれを思い出していた。
「どこか、面白いところはありましたか」
「うん、三日くらいは電車で適当に回ってみたんだよね。事前にしらべたのは、各駅がそれぞれどのくらいの乗降客数があるのかってこと」
「なんでまたそんなことを」
 とはいったものの小林の変わった、というよりひねくれた性格がよく発揮されている発想には思えた。
「いや、一番少ないところから行ってみようかなと思って。それでまあ2日目かな、とある駅で降りたんだ。幹線沿いでは県内でもトップクラスで乗降客が少ない駅だったね。実際わたしが降りた時も一緒におりた人はゼロ。改札に駅員もいなかったから、ICカードがなかったら逆にどうするんだっていう、新しいのか古びてるのかわからない感じ」
「そう考えてみると、ICカードなんかは田舎の駅でも別の意味で役に立ってたりするのかもしれないですね」
「かつてはどうしてたんだって話だよね。無用な人の仕事をなくしていってくれてるのはたしかだ」
「でもそんな駅でおりて、観光するようなところあるんですか?」
「うーん、とりあえずぱっと見はなかったね。駅をおりて、とりあえず目の前はいきなり駐車場。コンビニすら駅前にはなかった。少しいくといわゆる旧道っていうのがあって、駅の案内をみる限りではそこに少し古い街並みが残っているとかってことだったからとりあえずそこまでいってみるかって感じで。東海道とか何とか道みたいな、そういうやつ。宿場町っていうのかな?それが残ってるんだって」
「へえ」
「興味ないでしょ。私もなかったけど。まあいってみても大したことはなかったね。古いといえば古いけど、ただ古いだけで、どのくらい古いのかわからない。このくらいならどこにでもありそうだし、まあ実際あるんだろうけど。えっと、まだ時間大丈夫かな?この話、もうちょっとあるんだけど」
 今のところ、小林がこの後何を話そうとしているのかはよくわからなかったが、この人のことだから、なんでもない話をすることもないだろう。この後は、新年の挨拶をしに去年はじめてあってから数回お世話になった(向こうはお世話をしたつもりもないくらいのことかもしれない)作詞家のところに行こうと思っていたところで、彼にいわせれば彼のスタジオは誰がいつくるか、わかったものではない、ということなので、私としては伺う時間も決めていなかったし、おみやげはもう買ってあるから特に問題はなかった。
「大丈夫ですよ」
「よかった。誰かに話したかったんだけど、戻ってきてから誰にもゆっくり話す機会がなくて」

 小林侑子がほとんど人のいない築五十年にはなろうかという駅を降りて、旧道の古い町並みを歩き始めたのは十三時頃だった。駅前の道路だけはほんの少し綺麗になっていて、そこをまっすぐ山の方に向かうとすぐにその旧道にぶつかった。このまままっすぐ山の方にも舗装された道は延びているが、車も人もそちらに向かうものはない。そこから右におれて、旧道に入る。古いといえば古い街並みだが、時代はわからない。宿場町ということであれば本当に古ければ江戸時代からということになるのだろうが、まさかそんなことはないだろう。駅でみてきた地図で確認する限り、道はおそらく東西に延びている。古い民家を横目にみながら、5分ほど進むと左手、つまり山側に神社が見えてくる。名前は忘れたがなんとか稲荷神社と書いてあった。近づいていくにつれて、旧道に入ってすぐくくらいから響いていた太鼓の音がそこから響いていることに気がついた。そこにつくまで、人とまったくすれ違わなかったこともあるが、その分のこの街の住人がそこに集まっているのではないかというくらいに人が集まっていた。境内はお世辞にも広いとはいえない。東京の小林の家の近所にある、小さな神社(一人暮らしをはじめた最初の年の正月にきまぐれでいったことがあるくらいだ)と大差ないくらいで、むしろ土地の広そうな田舎でもこんなものなのかと思った。境内への入り口は左手にあるが、外からでも中の様子が十分見渡せるくらいだった。3,40人くらいが集まっていて、屋台というほどではないが白い屋根のテント(自治会の名前がかいてある)が3つほど出ている。ひとつではどうやら甘酒が配られているらしい。
 小林は入り口の近くでその甘酒らしきものを飲んでは白い息を吐いていた妙齢の女性の二人組に声をかけた。
「あの、すいません。これは何かのお祭りですか」
「あら、あんたこの辺の人じゃないね?」
 と、紫色のダウンジャケットをきた六十歳くらいの女性がこたえた。
「そうなんです。旅行できて、このあたりを偶然歩いていて。人がたくさん集まっていたもので」
「旅行でここで降りるなんて珍しいこと。なんかそんなテレビ番組あったじゃないなんだっけ。なんとかひとりたび?」
 ともう一人の女性が笑いながらいった。
「でもまあテレビでやるような面白いことはないもないしねえ。この辺で毎年やってるお祭りなの。今からこの神社まで、地元の子供達が行進してきて。2キロくらい、ずっと東のほうの町役場の方から歩き始めて。結構大変よね。なんだか袴みたいなのをきて、色々棒みたいななんかを持って歩いたりするんだから」
「なんですかその棒って?」
「さあ?あれはそういえばなんなんでしょ。きょうはうちの孫も参加するのよ」
「お孫さんがいらっしゃるんですね。えっと、これは何かこのあたりでは有名なお祭りなんですか?」
「さあねえ、私がここにきてもう30年以上になるけど、そのころからずっとあるとは思うわよ。」
「このままわたしも参加しても大丈夫ですか?」
「ええ、別に私たちも参加しているっていうよりもただ近所から来ているだけだし。あ、でもあそこに町内会長さんがいるから、一言いってみたらいいんじゃないかしら」
 といって、紫色のダウンジャケットの女性が、町内会長と呼ばれたこちらは70代くらいの男性を紹介してくれた。小沢という町内会長は、明らかにこの辺りには普段いなさそうな若者がきたなというような顔を、あらかじめ準備していたかのようにしていたが、すばやく表情をかえて小林を物珍しそうに全身見渡した。
「えっと、すいません。通りがかっただけなんですけど」
「ああ、ええ、構いませんよ。ぜひ観ていってください。この後、ここに子供達の行進がきて、その後はいける人は山の上にある本社のほうまで登るんです」
「え、この後ろにある山ですか?」
「ええ、もともと祭りとしてはそちらがメインなんで。神楽があるんです、巫女神楽」
「みこかぐら?」
「まあ要は巫女が、神さまの前で踊ったりという感じで。ちょっと珍しいものだとは思いますけど。どうです、よかったらそちらも参加して行ってくださいな」
「いいんですか?」
「ええ、別に減るものでもないですから。まあでも山を登るのが大変じゃなければですけどね」
 といって、小沢は山のほうをみた。
 神社の右手にはコンクリートの坂がのびていて、そこから山の方につながっているようだ。そこから上を見上げたが、近すぎて上のほうがほとんど見えない。見える範囲ではしっかりとコンクリートの舗装された道が続いているようだが、小沢の発言から察するにおそらくどこからかはいわゆる山道になるにちがいない。どのくらいの登山になるのかはまるでわからなかった。
「まあ三、四十分くらいの道ですよ」と小沢は事も無げにいった。それなりの年齢にみえるが、この小沢も一緒に登るのだろうか。
 そんな話をしていたら、行進が境内に入っていた。小学生くらいだろうか、年齢はバラバラの子供達が袴をきて、棒の先にお飾りのようなものをもって並んでいる。先頭には神主だろうと思われるこちらも、袴をきた40代くらいのかなり背の高い男性が歩いている。テレビでみたことのある神事のようにゆっくり歩くということもなく、普通にすたすたと歩いてくる感じだったが、さすがに神社の建物近くになるとその歩みはやや遅くなった。子供達は、自分の親をみつけたのか、それぞれあちこちの方向をみており、中には手を振ってしまっている子もいた。親や祖父母たちも手を振り返していて、きちんとしたお祭りといった雰囲気はない。
 行進は神社の境内の前までくると、神主から順にこちら側に向き直って、順々にお辞儀をした。子供達はこれでお役御免のようで、それぞれ親元に駆け出している。本祭(と言ってたのだと思うのが、実際には定かではない)に参加する子供は中で着替えてから参加するように、というお達しがあった。着替えを持ってきた親が紙袋などを子供たちに渡している。子供たちは、といっても向かったの5人くらいだったが、境内の横にある倉庫のようなところで着替えているらしい。神主や、町内会長などはすぐに境内の中に入っていった。
「こちらで簡単な食事をとってから登るんですよ」小沢が入りがけにそういった。「よかったら、どうぞ」
「いや、でも、たまたま通りがかっただけですし」
「いいんですよ。実はちょっと急遽来れなくなってしまった家族がいて、料理も余ってるんです。」
 そういうと、小沢は小林を境内の中に招いた。そこにはテーブルが4箇所に置かれていて、それぞれの場所に寿司などがいれられた桶が置かれている。
「あの、ほんとにいいんですか?あとでお金払いますので」
「いやいや、どうぞどうぞ」
 神主も小林に座るように促した。先ほどの行進のときはそれなりに神妙な面持ちをしていたが、すっかり破顔している。珍しい客に対して、基本的にはみなウェルカムのようだった。とはいえ、他にはもちろん知り合いもいないし、忍びないことに変わりはない。
「ああ、今日は東京からのお客さんも他にもいるし。ねえ、飯塚さん?」
といって、神主が声をかけた方向をみると、40手前くらいにみえるがすでにかなり頭髪の寂しくなっているスーツ姿の男が返事をした。
「ええ、はい。でも私はそうはいっても、もともとは隣町の出身なんですけどね」
「あれ、そうなんですか?」
「前に、取材の申し込みをしたときにお伝えしたじゃないですか。」
 といって飯塚といわれた男は頭をかいた。
「こちら、東京の出版社から取材にこられた飯塚さん、えっとこちらは」
「あ、すいません急遽通りかかって参加させてもらってる小林といいます」
「小林さんねぇ、こんなところに偶然ですか」
 飯塚は舐め回すように小林をみた。その動きはやや気持ち悪いが、正直もっと気持ち悪いマスコミ関係者はたくさん対応したことがある。それに彼は取材でわざわざ申し込んでここにきているらしいし、突然で参加しているこちらのことはあまりいい気はしないのだろう。
「ええ、ほんとに偶然さきほど通りかかって」
「へえ、あれ、小林さんでしたっけ、私とどこかであったことありませんか?東京からいらしたんですよね」
「そうですか?初めてだと思うんですけど」
「ほんとですかね。なんかあったことあるような気が、もしかしてこっちの業界の方?」
「いやいや」
 こっちというのがどっちなのかわからないが、ここはなんにしても否定しておくのが正解だろう。
「あーでも、知らないできたってことか。へえ、じゃあびっくりするかもね」
「え、何がですか?」
「この後のことは聞いてる?」
 話しているうちに、町の人たちがどんどんとはいってきて、それぞれテーブルついている。流れで結局この飯塚の隣に座ることになってしまった。飯塚はすでにテーブルの料理に手をつけていたし、ビールも自分で瓶をあけて飲んでいるようだった。
「この後って、山の上にある本社に登るんですよね?」
「そこで巫女神楽があるんだよ」
 この男はすでにタメ口になっている。業界人特有の、すぐに距離を詰めてくる感じがやはり気に食わない。
「それも聞きました。」
「びっくりするから」
 飯塚がそういうと、神主がテーブルを回って、それぞれの机におかれた金属製の盃に、こちらも金属製の酒器をつかって酒をついでいた。
「小林さん、大丈夫ですか?お酒は」
「あ、ええ、いただきます」
 わたしはビールいただきますよ、といって飯塚が口をはさんできた。
 注がれたお酒は燗にされていたようで、まだ暖かい。作法がよくわからないが失礼にならないようその場ですっと飲み干した。一口だったが、普段ほとんど日本酒をのまない小林にとってはずいぶんと強い酒のように思えた。
「これはこの辺でつくったものなんです。おいしいでしょう。どうですか、もう一杯?」
 そういって神主がすすめるので酒をついでもらう。他のテーブルでは、すでに自分たちで各々酒をついでいるようだった。
「みなさん、この後山登りなんだから、あんまり飲みすぎないように。ほら坂本さん、だめですよ、そんなのんじゃ」
 といって、神主は別のテーブルの年配男性の元からお酒を取り上げた。横で笑っているのが、先ほど町内会長を紹介してくれたうちの一人なので、その夫なのかもしれない。しかしながら、連れ合いの酒をとめようとはしていなかった。

 結局、三杯の日本酒と、飯塚につがれて仕方なくビールを1杯飲んだ頃に、神主の掛け声があって、みんながぞろぞろと境内を出て、その横の道から山に登り始めた。小林は最後方になってしまった。すぐ前には飯塚がカメラをもって、のぼっていく町の人たちや、坂道から見下ろした神社を撮ったりしており、一応仕事をしているようである。もっとも、彼がいったいなんの取材にきたのかいまいち本人の話からはよくわからなかった。 
 山道は、整備されているというほどではないが最初の半分くらいはきちんと階段状になっていて、登るのにはそれほど苦労しなかった。途中まで登ると、山の中腹を通っている道路(高速道路だろうか?)の下をくぐって少しあがったあたりにベンチがあった。そこまで登ると、山とは反対側がひらけてきて、景色もよく見える。海が見えるが、この時間はちょうど太陽の光が海面に反射して、海側を見るのは少しまぶしい。駅についたときはあまりわからなかったが、この辺りは海と山の距離がかなり狭いらしい。そのベンチをこえたあたりから、道は土が均されただけの坂道になっている。
「大丈夫ですか、小林さん?」
 飯塚が顔をカメラを向けながら聞いてくる。山登りのペースはあまりかわらず、小林は集団のなかでかなり後ろのほうを歩いていた。飯塚は時々写真をとるために最後方に下がったりしていたが、また少し前にもきたりと結構な体力があるようだった。さきほどおもったよりも飲んでしまった酒がきいてきたのか、少しあたまがくらくらとしてきた。飯塚がむけるカメラも先ほどよりも気にならない、というよりもどうでもよくなってしまっている。
「大丈夫です。それ、撮ってるんですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。この写真は使わないですから。ただの記念です。ああ、でも小林さんってここにいることのわかる写真が世の中にでたら、結構まずいって感じの人ですか?」
 飯塚は勝手に話をひろげている。

 看板なども何もないまま、道が少しひらけたあとに、垣根にかこまれた場所が見えてきた。集団が先頭の方から、その垣根の中に入っていく。どうやらここに神社があるらしい。神社の建物自体の大きさは下にあるものよりも、また一回り小さいがデザインは似ているように感じた。登って来たひとたちはその境内の中心をぐるっと囲うようにしてたっている。小林も、神社と反対側のあたりに空いているスペースをみつけてそこに入った。飯塚もとなりにはいってくる。真ん中のスペースには炭のようなもので黒くなっている場所がある。
「あれは?」
「ああ、火渡りですよ?」
「ひわたり?」
「無病息災とかを祈って、火の間を歩くみたいなやつ、知りません?」
「聞いたことはあるかもしれないです」
 よくみると炭のあるところの間に少し人の通れるスペースができている。ここを歩くのかもしれない。残っているあとは、全員がくる前にリハーサルのようなものが行われたのだろうか。
「ここの火渡りは、それ自体が神楽になっているんです。つまり火の間で歌うっていうね」
「それはすごいですね」
 すぐにどこからともなく神主とは別の黒い作務衣のようなものをきた男が現れて、火が放たれた。すぐに全体に燃え広がって、膝の高さくらいまでの炎になった。ぱち、ぱち、という火の音は、まだざわざわとしている人の間をぬって耳に届いてくる。
 音が全員に届いたころだろうか、先ほどの作務衣の男が正面にある社殿の扉をあけると、そこには全身を白装束につつまれた女性がたっている。ここからだと炎の向こう側に、その体が揺れているようで、彼女の背が高いのか低いのかもわからない。髪も長いようにも短いようにも見える。あれが巫女なのだろうか。
 女性は、ゆっくりと社殿の扉から出てほんの数段しかない階段をおりた。そしてそのままこちらに近づいてくる。炎は風に煽られたのか、さきほどよりも強く揺れているようだ。その向こうで、白ずくめの装束に肌も透き通るように白い巫女がいる。その姿も揺れていて、小林の目からも何重にもなってみえていた。
 いつのまにか呼吸を止めていたことに気づく。いや、気づいたというのは間違いかもしれない。実際に呼吸をとめていたのは、呼吸をとめても大丈夫なように思えていたからだ。あたりはもううっすら暗くなっているが、その中で炎と巫女だけが空間を支配するように光っていた。巫女は火の中に入り、その小さな体を動かし始めた。火の中を、こちら側と社殿の側でいききしている。すでに、その向こう側でとりかこんでいるはずの、一緒にここまで登って来た人たちの顔は火の奥の暗闇にきえていた。飯塚がとなりで何かをいっているが、それも頭にはいってこない。小林の目も、そしておそらくは耳も、その巫女と火だけに向かっていた。
 そして、その巫女は、小林のまさに瞳の中に入り込むように、その全身で歌い始めた。


「それは、その小林さん自身の表現?」
 と、猫宮がコーヒーを口にしながらいった。
「そうですよ、できるだけそのまま話しています」私は、いつも通り彼のスタジオの入り口すぐのソファで彼と向かい合って座っている。「なんというか詩的な表現ですよね。小林さんらしいというか」
「詩的かはわからないけれど、真には迫っている感じは」
 猫宮はいつもの調子でゆっくりといった。
「詩的じゃないですか?」
「僕は詩的だと思いますけど」
 隣にいたミドリが答えた。先日きたときに紹介されたばかりだが、今日も手伝いにきていたようだ。新年の大掃除だという。ミドリは、まだ十六歳で普通なら高校にいっている年だし、その時間だろう。高校一年生の年だから、そんなに忙しい時期ではないが学校は今きっと受験を控えた三年生たちでピリピリしていることだろう。ミドリはすでに高校はやめているらしい。猫宮は作詞家だが、スタジオの横にある空き倉庫のようなスペースで「塾」という学習塾も経営している。猫宮本人にいわせると「経営」というほどのものではなく、この物件を譲ってもらった際にそのままそこでやっていたその事業も引き継いだだけのようだ。実際には猫宮がそこで何かをすることはなく、せっかく母校の近くだということで後輩の大学生たちに働かせて、中高生を教えている。人がいないときは猫宮が教えることもたまにあるらしく、ミドリはその教え子の一人らしかった。ミドリは高校に合格して入ったがすぐにやめて、時々ここに手伝いにきていると前回あったときに本人が説明していた。
「議論をしたいのなら、まあしてもよいのだけど、それじゃあ君はどういう意味で詩的だっていうのかな?」
 めんどうそうな口調ではあるけれど、表情そのものは話を楽しんでいるように見える。今日も、急にここにきて、もともとの予定とは違う話をしているのにもかかわらず、むしろ本題に入らないことを喜んでいるようにも見えた。
「つまり、具体的に、あるいは直接的にそのものを表現するわけではないけれど、かといってその光景が想像できないわけでもないところです」
 ミドリがそういった。高校生のころに、もし国語の授業でこのような質問をされたら自分にこんな回答ができるだろうか。
「なるほど。すごいね、わかりやすい」とわたしは思わず口に出してしまう。
「うん、説明としては悪くない。そうだね、それじゃあ例えば「丸い四角」というのを考えてみよう。」
「丸い四角、ですか?」とミドリがいった。
「そう、丸い四角。イメージできるかな?つまり、その光景を想像できるかなってことだけど?」
「できないですね。丸いことと四角いことは矛盾しています」
「でもね、君はいま実際には何かを想像しただろう?例えば角が尖っていない、よく見ると少し丸くなったような正方形を」
たしかに私もそういった形をイメージしていた。しかし、それは丸い四角のようには思えなくもないが、確かによく考えてみると本来の意味での四角ではない。なぜなら角が丸まっていればそれは四角形とは言えないからである。
「まあたしかに、そう言われたら、なにも想像してないわけではないです。」
「想像できないわけではない、ということだね。そして、丸い四角という表現は具体的だ。」
「うーん、そうなんですか?」と私も口をはさむ。「丸い四角というのは、具体的に何かをさしているようには思えないんですけど」
「かえでさん、多分猫先生がいっているのは、丸い四角というのは具体的な性質を表している、ということだと思います。」
「え?」
「たとえば、優しい味がする、という表現があると思うんですけど」
「うん、よく聞くね」
「それは具体的ですか?」
「具体的、じゃないような気がする」
「そうですよね。味というのはある種の性質ですけど、その味が優しいかどうかというのはまったく具体的じゃないんです。でも、丸い、とか四角いっていうのは触ればわかる、物体の具体的な性質です。」
 猫宮は横で頷いている。
「えー、でも丸い四角なんて、実際にはないわけじゃない。実際にないのに、それでいて具体的なんてありえるの?」
「それじゃあ、例えばペガサス、まあこれは本当によく哲学の例で出されるものですけど。まあ丸い四角もそうですけどね。どうですか、ペガサスって想像できますよね?」
 と、ミドリが説明した。
「うん。つまり、白い馬で白鳥みたいな翼が生えてて、空を飛ぶみたいな感じの」
 わたしは頭の中で、かなり幻想的な雰囲気のペガサスを想像してしまった。何かのブランドのデザインでみたのだったのだろうか。それを自分がかったわけではなくて、誰か大学生の頃の友人がもっていたアイテムだった気がする。いや、あれはユニコーンだったかもしれない。どちらにしてもそれは実際この世にはいないのに、その姿をイメージすることはできる。
「でも、ペガサスは実際には存在しない。それなのに、今僕らは全員かなり具体的にそれを想像することができている」猫宮はこちらをみた。「丸い四角や、ペガサスは詩的な表現だと思いますか?」
 話をふられたが、そもそもいったい何についての話でここにたどり着いたのかよくわからなくなってしまった。
「えっと、すいません、なんの話をしていたんでしたっけ。ペガサス自体が詩的だとは思わないですけど、ペガサスが出てきたら、それは詩とか、少なくともフィクションなのかな、とは思いますけど」
「ああ、なるほど」と、ミドリが言った。「具体的ってことと想像できるかってことは、詩的かどうかとか表現の問題とは関係なく、もっと存在のレベルそのものの問題であるってことですね」
 猫宮はうなづいている。
「そうともいえる」
「でも、だとしてもそういった存在のレベルそのものを問われるような対象について、これまでなかったような表現ができるってことが、この場合は詩的だっていえるんじゃないですか?」
「少し飛躍もあるけれど、実際にそもそも詩っていうのはそういうものとして生まれたのだろうね」猫宮はさらに自分にいいきかせるように「だから、僕なら詩的というのは「結果的にはそうとしか表現できないけれど、そう表現することがそれまでなかったもの」というように考えている、という感じかな」
 ああ、だから、とミドリが言った。「猫先生は、誰の表現なのか、って確認をしたんですか」
「そもそも、詩的だと言い出したのは僕じゃない」と猫宮は笑った。「それにしても、なかなか面白い体験をしたみたいですね、小林さんという方は。偶然いった場所でそんなことがあるなんて。で、きょうそれを聞いてきたってわけですか」
「あ、そうなんです。すいません、いつもながら。本当はきょうはお仕事の話をさせてもらえればと思ってきたんです。今度、あらたにアイドルグループの制作を担当することになって。猫宮さんにそのグループの歌詞をお願いできればと思ってまして。」
 猫宮はそれをきいても特に表情を変えなかった。特に悪い反応、というようにも見えなかったので、仕事自体は受けてくれるのだろうか。しかし、それ以上に実はきょうは小林から聞いた話のインパクトをこの人がどう受け止めるか、ということにも興味があったのだ。
 猫宮という作詞家にあったのは去年がはじめてだったが、彼の作品はこれまでなんどもきいたことがあった。猫宮の選ぶ言葉は、シンプルにこれまでどこでも体験をしたことがないものだ。それらの「単語」自体はむしろどれも聞いたことがないものではない。どれもその意味をしっかりと理解しているはずだ、と自分で言える。しかし、その組み合わせ、メロディとの結合を感じた瞬間に、それらはどこにも存在しない新しい意味合いを持ち始める。それまで存在していなかった新しいものが、存在していたものたちの組み合わせでうまれてくるのだ。それは単に加法的にうまれてくるわけではない。素材が既存のものでもその組みあわせが新しくなっている。そして、それらはもう一度ばらばらにしたとしても「元の知っているもの」には戻らない。もうその言葉をみたときに、その意味は「新しい意味」のほうにすっかり引き寄せられてしまっているのだ。
「意味のないものに、意味をもたせること、というのが詩的って言葉の意味っていうのはどうですか?」
 ふと、猫宮の歌詞をイメージしながら思いついたことをいってみた。
「なるほど」ミドリが関心したような口ぶりで、頷いた。「それは面白いですね」
「でも、そういえば、それで考えてみると、小林さんがいったようなお祭りとか、こういう祭事っていうんですか、それも意味のないものに意味を持たせる作業なんですかね」
 とわたしはおもったことをさらに続ける
「たしかに、なんでそんなことしてるんでしょう」ミドリがつぶやく。「僕の親が住んでたところでも、なんか毎年不思議なお祭りがあったっていってました、そういえば」
「別にそんなに難しく考えることじゃないよ」と猫宮がいった。「元々は、農作に関連した神事とかそんなところだと思う、大半は。そういった神事は、日本に限らず世界中にある。」
「そうなんですか?」
「そう。それらに現代的な感覚で意味があるか、ないかっていうのはほとんど問題として考えるに値しないものだろうね。逆にその祭りが始まった当初は、むしろ意味のあるものを、意味のわからない領域におしやるために、やっていたのかもしれない」
「意味のわからない領域、ですか?」
「神事を行う以外の人が、その意味を理解してもらったら神事を行う人たちの特別性がなくなってしまうから。農作物の出来を祈ること自体は、むしろ農家の人たちからみれば意味のないことではないよね?」
「まあ、それはそうですね」
 ミドリが答える。
「でも、それを祈る行為が誰にでもできるものとか、いつでもできるものになってしまったら、神職は仕事を失ってしまう。だから、普通の感覚では理解できないような意味のわからない形式にそれをもっていってしまう」
「なるほど、それはちょっとわかりました」
 わたしはやっと理解がおいついてきた気がした。
「人は自分の理解できる範囲でしか、物事をすごいとは思えないから」
 そこまできいてわたしは話を強引にもとに戻した。
「で、猫宮さんはどう思いますか?この歌い手、巫女神楽のこと。小林さんは、あんな体験は今までしたことないって、相当に感動したみたいです。とにかくもう、むしろその歌の前後の記憶がなくなるくらい、すっかり声に吸い込まれっちゃって。あの歌い手を東京につれてきて、絶対にCDを出したいなんていってますけど。小林さんがそこまでいうのって、本当になかなかめずらしいことなんですよね」
「でも、それって場の雰囲気にのまれてたんじゃないですかね」
 ミドリがいった。それはたしかにそう思えなくもないくらい、不思議な状況で歌をきいたのだから、その歌だけが要因じゃないようにも思えるのは当然だ。
「まあそういうならいいんじゃないですか、やってみれば。それに僕も聞いてもないのに、どうとも」
「そうですよね。実際、私も小林さんから話として聞いただけなので、なんとも。小林さんがいいというアーティストはたしかにほとんど間違いないし、これまでもそうだったんですけど。正直、会社としてもそうだと思うんです、その話だけではさすがになんとかできるわけなくて。だから、小林さんは来月もう一回いくみたいです。なんかそのお祭りっていうのがもう一度あるらしくて」
「へえ、もう一度」
「そうなんです。それもめずらしいですよね、こんな近いうちに二度なんて。」
「来月ってことは、今度は山を降りるまでの祭り、なんでしょうね」
猫宮がいった。それは、まさに小林から聞いた通りのものだった。
「そうです。どうしてわかるんですか?」
「そういうお祭りは、まあ時々あるんです。で、何、渋谷さんもいくんですか?」
「小林さんからは、こられるなら一緒にくるようにって言われちゃいました。あ、でもそういう近い時期に二度あるお祭りっていうのもあるんですね。それならそれで、お祭りにも結構興味あるし、やっぱり行ってみようかな。でも、一月置いてもう一回ってどういうことなんでしょう。例の巫女神楽でまたきっとその人が歌うんですよね、だから小林さんもいくっていってるんだろうし」
「そういう例は、海外も含めてなくはないと思います。ようは一年とか、一生とか単位は色々あるけれど、その一時期だけは天界にいて、ある時期を地上ですごすとか。そういう神事にのっとってるんだろうと思います。日本書紀の登場人物だって、地上におりてきたり天界に戻ったりするでしょう」
「そうなんですか」
日本史は高校生のときに履修していたが、もうほとんど忘れてしまっていたし、そもそも日本書紀という存在自体は知っていてもその中身なんて習った気もしない。
「あとは、たとえばギリシャ神話のデメテルって神様をしってますか?」
「僕はわかります。季節が生まれる元になったっていう」
とミドリが答えた。こういったことはきっとかえでの何倍も詳しいだろう、なぜかはしらないがすでにそういった確信がある。
「その通り。デメテルと、ゼウス、これはさすがにわかりますよね?有名なギリシアの最高神なんだけど、その間にはペルセポネという娘がいた。ところが、冥界の王であるハデスがこのペルセポネを妻に欲しいと言い出す。ハデスというのは、ゼウスの兄だから、そもそもこれ自体なかなかたちが悪い話な気もするけれど、そんなこんなでこの娘を強引に冥界につれていってしまう。デメテルは、大地や植物の実りを司る神様なんだけど、この娘の一件ですっかり荒れてしまって天界をさってしまう。それで大変な飢饉が訪れる」
「なかなか迷惑なお兄さんですね。というか、自分の姪ってことですよね。どうかしてるな」
自分の叔父がそんなことを言い出したら、親はなんというだろうかと考えた。
「ゼウスも最高神なのに、そのこと自体は止められないんだね。それで、まあ飢饉がきてしまうからなんとかしなきゃいけないってことで、ゼウスはハデスを説得しようとする。その時に伝令に送られたのがヘルメス。だけど、ベルセポネ、その問題になった娘はすでに冥界で生活をはじめていて、そこの食事を食べたものは冥界にい続けなければいけないという掟に縛られている」
「勝手に連れてきたのに、ですか?」
「そこでゼウスが折衷案を出す。冥界でたべた柘榴の数、その日数分だけは冥界にいなければならない、という裁定をくだして、結局ペルセポネはハデスの妻として一年の三分の一は冥界で過ごすということになってしまう。それで、デメテルはその娘がいない一年の三分の一の期間だけは、農作物をつくれないような季節にしてしまう。季節が生まれる元になったっていうのはそういう理由」
神話というものはところどころ聞いたことがあったが、どれがギリシャで、どれがローマか、名前だけならともかく、話の内容となるとかえでにはまったくわからなかった。この話も、言われてみるとどこかで聞いたことがあるような気もする。それにしても、以前何かでこのゼウスの意外の方の悪行というか神様ならではのひどく傲慢な話もきいたことがあったが、この話もいい加減な話です。まわりの男たちに振り回されてる娘のペルセポネにはなんの罪もないように思える。
「どちらかというと、その巫女はそのペルセポネなわけですね。まあでも、さすがに今時何ヶ月も山の上で過ごすってわけではないと思うけど」
「ええ、たぶんそうだと思います」
小林から直接きいたわけではないが、お祭りのあとにはまた全員で山を降ったらしい。もし先日のものが「のぼる」ことを目的としたものだとしたら、神やその化身はこの1ヶ月の間は山の上で過ごしたことになり、今度の祭りでは降りてくることが目的になるのかもしれない。
「あの、猫宮さんも一緒にどうですか?」
「その山登りに?」
「ええ、どっちにしてもその神楽の曲をそのままリリースするわけにはいかないから、曲をつくらなきゃっていってたし。その辺りのこと、ほら今の話もそうですけど、いろんな事情とか猫宮さんだったら詳しそうだから、いいんじゃないかって小林さんが。」
「あ、いいですね!僕も一緒にいきますよ」
とミドリは乗り気だった。
「そんなこと勝手に決められても」

 結局、猫宮はこんな寒い時にそんなところまで行きたくない、というまったくもってまさに猫のような発言に終始してしまい、祭りの当日向かうのは小林の他にはかえでとミドリだけということになった。ミドリは、猫宮のアシスタントということになっているらしいので、猫宮からすれば人を派遣したということで十分に貢献しているというスタンスなのだろう。
 祭りの日のタイムスケジュールは先月のものとほとんどかわらないようだが、小林が偶然見ることになった子供たちの行進は今回はカットされているらしい。その代わりに、今度は下の神社で神主による祈祷があり、その後に前回同様食事や酒などが振る舞われてからみんなでまた山に登るそうだ。実は巫女たちはすでに前日から山に登って降り、そちらで神楽の準備をするというのが伝統らしい。今回はスケジュールをあらかじめ小林が入手しており、現地の最寄駅で小林と待ち合わせて祈祷から間に合うように向かうことにした。
 ミドリとは東京駅の丸の内口で待ち合わせて、そこから新幹線でまずは熱海まで向かう予定だった。ところが、集合時間の11時になってもミドリが現れない。5分くらい待つと、メールが届いた。
「猫先生からいくつか確認してくるようにっていう資料を急遽渡されることになったんですが、その資料のコピーで今、図書館まできているんです。あの後調べたら、その二回にわけたお祭りっていうのは結構その辺りでもめずらしいタイプのものらしいので、猫先生も興味を持っちゃって。本当にすいませんが、もう少しだけお待ちいただけますか?」
ミドリの分の切符ももっていたので、かえではしかたなく東京駅で待つことにした。熱海まで大した時間でもないので、指定券を買わなくてよかったな、と思うと同時に、そもそも祈祷をみて何が楽しいのかもわからないので、実際のところ巫女神楽の歌にさえ間に合えばいいだろう。結局丸ビルまで移動してコーヒーを頼んで待っていたら、ミドリは45分以上もおくれてやってきた。
「すいません、遅くなってしまって」
「だいぶかかったね、図書館でなにを調べてたの?」
「えーっと、それは今日実際、巫女神楽を見てからお話しした方がいいかもしれないです」
「ほんとに、なにかめずらしい巫女神楽なのかな。猫宮さんも結局興味をもって調べてくれたってことなら。あの人、興味なさそうな感じだったけど。結局ついてこないし」
「そんなことないですよ。何もなかったら、そもそもいつもあんなに長く話さないですし、かえでさんはいつも不思議な話をもってくるっていってましたよ。あそこによくくる人の中では一番作詞家としての仕事に近いところで仕事をしている人のはずなのに、一番仕事にはつながらない話をもってきてくれるって」
「仕事につなげるつもりがないわけじゃないんだけど」
「ああ、でも猫先生はその方が楽しいんだと思います。別につながる必要はないんじゃないですか」
ひとまず、すでに予定よりも遅れていることもあり、すぐにちょうど来ていたひかり号にのった。熱海駅まで40分程度で、そこからさらにローカル線にのって30分ほどというところだ。道中、ミドリはかえでの仕事について色々と聞きたがった。
「かえでさんって、猫先生のところにきてる時間って仕事ってことになってるんですか?」
「まあね。打ち合わせって。便利でしょ」
「へぇ、それで通るんですね。でも僕が、会社に密告したらアウトですか?」
「どうかな。でも、まあ一応今回だってもしCDを実際に出すぞってことになったら、仕事にはなりそうだしね。なんだかんだ、猫宮さんと仕事をちゃんとしたことってないんだけど、今じゃ一応会社の中では猫宮さんの担当みたいな感じに思われてるらしいの」
「あー、でもたしかに猫先生ってマネージャーとかスタッフとか、誰もいないから、かえでさんが間に入ってくれるのが一番いいのかも」
「でも、別にそんなもの求めてないんじゃないかな」
「どうなんでしょう。猫先生のことだから、必要だとは言わないだろうし、なくてもなんとかなるんでしょうけど、でも僕はもうちょっと世の中に対して積極的になってもいいと思うんですよね、先生も」
「それは同感」
 予定通りに進行しているとしたら、二人が駅に着いた時間にはもう下の神社での催しも終盤になっていて、これから山に登ろうというところだろう。駅で道を聞こうにも駅員は誰もおらず、改札からは小林の話を思い出しながら二人で歩き、どうやらそれらしい神社が見えて来た。
「あれかな、あ、なんか人がでてきた」
「そうみたい。あ、小林さん!」
 かえでが声をかけた先に、神社の建物からちょうど出て来た小林がいた。その後ろから、続々と人が外に出てくる。
「ギリギリ間に合ったね、今から登るところ」
「よかったです。危ないところでした。あ、こちら猫宮先生のアシスタントの」
「ミドリです。よろしくお願いします」
 横から調子よくミドリが挨拶した。
「ああ、渋谷から聞いてます。よろしく」
 すると、横から男が一人話に割り込んで来た。
「あれ、小林さん今日はお連れさんもいるんですね。大所帯だなー」
「飯塚さんはきょうもお一人ですか。大変ですね。あ、こちら雑誌記者の飯塚さん。前回も一緒だった」
 おそらく小林の話にでたその男だろうとは思った。東京であったことのある週刊誌記者にもあった、隙あれば何かこちらのアラを探そうという目つきには何か共通するものを感じたし、この辺りに住んでそうにないタイプだというのもよくわかる。
「渋谷です。小林さんの後輩の」
「あー、そういえば小林さん、レコード会社の人なんだってね。なんかこう、芸能関係じゃないかなとは思ってたんだけど。なるほどなるほど。どこかでお会いしてはなかったですかね、これまで。まあ私の方は音楽はあんまりよくわからなくて。芸能系っていうよりは、まあなんかもっとね、色々あれな記事を追うことが多いですから」
 あれ、というのがなんなのかはよくわからないが、あまり深追いしない方がいいのだろう。小林がこちらをみて目配せしたのもそういうことだろうと思い、かえでは何も発言しなかった。
「お会いしたのは前回がはじめてだと思いますよ」
「そういえばね、わたしちょっと前回参加するにあたって少ししらべたときに、以前も、あ、今回小林さんがどういう理由できょうの祭りにまで参加しているのかわかりませんけど、前にもあの巫女神楽の歌をCD、あー当時はもうCDですよね、それで発売しようなんていう話があったらしいですよ。」
「え、そうなんですか?」
 かえでは思わず声が出た。四人はなんとなくそのままの流れで山道の方に進んでいる。小林がいっていたように、序盤はコンクリートで舗装された道で、まだまだ歩きやすい。きょうはもちろん山に登っていいようなスニーカーを履いて来ているし、服もよごれてもいい服だ。小林もいつもよりずっとアウトドアな感じの服装だが、先頭の方に見える神主は、それが神主であるとわかる服装をしていて、あれで上まで登るのかとちょっと驚いた。
「わたしたちは、CDとして出すかはまだ。それできょう、この子達にも聞いてもらおうと思って」
「へえ、優秀なんだ。いいね、若い良い社員がいて」
 といって飯塚はこちらをみてにやっと笑った。それをみて話をそらすために質問を口に出してしまう。
「えっと、でも、そのときはCDが出たりはしたんですか?」
「さあ、なんでも、担当の社員が死んじゃって、中止になったとか。それも変な話だけどね。調べたら色々ありそうだ。まあもっとも、今からちょうど20年も前の話で、その時の巫女っていうのは今の巫女の母親だったころなんだから、もうだいぶ前の話なんだけどね」
「じゃあ親子そろってすごい歌い手だってことなんですか?」
 わたしの質問には小林が答えた。
「わたしも、神主さんに改めて聞いたんだけど、あの巫女神楽は代々その家族がやっていて、そこの家の長女がつぐのが決まりなんだって。代々その歌は、神につかわされた声だって地元では言われてるって」
 神につかわされた声、とはなかなかに大層な表現である。山道は急というわけではないし、それなりに整備されている道だったが、普段ほとんど山登りなどしたことのないかえでにとっては少しきつかった。神の声をもつ巫女もこの道を登って上の神社までいくのだろうか。他に道はなさそうなので、神といえども楽はできないらしい。小林もだいぶ疲れているようで、途中山道で少しふらっと倒れかけたのをミドリが腕をとった。
「ああ、ごめんね。最近ちょっと疲れてて。さっきもまたちょっと飲んじゃったしね」
「大丈夫ですか?ご無理されないように」
 ミドリは16歳とは思えないような、かろやかで紳士的な雰囲気で対応する。ミドリの腕をとって、体制を立て直した一連の動きはなかなか様になっていた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん、それにたしかもうちょっとで着くよ」
「そうみたいですね」
 そのまましばらく進むと、聞いていた通りの垣根が見えて来た。そして、中には神社と境内があり、中心の黒い跡などを囲むよおうにその周りに人々が集まっている。かえでたちは小林のあとについて、おそらく前回小林がいたであろう、社殿と正反対、つまり正面の位置になるあたりの場所に落ち着いた。登って来た全員がついたであろうころ、作務衣の男がでてきてさっと火をつける。これも聞いていた通りだ。ここにくる前にいくつかインターネットで調べて来た火渡りよりは、はるかに火の勢いが強いように思えた。この間を通りながら、しかも歌うというのは、それだけでも十分な見モノであるようにも思える。しかし、小林がいうところのその歌のすごさとは、そういった大道芸的な意味ではなく、もっと歌として感動を呼び起こすようなものだろう。少なくとも小林の話からは、そう思えた。
 すぐに、巫女神楽がはじまった。神社から白装束の巫女が登場し、そのまま火のところまで歩いてくる。
「前回と同じ方ですか?」
 隣にいる小林にきいたが、返事はない。ずっと火をみているのか、巫女をみているのか焦点もあっていないようにみえる。おそらくはこの巫女で間違いないだろう。炎の中に白い衣装という状況がそうさせるのもあるだろうが、たしかに尋常ではない雰囲気を感じる。
「ほんとにあの火の中で歌うんですかね?」
ミドリが後ろで独り言のようにしゃべっている。
「もうはじまるみたいだね」
巫女神楽がはじまると、それまでざわついていた人たちもいっきにしんとなった。そのせいか空気は一層冷たい。このあたりは暖かいエリアだろうが、それでも一年のうちで一番寒い時期にこんな祭りをやっているということになる。これも神様が天にのぼってしまっている時期というのを表しているのだろうか。火がそれなりに近くにあるはずだが、体はあまり暖かくはなってこなかった。
 巫女神楽の様子は、小林から聞いた通りだった。ほんの5分にも満たないくらいの時間、火の中にはいったり出たりしながら巫女が歌う。歌と動きに意識がいって、火の中にいることを危ないと思うよりもその様子そのものに目を奪われてしまう。
「どう、素晴らしいでしょう?」
 小林がたずねてきた。先ほどまで恍惚とした表情で巫女神楽をみていた小林だったが、その余韻なのか頰は少し赤らんでいて、息も荒い。こんな状態の彼女をみるのは初めてだった。
「そうですね」
「映像も残したし。これなら上も説得できると思うの。渋谷にもみてもらえてよかった。ねえ、一緒にまた仕事できたらいいね。うん、これは間違いないよ。今までバンドもライブハウスでたくさんみてきたし、シンガーのオーディションもみてきたけど、ここまで頭からがんとくる体験はなかったもの。なんていうのかな、彼女が歌っている景色が頭の中に入り込んできて、ずっと揺れているみたいな。あとは、これをどうやってやっていくかだよね。ちゃんときいてもらえさえすれば間違いない説得力はあるんだし、最初のやり方次第だな」
「あの、」
 いいかけて、わたしは言葉を濁した。自分の目が少しあつくなっているのがわかった。火の近くにいたからではない。涙が出ていた。それは悲しい涙だったと思う。
 小林のアーティストをみるセンスは間違いない。これまで彼女がみつけてきたアーティストの多くは、新人だったもの、まだ荒削りだったものも含めてきちんとその後形になったものがほとんどだったし、そのアーティスト側からも小林からのアドバイスや、その当時一緒につくった楽曲などがその後の礎になっているというコメントは多くあった。社内でもそのことは周知されていて、私も事実だと思う。そのくらい彼女は、毎回よいアーティストを会社にも、そして私個人にも紹介してくれる。だから、例えばそのアーティストがビジネス的に見て「売れる」かどうかとかそんなことをおいておいても、彼女の勧めるアーティストを聴いてみようという気になる人が社内に多いのもわかる。私もそのセンスを信じているし、実際に今までもたくさんいいアーティストに出会わせてくれた。どうやったらそんなセンスが身につくのだろう。彼女のようにアーティストと、身を削って生活するでもしなければそうはなれないのだろうか、と考えたこともあった。
 それでも、この巫女神楽が小林がいうような「素晴らしいアーティストである」とはわたしには思えなかった。たしかに非日常的な体験ではある。その様子はきっと下界では見られないものだろう。しかしその歌そのものが、私たちが普段仕事として扱っている歌や、日頃少しでもいい歌を残そうとして努力しているシンガーたちよりすぐれているとはとても思えなかった。
 そのことを、いまストレートに小林につたえるべきなのか、私は少し悩んで
「私には、なんていったらいいのか、わからないです」
とだけいった。


 結局、話もあまりはずまないままにわたしとミドリ、そして小林の全員で駅の方まで戻り、そこから在来線にのって、新幹線に乗ってかえるために熱海駅まで戻って来た。小林もわたしも小田急線ユーザだったので、小田原から小田急に乗ってゆっくり帰る手もあるが、きょうはそのまま新幹線で東京までさっとかえってしまいたいな、と思った。
 小林がなぜ、あの歌い手にそこまで入れ込むのか。あの場も含めて、その様子は感動的ではあったし、すばらしい歌だったとは思う。しかしそれでも、これは他では決してあり得ないような体験だ、とまでは思えなかった。うちの会社でCDにするというように小林は考えているようだがもしももう一度細かく、きょうの感想を求められたら何をいえばいいのだろうか。
「あの、ぼく一回改札を出て、おみやげでもかってきます。猫先生に」
「あ、わたしもいく。」
 ミドリについて、わたしも一度改札の外に出た。小林は、じゃあ先に新幹線のホームにいっている、といって別れた。先に電車来たらのっていってくださいね、と伝えたのでここで解散ということでよいのだろう。
 改札をでてすぐのところには温泉街らしく誰でも入れる足湯があるようで、そのあたりには少し人が集まっている。
「どうでした?」
 その足湯の人々をぼーっとしながらみていたら、後ろから声をかけられた。後ろを振り向くと、いつもの格好でうっすらと笑っている作詞家がいた。
「猫宮さん。何してるんですか、ここで」
「そりゃあ温泉です」
「猫先生、ここにいたんですか?」
 ミドリがさらに横から声をかける。
「こっちのほうに行くって話きいたら、急に温泉入りたくなっちゃってね。それにしても、ちょうどタイミングもよかったみたいだね。連絡したとおり、こっちに出てきてくれてありがとう。えっと、小林さんは?」
「先に帰りましたよ、今そこの改札で別れて。あれ、じゃあ猫宮さんがいるってわかって今でてきたんだ、おみやげじゃなくて」
「あ、すいません」
 ミドリが舌を出した。
「別に嘘をつかなくてもよかったのに」
 といいながら、猫宮が歩き出したので、かえでもミドリもあとに続いた。
「せっかくなんで、何か食べていくってのは」
「おー!」
 ミドリが歓声をあげた。
「えっと、でも、ちょっと帰って今日のことまとめないといけないんです。わたし正直、これをそのままリリースするのがどうなのかよくわからなくなっちゃって。小林先輩にも何を話したらいいのかわからないし、山登りもしてちょっと」
「ああ、山登り、大変でした?地図でみたらそんなに高い山ではないみたいですけど。むしろそのくらいの山ほど、山道が整備されてなかったりで大変だったりするんでしょうね」
 猫宮がこともなげにきいた。
「猫宮さんも登ればよかったんですよ。」
 何を食べるともいっていないが、とりあえず猫宮とミドリの後について商店街を進んでいった。空はすっかり暗くなっているが、商店街にはむしろ食欲が減退するほどの明かりがついている。屋根についている飾り付けはなんのためのものだろう。もしかしたら新年の飾り付けがまだ残っているのかもしれない。
「ここの中華がおいしいんです」
 どうしてこの場所で中華なのかはわからなかったが、商店街のはずれにある中華料理屋の佇まいはたしかに悪くない。少なくともこの場所で三十年は営業しているのだろう。店には一組も客がいなかった。料理の注文は猫宮にまかせると、決めていたかのようにすぐに注文をおえて、最初に頼んだ烏龍茶ふたつとビールが運ばれてくる。
「わたし飲んじゃいますね。きょうお祭りでも飲めなかったし。そもそも、きょうスタートから遅れちゃいましたし。そういえばなんだったんですか、急遽の調べ物って」
 猫宮とミドリはウーロン茶で満足そうだったが、わたしは強引に乾杯したあと遠慮なくビールをぐっと半分くらい飲んだ。おいしいのか、喉がかわいていただけなのかいつもわからないけれど、なんとなくそれでいいような気がした。ここ数年身につけた感覚である。
「デメテルは」
 一息ついて、猫宮が話し始めた。
「え?えっと、この前の話の?ギリシャの神様」
 わたしは疲れとお酒でよった頭を、少しだけ持ち上げた。おもわずジェスチャーが大きめになってしまうのは、おやじくさいのでやめたほうがいいと先日友人に指摘されたのを思い出した。
「娘であるペルセポネをハデスに連れて行かれた後、各地を放浪していたけど、神話の上ではそれは単なる放浪ではなくて各地で農耕を人々に伝えた、ということになっています。だから、農耕の信仰対象としてデメテルは、そういったものを司る神なんですね」
「きょうの神様も、もしかしてそういう農耕の神様なんですかね。」
「ええ。あるとき、デメテルはその放浪の途中で、エレウシスという場所にたどり着く。アテナイのすぐ近く、まあ正確なところはよくわからないのですが。ホメロスの記述は、アテナイ成立後のアテナイの意向が強く入っているんでしょう」
「それをいったら、そもそもホメロスだって、実在の人物かどうかすらわからないですけど」
 ミドリが運ばれてきた料理を頬張りながら口を挟む。猫宮は意に介さず話をすすめた。
「エレウシスでのデメテルは、その地で滞在することになったある人間の家の子供を大事に育てる。昼にはアンブロシアーを肌に塗り込み、夜には火に中にいれる、という神を育てるときの育て方ですが。ただ、それに気づいた館の人間たちが大騒ぎしだします。それでデメテルは神としての姿を現して、人間たちはデメテルを神殿に奉納して、そしてそのままデメテルはそこにこもってしまう、というわけです。それでそれがきっかけになって、前も話したように、地上から実りが消えるということになってしまう。」
「でも、それじゃあなんで、デメテルはそこに篭ったのか、よくわからないですよね。私だったら、単純にその館から出て行っちゃうけどな。っていうか、子供のことは結局いいんですか?」
「それは確かにその通り。だから、結局神様というのはそういうものなんです」
「うーん」
 横でミドリも納得のいかない顔をしているが、そもそもなんの話をしているのかよくわからないので、とりあえず話として受け入れるしかないなとかえではおもった。
「でも、人間はそんな神様の行動を受け入れるしかない。まあ元々は人間が悪いんですけどね。だから、例えば季節なんてものは抗えないものとして受け入れて、農耕も行うしかないわけで。せめて、その成功を神に祈って。エレウシスでは、それ以来エレウシスの儀式というのが行わたといわれている。それはまあ例えるなら農耕信仰のための秘儀、という感じですね。」
「秘儀、っていうとなんかちょっと神秘的なというか、怖い感じもしますね」
「実際にはこの秘儀は、今から三千五百年以上前から千五百年くらいまで、つまり古代ローマの頃まで行われていた、かなり重要な儀式だったようです。でも、この儀式でいったい何が行われていたのか、それこそホメロスからもその具体的な内容はわからない。ただね、怖い、というのはある意味間違っていないかもしれないですよ」
「どういうことですか?」
「つまり、ここにはある種の神秘体験があるんです。ソポクレスによれば「この秘儀を見たものだけが、冥府で真の生命を得る」と」
「冥府での真の生命?」
「普通では見られないものを見る、ということです。例えば、小林さんが聴いたっていう歌のようなものでしょうか。でもその世界を秘儀に参加したすべての人、神の力を最初から感じることができるような力を持っているような人ではない、本当に普通の人も含めて、その普通ではみられないもの見えるようにするには、なんらかの力が必要だったのでしょう」
「どういうことですか?」
「その秘儀にはね、キュケオンという道具が使われたんです」
「キュケオン、ですか?それはなんですか?」
「ホメロスによると、赤ワインの代わりに飲まれていたもので、水と大麦、そしてミントからできていたらしい。そして、当時の大麦にはおそらくだけれど麦角菌が含まれていたんではないかと考えられています。これがきっと儀式における神秘体験には欠かせなかったんじゃないか、というのが現代では通説になっているんですね」
「麦角菌ってあれでしたっけ、鎮痛剤みたいな」
 ミドリがいう。
「1930年代、スイス人の科学者アルバート・ホフマンがこの麦角菌の成分の研究によって、より正確には麦角に含まれる麦角アルカロイドの研究によって、鎮痛や止血をこえた幻覚作用をもつ化合物の生成に成功した。それがリゼルグ酸ジエチルアミドです」
 突然難しげな物質名が出てきて混乱する。
「えっとすいません、猫宮さん、私はあの、化学はぜんぜんなんです」
「かえでさん、つまりLSDのことですよ」
 ミドリが横から助け船を出した。
「LSD?それって麻薬の?」
 それをきいてミドリが説明をはじめた。
「本当はきょう、僕が遅れて行ったのは調べものがあったということ自体は嘘じゃないんですけど、猫先生にいわれてわざと少し僕とかえでさんが遅れて現地に到着するように調整したんです。猫先生がいうには、小林さんの先日の描写は、いわゆる幻覚症状、LSD使用者のそれに近いと。もし、そういった成分、つまりエレウシスの秘儀でいうところのキュケオンが含まれているものがあるとしたら、それはおそらく山登りの前だろうって。だから、安全のためにも比較のためにも、それを摂取するであろうタイミングをはずして到着するようにしたんです」
「え、じゃあ山登りの前の食事とかに、何かドラッグみたいなものが含まれていたってことですか?」
「本当にそうだとしたら、お酒のほうだろうけれど」と猫宮がいった。「その方が自然だ」
「これはもちろん、現時点では確証はないことです。成分をしらべればわかるんでしょうけど。それは僕らの仕事じゃないし。」とミドリが説明を加える。「でも、小林さんと違って今回僕やかえでさんは、あの巫女神楽にそれほどのものを感じなかったでしょう?」
 そういわれてわたしははっと我に返った。
「あ、やっぱりそうだよね。いいな、とは思ったけどあんなに熱中するほどのものなのか、どうもよくわからなくて。やっぱりそう思ったんだ。よかった。」
「飯塚さん、でしたっけ、一緒に来てたっていう記者の人?」
 猫宮がいった。
「えっと、そうです。さっき名刺もらったんで」といってかえではカバンから名刺入れを取り出して確認する。
「たぶん、その人はね、気づいてたんだと思いますよ。まあ小林さんの話だけなんで、なんともいえないですが、少なくとも彼は、リスクを避けてたのか瓶からあけたビールしか飲んでないみたいですしね。」
「そういえば、その昔もCDを出そうとしてレコード会社の人がなくなったとか」
「ああ、そうそう、それなんです。実は調べていたのって」
 ミドリがそういったので、かえでは驚いて食べていたものを落としそうになった。
「え!」
「さすがに、それだけの素晴らしいパフォーマンスが行われているのであれば、かつてもそんな話、つまりそれを音源化しようなんて話があがったんじゃないかって。日本のレコード会社は優秀ですよ。ちゃんと才能を発見するシステムが機能している」と猫宮がいった。「でも、その方はどうやら、いわゆるドラッグの過剰摂取でなくなったみたいですね。かつて、そんな人がいたって話、なにか聞いたことないですか?」
「あ!たしかに。昔うちの会社でもオーバードーズで亡くなった人がいたって。その人のことなのかな」
「まあ、おそらく幻覚体験をしたことで、普段もやめられなくなった、というのが一番単純な解釈なんでしょうね」
「あの、猫宮さん、これが本当だとしたら私はどうしたらいいんでしょう。とりあえず小林さんのこともそうだし、そもそもこれって警察とかに」
「まあ、とりあえずCDを出すのはやめたほうがいいでしょうね。年末にもそんなことで苦労したばっかりなんでしょう?」
 たしかにそうだ、とかえでは年末の騒動のことを振り返っていた。小林も事実を知れば人ごとではないだろうが、そもそもこれが本当だとして、実際には今猫宮から聞いたことをなかなか説明はしづらいだろう。
「どうやって、小林さんにいえばいいでしょうか?」
 猫宮は笑っているような、それでいて真剣なような顔をして言った。
「渋谷さんの感想を伝えればいいんですよ。詩的である必要も、何かを隠す必要もないんです。そのままに。「わたしにはなんてことない歌だった」って。小林さんが、楽曲の本質とは関係ないところで評価がされるのはおかしい、発売されたりされなかったりするのがおかしい、という風に本当におもっているレコード会社の社員なら、それで問題ないはずです。きっとちゃんと、渋谷さんの意見に耳を傾けてくれるはずですから」そういうと、猫宮は満足そうな顔で「寒くなる前に帰りましょうか」といった。
 


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作詞家です。作曲、アレンジなども結構します。音楽プロデューサでもあります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「#音楽ミステリー小説」も書きはじめました。よろしくお願いします。 ご連絡は info.apriorimusic@gmail.com にお願いします。
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