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ふたりの人間がおなじ曲をつくる偶然はありえるか?音楽ミステリー小説『恋の作法』


「恋の作法」

 

 音楽の世界で働き始めて、思ったことがある。ここには、それまでの人生では出会わなかった不思議な人たちがいる。音楽というある種の芸術、そして創作に携わる彼らには、もともと何か特別な才能があるのか、それとも何か特別な才能を求めてそうなってしまったのか、それはわからない。そして、不思議な才能の元では、とかく不思議なこともおこるものだ。それらはときに私にとっても、そしてアーティストたちにとっても、素晴らしい出来事でありもするし、また大きな問題を引き起こすこともある。もしかしたらそれは、世の中に対してもそうなのかもしれない。翌日のトップニュースになるような大きな出来事もあれば、気持ち悪いくらい奇妙な事件も。わたしはそんな出来事の責任をとるつもりでこの仕事についたわけじゃない、といいたいところなのだけど、どうしたってそんな問題は「創作」という大義名分と、そして「創造」という他に代え難い魅力の中ではしかたないくらい避けられないものらしい。そして、彼ら創作者の中にはまた不思議なことに、そんな問題にいつも創造的な解決をもたらしてくれる人がいる。彼にしてみれば、謎は創作の中に当たり前に現れて、であるから当たり前に答えも同時にそこに見えてくるらしい。わたしには未だに、それが一度だって見えたことはない。彼に最初にあったときも、そうだった。
 

 レコード会社という名前でも、その社員の多くはもうすっかりレコードをつくったことがない世代になってしまった。今では、そのレコードにとってかわったCDですらつくらないこともある。要は音楽をなんらかの意味でつくって、それを販売しているのが今のレコード会社なのだ。あるいは「かつて」レコードをつくって、売っていた会社をそう呼ぶといってもいいかもしれない。
 わたし、渋谷かえでがその中でも大手といわれている今の会社に新卒ではいった五年前、もちろんすでにどのレコード会社も、レコードはほとんどつくっていなかった。そもそも私たちレコード会社の社員でも、レコード自体をきいたことがほとんどない人も多い。大学時代の図書館に古いレコードがおいてあって、それが聞けるというので試しにいくつかきいてみたけれど、むしろほとんどが聴いたことがないクラシックのライブアルバムばかりだったので(クラシックはだいたいライブアルバムなのだけれど)、それが果たして何か特別なものだったのかもよくわからない。
「訳詞でのカバーっていうのも今時めずらしいですね」
「たしかに最近はほとんど聞かないな。洋楽のカバーでもそのまま英詞で歌うアーティストは多いけれども。まあ今回は向こうのアーティスト自体も二十五年ぶりのアルバム、あの頃はまだよくこういうような翻訳した歌詞があったんだよ」
 この上司を通して、洋楽担当から依頼がきたらしい。二十五年ぶりに出るとある大物女性洋楽アーティストの新譜、そのカバーを私たちのいる邦楽部のアーティストのシングル曲としてリリースしたいという。洋楽アーティストのカバーは、こちらのレーベルや事務所からのオファーやプロモーションで成立することが多いので、これも珍しいパターンに思える。楽曲自体の制作は、向こうで行われたトラックを使用するだけでカバーと言ってもこちらが用意するのはシンガーと、日本語訳詞だけだ。当時このアーティストのカバー盤は何枚も日本でリリースされており、その都度カバーするアーティストは違ったもののこちらのレコード会社の担当と、日本語訳詞を担当する作詞家はずっと同じ人間だった。しかし担当だったレコード会社の社員はすでに退職しており、後を引き継いだ上司がその、もはや大御所になっている作詞家に二十五年ぶりに訳詞を頼みに行ったという。
「意外とあっさり受けてくれたんだけどね」
「あの先生、最近新しくアーティストに歌詞を書いているイメージはないですね」
「まあ、今は作詞家に頼むってよりはアーティスト本人たちが自分で書くほうが、それこそアーティスト性があるって思われる時代だから。アイドルグループとかじゃない限りは」
「だから私はアイドルの歌詞のほうが好きなんですかね」
 思わず本音が出た。アーティストが「自分の気持ちを綴った」という歌詞よりも、職業作家的な歌詞、特にこの大御所先生たちが活躍した八十年代や九十年代の楽曲のほうが、わたしはなんども繰り返して聴いていられる。2000年台以降の音圧に疲れてしまうということもあるかもしれないが、人の人生観を無理やり押し付けるような歌詞にもそれを感じているのかもしれない。大学生の頃、バンドのライブばかりを追ってライブハウスに通っていた頃にはそんなことはあまり感じなかったように思う。私はたぶん、当時彼らが自身で書く歌詞を彼らの人生であると照らし合わせて、それをまた自分の生活に投影していたのだろうと思う。そして例えば下北系といわれていたそれらは、当時はじめて東京に出てきて一人暮らしをしていた自分の生活とも合っていた。彼らは悲恋や人生訓、そしてもちちろんより大きな世界での成功や期待をえがかないように思えた。なぜならそれらは彼らの生活に存在しないからだ。4畳半の部屋で、いつも自分の好きなものを追求している、という世界が、彼らの描きたい世界であり、そして実際に彼らが住んでいる世界であると思っていた。私は自分がそんな世界に、当時のよく言われていた言い方でいえばサブカルチャーの世界にいきていることがむしろ私にある種の優越感をもたらしていたようにも思う。でも、それは仕事として音楽をつくるという立場になったとき、単なる幻想にすぎないということもわかった。わたしは多分、そういった音楽が好きだったというよりも、自分だけが知っているような曲があること、あるいはそんな曲を知っている自分が好きだっただけなのだ。音楽を世の中に売っていく、という今の仕事について、その「自分だけが好きな曲」を多くの人にアピールして行こうと思ったとき、自分にはそれらを語るための言葉も理由も何もないことに気づいた。ライブに行っていた頃は、あれが好き、これがかっこいいといっていればよかったものが、今ではそれに理由が必要なのだ。理由がなければ、リスナーも会社の人間も動かない。あの頃好きだったバンド達がつくっている曲は今も好きで、いつだって聞いている。しかし彼らの「思い」みたいなものを世に届けることができるのだろうかというのはあの頃はもたなかった疑問だ。そもそもそれらは必ずしも多くの人に届けなければいけないような思いなのか。その点、職業作家がかいたものというのは、特別にその人の思いということではなくて、あくまで作詞家がそのシンガーに歌わせるべきだとおもったことを書いているだけだと思えるし、もっといえば昔だったら「歌は世につれ」という感じで、世相をうたったものももっと多かった気がする。
「実際、職業作詞家にお願いしたってこと、ディレクターやるようになってから一度でもある?」
「いえ、そう言われてみるとたしかにないです。作曲家の方がそのままかいてたり、あとはアーティストがかいたものばかりで。でもまあ別にそれに不満があったわけでもないですし。私は宣伝や、ディレクターとしてもはまだほとんどアシスタント業務しかしてないので、基本的にはできてきたものを、その後どうするかってことでしかないんです。今の私の仕事って」
 実際自分ですべてを考えて、どんな作家に頼んでということもやってみたいという気持ちと、まだ難しいのではないかという怖さと両方あるような気がする。
「それも大事な仕事だよ」
「はあ」
 上司はどうやら何か仕事を頼みたいらしいが、切り出せないようだった。
「それで、その訳詞はどうなったんですか?」
「出来上がってきた訳詞を本国におくったら、NGがきた。しかも二回連続で」
「え?そんなことあるんですか?だって、向こうに日本語がわかる人がいるってことですか?」
 私は純粋な疑問を口にしていた。歌詞に関しては、例えばアーティストの意向やタイアップの関係上などの理由でやり直しがあることが多いとはきくが、それはある意味では歌詞が「音楽の専門家でなくても内容がわかる」からだ。曲のほうの、たとえばここのコードを変えたいとか、楽器をどうしたい、とかその細かいことはなかなか音楽の専門的知識がないと話しづらい。しかしながら、「言葉」に関して言えば、その言葉をつかえればだれでもその良し悪しについて語ることができるような気がしてしまう。だから、世の中のリスナーたちは歌詞について語りたがってもいる。
 そのように考えることができるのも、その言葉、言語を受取手たちが共有しているといえるからだ。つまり私たちで言えば日本語としてみんながそれを理解しているからこそ、歌詞についてみんなが語ることができる、ということになる。わたしも歌詞についてならばアーティストに対しても色々と意見をいうことができるような気がしてしまう。そして、それはその曲を売るためにもやるべきだと思ってもいる。
「理由はわからないんだけど。今回の曲は例のアーティストの、実の娘が歌詞を書いているらしい。で、その本人からNGがきているんじゃないかというのが洋楽担当のほうの話。日本語がわかるのかどうかってことはわからない。それを確認できるような雰囲気ではないし」
「娘さんが?それもまためずらしいパターンですね」
「いや、向こうじゃよくあることらしいよ」
 本当にそうなのか、とは思ったが日本の親の七光りで逆にアーティストを名乗っている二世タレントよりは、創作にそうやってコミットしている点はずっとましかもしれない。わたしは幸いそんなタレントと仕事をしたことはなかったが。
「それで、渋谷は大学は英文系だったよな?」
「はい?えっと、まあ厳密には英文科、ではないですが、似たような感じです」
「いや、実はもう作詞家の先生もちょっと根をあげちゃっていて、今じゃ俺もだいぶそれにあてられちゃってる感じなんだ。で、」
「え、私が担当を引き継ぐってことですか?」
「いや、とりあえず、これ何がまずいのかちょっと考えてきて、知恵を貸して欲しいんだ。向こうからはただ単にNGということしか言われないから、こっちもどう進めていいのかわからなくて。先生だって、かつて訳詞をやったときはこんなことはなかったから困っちゃってるみたいでね」

 ひとまず、上司に言われた以上はそのまま引き受けたが、まず少なくとも訳詞と元の詞を自分自身で見比べた限りでは大きな問題は見当たらないように思えた。原曲の方は、基本的にはラブソングだ。ラブソングでない曲、というのは実に少ないから当たり前にも思えるけれど、このアーティストの過去のヒット曲(本当の意味での「ヒット曲」が何曲もある)を見る限りでも、そのすべてがラブソングである。作詞は、本人名義で行なっているものが多かった。これまで歌詞をしっかりとみたことがなかったけれど、改めて歌詞をみてみると心が揺れ動く恋模様というよりは、力強くひとりへの恋や愛を歌うようなものがほとんどで、自分がもっているそのアーティストへのイメージともぴったり重なる。そのような意味でも当時からのプロモーションがしっかりしていたといえるのかもしれないし、今、二十五年のときを経て娘がその歌詞を引き継いでいるというストーリーもそれなりに受け入れやすいものにも思えた。これまでの歌詞の愛の対象は、娘の父親のことなのだろうか、あるいは娘への愛かもしれないと受け取れる曲もあった。英詞のすべての意味がわかるわけではないが、それほど文法的に難しいものもないし、スラングで意味がとりづらい語もほとんどない。
 それに比べると新作の歌詞は少し雰囲気の違うものだった。まずラブソングであることはたしかだが、一人への強い愛を表現するような内容ではないように思えた。むしろどちらかといえば、簡単には相手からの愛情が返ってこない現状を歎いているもののようだ。それでいて、相手を愛さずにはいられない、愛情を期待せずにはいられない、という内容だ。これは親子、つまり子供から親をみた曲なんじゃないか、という考えも上司にぶつけたが、それは訳詞の大先生も検討したことらしい。
 今までにないタイプの仕事を任されたことは、やはり嬉しいものだった。最近は休みもあまりないくらい忙しい日々ではあったが、ほとんどが誰かがあらかじめ決めた、いわばルーティンの中での仕事がほとんどだったのだ。今回のことは勉強したことが活かせそうなこともそうだし、おそらくこの仕事をやっているのは世界中で今自分一人だろう。自分にしかできない、ということを音楽の世界の中で見つけることができたらそれはどれだけ喜ばしいことなのだろうか。

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 会社のある市ヶ谷から、地下鉄南北線で一本。市ヶ谷を通っている路線の中でJRや都営線を使うことはあっても、あまりこの路線を使うことはない。大学の名前が駅名に入っているから、特に調べずに乗ってきたがいざ着いてみると、駅から目的の校舎の建物までは結構な距離があり、結局10分ほど学校からでていく学生の流れと反対向きに歩くことになった。一度、自分の学生時代に学校祭にきたことがあったくらいの場所だ。その時は人が溢れていて、門に入ってからもかなり時間がかかった記憶があったが、きょうの構内は学生たちがまばらに歩いているくらいだった。
 学生のころ、ゼミの担当教官だった佐倉先生は二年前にこの大学に移った。卒業後はFacebookでの近況を知るくらいだったが、おかげで今の職場はわかっていたし訳詞について相談をしたいとメッセージを送ったら、大学で今日なら時間がとれるということだった。ゼミは英米系の哲学書、その時は英訳されたウィトゲンシュタインを読むというゼミだった。必修で何かゼミをとらなければいけないなかで、英語の文献を読まなければいけないこのゼミはあまり人気がなかったように思う。しかも、先生は原語のドイツ語のほうにも触れながら読むので、最後までちゃんと出席しつづけた学生は5人くらいしかおらず、つらかったゼミをのりきった毎年のゼミ生たちは交流が深くなり卒業後も付き合いが続いたりしている。
 文学部の事務に声をかけて、指示された通りにその建物の二階に向かう。階段をのぼってすぐ目の前が研究室だった。といっても、各教員ごとに部屋が割り振られているわけではなく哲学科の研究室ということで先生や学生が共用でつかっているらしい。ノックをして入ると、はいってすぐの机に佐倉先生が座っていた。五年ぶりだが、あまり変わってない。
「久しぶりだね」
「お久しぶりです。先生。お変わりないですね」
「大学が変わったよ」
「もう二年ですか、こちらにきて」
「そうだね。まあでも、僕はここの出身だからまあ帰ってきたという感じだけど。さて、ここの地下に食堂があるし、そっちに移動しようか。ここはこの後、別の先生のゼミがあるんだ。前の学校と違って、それぞれに部屋が与えられていなくてね、申し訳ない」
「そういうものなんですね」
「ここは昔からずっとそうだね」
 といいながら、佐倉先生はさっと上着をもって、部屋を出た。登ってきた階段をそのままおりて、今度は地下に向かう。学生も含めて誰でも使える地下食堂らしいが、昼時をすぎた時間だったからか人はまばらだった。
「何か食べる?」
「お昼食べてなかったので、ぜひ」
 ということで、地下にある食堂で名物らしい定食をたべることになった。先生も同じものを頼んだ。

「一応データでは送ってもらったけど、もう一度見せてもらってもいいかな?」
「はい。こちらです。」
 印刷してきた原曲の歌詞と訳詞の第二稿を見せた。音源もきけるようにと、いつも持ち歩いているMacbookも取り出す。周りにはほとんど人もいないし、ここで音を出しても大丈夫だろうと判断した。
「まず、訳としては、どうなんだろう、まあ直訳って感じがするけれど。」
「そうですね」
「曲と合ってるのか、それは僕にはちょっとわからないな。ざっと考えて見たところではメロディにあっていない気はしないしね。まあもちろん、そんなことは君たちのほうがすでになんども確認していることだろうけれども」
「そうですね。やはりそういった問題ではないと思うんです。だとすると、やはり訳として何か肝心なところを掴みきれてないというか、見落としているというか」
「これはラブソングだね、未だ叶わない恋を歌っている。でも悲観的という感じではない。メールにも書いていたように、子から親へ、という観点でも読んでみたけれど、それだと冒頭の「最初からみんな違う世界にいる」という節が、早速矛盾するように思う。それは違うってことだったしね。ああ、これは何がまずいのか、実際には細かいニュアンスを落としているのか、そもそも大枠で例えばこれをラブソングであると見ること自体がまちがっているのか、どちらかだろうね」 
 そういうと佐倉先生は少し考え込んだそぶりを見せた後、思いついたようにいった。
「歌詞といえば、ちょっと思い出したんだけど。あいつに聞いてみようか」
「え、誰ですか?」
「大学の後輩、結構歳は離れてるけど。知らないかな作詞家の、猫宮って」
 その名前はもちろん聞いたことがあった。時々、うちの会社からリリースされるアーティストでも歌詞をかいている作詞家だ。今ではめずらしい専業作詞家のひとりらしいが、私の好きなとあるアイドルグループのファン投票で必ず選ばれる(そして私自身もいちばん好きな)とある曲を作詞したことでも有名だった。アーティストとして好きな対象はたくさんいても作詞家を作詞家として好きな「ファン」というのはそれほど多くない。それでいえば私は少なくとも彼の作詞のファンなのではないかとは思う。しかし、佐倉先生の後輩にあたるというのは知らなかった。
「僕と同じ哲学の出身で、まあ当時は色々交流があったんだけどね。彼も哲学の研究のほうに行くのかと思ったら、学生時代に作詞した、えっと、なんとかって曲が売れたらしくてね。のんびり本でも読みながらたまに仕事するような生活がいいって」
 そういった状況であることは知らなかった。
「それは、ちょっとうらやましいですね。」
「それでしばらくはあってなかったんだけどね。実はここにきてから、彼のその「のんびり本でも読みながら」って場所が大学のちょうど裏側の方にあるんだって知ったんだ。ということで、今からちょっといってみようか」
 といいながら、佐倉先生はおそらくそちらの方と思われるほうを指差したが、地下だったので私にはそれがどちらの方角にあたるのかわからない。
「え、いまからですか。いいんですか」
「まあ、いいんじゃないかな。僕は時々遊びに行ってるんだけどね。この辺りじゃ一番いい環境でレコードがきける、ってことで」
「それはまあなんというか、それで人が集まってるとしたら、なかなか傍迷惑な評判ですね」
「よし、僕はもうこのあと授業はないし、たまには後輩の顔をみるのもいいね。そういえばちょっと彼にきいてみたいこともあったんだ、ちょうどよかった。」
 そういって佐倉先生はもうトレーをもって立ち上がっている。私はあとについて、返却口にトレーを返した後、そのまま後ろについていった。

 大学キャンパスの裏口、附属病院のあるほうの出口から出て右にまがりしばらく道なりに歩いた。道中は佐倉先生と学生時代のちょっとした思い出を語りながら、猫宮についてネットで検索してみた。Wikipediaにはたしかに佐倉先生とおなじ出身大学まではかいてあったが、学科まではわからない。下のほうの作品リストをみると、彼の関わったほとんどの曲をきいたことがあることを確認できた。仕事柄、国内で発売された楽曲はできる限りチェックしているつもりだが、これであってもちゃんと問題なく話せるな、と嬉しくなった。ぼんやりと、一応は道順を覚えようとは思いながら佐倉先生についていくと、十分ほど歩いたところで他のまわりの建物よりも少し大きめのマンションが見えてくる。その右手に門も何もない狭い小道がある。逆側も小さめではあるがアパートに挟まれていて、何もいわれていなかったらこの道にも気づかないだろう。その道をすすんでいくと建物がなくなるあたりで、その両側ともにあまりこの辺りではみないようないかにも自然に伸びてしまったというような雑木林が一瞬現れた。おそらくこれといった手入れをしていないのだろうとみえて、両側から伸びた枝がアーチのようになってしまっている。それを超えて、今通ってきた左側のマンションの裏に、その白い壁とは別のコンクリート造りがそのままになったような壁の平屋の建物がくっついている。入り口はひとつしかないのだが、チャイムのようなものはどこにもない。佐倉先生は二回ほど扉をノックして、すぐに扉をあけた。鍵は空いていたようだ。
「おじゃまします」
といって、入って行くあとに私も続いた。
「お、おじゃまします」。
 ドアをあけてすぐの空間は、10畳くらいで今はいってきたドアがある以外の部屋の三方はさらに奥にいくらしい向かい側の扉以外は本棚で埋まっている。奥には窓もなく、真ん中には机とソファが置かれていた。そこに黒いセーターに、黒いメガネ、ほとんどこれも黒にみえるけど、上着よりは少し色がうすいパンツというほとんど黒づくめの出で立ちの男が立っていた。
「ああ、佐倉さん」
「急に悪いね。大丈夫?」
「いいですよ。きょうは珍しいな、お客さんふた組目。ちょうどさっきその客がかえったところで。えっとそちらは」
 といって男はわたしのほうに目を向けた。
「ああ彼女は僕の前の大学での教え子で」
 私はあわててカバンから名刺を取り出す。男はその様子をチラッとみて、
「すいません、私こういうもので」
「ああ、なるほどレコード会社の方なんですね。へえ、佐倉先生のゼミにいたんですか。」といいながら、私の出した名刺を凝視している。「はじめまして、猫宮です。作詞家ですけど、えっとお会いするのは、はじめてで大丈夫ですよね?」
「はい。そうです。はじめまして、突然お伺いしてすいません」
「あ、いや、それはいいんですよ。佐倉さんだって、大概そうやってくるんだから。ああ、ここ土足で大丈夫なんでそのまま入ってください」
 猫宮は、入り口からそのまま動けずにいた私をソファの方に促す。佐倉先生はもうすでにそちらに移動していた。
「で、どうしたんですか?今日は、二人でレコードでも聴きにきたってわけでもないんでしょ?」
 そういって猫宮は、反対側のソファにすわった。たしかに右手側にある棚はレコードで埋まっているようだ。今まで作詞家の作業場というのにきたことはなかったが、普通こんなものなのだろうか。特に何もものはなくてもできそうな仕事だけに意外だった。もちろん、自分の仕事を考えてもあんなに大きな社屋が都心に本当に必要なのだろうか、というのはいつも思っているのだが。
「まあそれはできれば後で聴かせてもらいたいところだけどね。今日はちょっと、彼女から、とある英語詞の日本語訳の相談を受けて、それで君の意見をちょっと聴かせてもらえたらと思ってさ」
「佐倉先生から仕事の話。それはそれは」
 猫宮はちょっと怪訝そうな顔をした。どうやら、佐倉先生は本当に、普段からここには遊びにきているだけらしい。大学の先生というのは、自分がいたときからそうだったが割と自由が多そうにみえる。うちの会社にもそんな人たちもいるけれど、それにしてもこの時間にこうやって外に出られていることも他の公務員なら考えられないだろう。
「先生はいつもここに、レコード聴きに?」
「そんなに頻繁にはいらっしゃらないんですけど、最初は研究の話なんかもしていたし。この前きたときには、ただレコード聴いて帰っただけでしたね。たしかフェイゲンのナイトフライを、色々聴き比べましたね。」と猫宮が答える。
「そうそう。あれはなかなか面白かった。結構好みが割れたね。僕は絶対にUSオリジナルがいいと思ったけど。なんて、今日はまあその話はいいんだ。実は、彼女がやっている訳詞の仕事でなかなか向こうのアーティスト側のOKが出ないってことで、その理由が色々考えたけれど、いまいちわからないらしい」
 そう佐倉先生がつたえると、猫宮はふむ、という感じでうなずいて、
「訳詞っていうことはもしかして」といいながら、壁にあったレコードからひとつを抜き出した。それは私もみたことがある、その大物アーティストのもっとも売れたアルバムの一つである。
「そうです、でもどうしてわかったんですか」
「いやそんなに難しいことではないんだけどね、今久々のアルバムを作ってるって話はちょっと聞いてたんだ。訳詞で出すってことだけなら、他にもいくつかアーティストの可能性は考えられるけれど、さっき会社の名刺を見せてもらったから。でも、あれ、ということは訳詞をつくっているのは、あの大先生でしょう」
 すらすらと答えた猫宮の推測はほとんど完璧にあたっていた。
「ほらね。なんかいいヒント、教えてくれそうでしょう?」
 と佐倉先生がこちらをみて、笑う。
「その通りです。でもその訳詞がなかなかに難航してしまって」
 そう言いながら私は先ほど大学で佐倉先生にも見せた歌詞が書かれた二枚の紙を取り出した。
「猫宮は、それ、よく聴くの?」
 佐倉先生がその様子を横目でみながら聞いた。
「好きですよ。特にこの2ndは」
 といいながら、猫宮はレコードを取り出して部屋の隅においてあったターンテーブルに載せた。針が落ちるあの独特な音のあと再生がはじまり、Roland JUNOシリーズの印象的なシンセサウンドによるフレーズからはじまるイントロが流れてくる。
「2ndまでは全曲同じプロデューサーで、楽曲の雰囲気も統一されてるし、まあ歌詞もこのあたりまではちゃんと作家が書いてたんじゃないかと。本人ってことになってるとは思うけど、ほとんどはプロデューサーか、その周りの誰かでしょうね。音のハマリも良い。これをそのままカバーした日本盤も結構売れたと思うんですけど、大先生の訳詞も良くできてますよ。」
「しかし考えてみると訳詞というのは、単に日本語訳というよりは同じメロディに、「同じテーマ」でふたりの作詞家がそれぞれ書いているという感じにも思えるね」
 と佐倉先生がいった。それはわたしも思っていたことではある。もし、意味なのか語感なのか、詞を書く際にどちらかを優先することになったとしても、文章の翻訳ならば優先されるのは意味だろうが、音楽であれば語感である可能性は高いように思う。その場合「言葉の意味」そのものは訳詞者によってつくられているともいえる。
「たしかにそうですね。メロディと歌詞の絶対的な組み合わせ、というのは音楽をつくるものとしてはある程度信じたいですけど、現実的に考えればありえない。訳詞をする場合もあらたな詞を、もう一度メロディにあてるというような行為が行われていると考えたほうが自然ですね。」
「そういえば、ちょっと違う話なのだけれど、ひとつ猫宮にききたいことがあって」と佐倉先生が切り出した。「ふたりの人間が、別々に同じ曲をつくってしまう、ということはあるのかな?」
「それって、さっき」
 私は先ほどの佐倉先生との出がけの話をおもいだした。
「ああ、そうそうちょっと今日、せっかく猫宮に会うんだから聞こうかとおもってたことなんだ」
「別々の人間がつくった曲が、かなり似ている、ということですか?」
 猫宮がすぐに質問する。
「まあ基本的にはそういうことなんだけどね」
「それなら、たくさんありますよ。メロディだけで言えば、似ている曲の組み合わせというのはかなりあります。大半は、意識しているしてないは別として先に作られたほうを、後のほうがトレースしてしまっただけだと思いますけど」
「つまり有り体に言えばパクリってことだろう?」
「そうです。でも悪意なくってことは本当にあるんですよ。メロディが頭の中に刷り込まれていて、つくったときに思わず出てきてしまうことなんてのはよくあります。本人だけではなかなか気づきづらいもので、それこそプロの現場だったら制作の進行中に誰かが気づいて、このままだとパクリになってしまうということでそのままなおすこともありますよ、ねえ?」
 といって猫宮は私のほうをみた。
「たしかに、ない話ではないですね」
 自分の経験にはなかったが、先輩から似たような話は聞いたことがある。そもそも毎日たくさんの曲を聴いていると、あれこれはどこかで聴いたことがある気がする、と思うことはよくある。それでも、同じ曲だとまでは思わないが。
「あとはどうしても、音楽的に同じような、かなり似てるメロディになってしまうってパターンもあります。それこそ去年とある大ヒットした曲が、ある20年ほど前のゲーム音楽にメロディが似てるってことで話題になりました」
「へえ、そんなことが?」
「聞いてみます?」
 といって、猫宮はMacbookを広げて、YoutubeとiTunesをそれぞれ起動させた。レコードをきいている回線から、スピーカーセレクターで切り替えて例のヒット曲が流れてくる。
「こっちがゲーム音楽のほうです」
 九十年代終わり頃、という感じのシンセリード音が響いた。確かにメロディは似ている気がする。
「似ているね。素人目線だけども。まあ同じ曲、というほどではないような感じもするかな」
 佐倉先生が答える。
「そうですね。僕は作曲家ではないですけど、このテンポ感、そしてサビ部分のコード進行だとおそらく誰が書いても、ある程度こういう感じのメロディの流れになると思うんですよ。それが一番、作曲家として自然というか」
「でも猫宮、それはそもそも、そのコード進行を選択している、という時点である程度意図的なものだっていえるんじゃないのか?」
「それは否定はできません。だけど、そもそもコード進行というのはそれこそそんなにパターンがあるわけじゃないんです。もちろん細かく言い出せば、様々な要素がありますが、この二つの曲と同じコード進行の曲なんて世の中に、ここ十年の日本の曲だけに絞ったって数え切れないくらいありますよ、だから」といって猫宮は一呼吸をおいた。「この場合は誰がどのように歌って、演奏しているのか、あとは歌詞ですね。それが違いともいえるんです。この曲だってそこが一番のポイントなんだと思いますよ。まあ有名になりすぎて、インスト音源なんかもたくさんつくられちゃったから、このゲーム音楽と比較される場が多くなっちゃったってこともあるでしょうし。たぶんこんな有名じゃない曲で、このゲーム音楽に似てる曲は他にもあったんじゃないかなと思うんです」
「なるほどね。つまりその差を生み出すのが猫宮たちの仕事だと」
「そうともいえます。だから、別々のふたりが、それこそ同じ曲といえるものをつくることがあるかどうかでいえば、僕ら作詞家がいる限りは結局そういうことにはならないんですよ」
 猫宮がそういうと、佐倉先生はさらに難しげな顔つきになった。
「それじゃあ、歌詞もメロディも同じ曲、それを偶然ふたりの人間がつくってしまうということは」
「それはありません」
 猫宮が断言した。「確率的にゼロでないというだけで、現実にはありません」
「しかしあるんだよ。」
「誰の曲ですか」
 佐倉先生が、今日一番困惑した表情で言った。
「僕の」

 蜂谷輪廻は知っているよね、と佐倉先生はかえでの方をみて、自分の話になってしまってすまない、とも付け加えながら、続けた。
「もちろんです。今、うちの会社で一番の売れっ子ですから」
 蜂谷輪廻は、元々動画投稿サイトでボーカロイドをつかった音楽を投稿し、いわゆるボカロPとして活動していた。ボーカロイド黎明期から定期的に楽曲をアップしていたが、3年目とある曲が100万再生を突破。そして、今から5年ほど前には蜂谷輪廻名義で、自身もシンガーソングライターとしてデビュー。デビュー後もメディアでの顔出しは少なかったが、今年の年末にははじめてのテレビ出演として紅白歌合戦の出演が決まり、相当ニュースになった。そういえば、その裏で会社の先輩たちが相当動いた、ということも聞かされていた。本人は、できる限り人前にでたがらない。ライブも基本的にはないし、テレビ番組に出るなんてありえないということで、レコード会社にとってはなかなかに「面倒な」アーティストなのだ。しかし、それでも会社への貢献度は絶大で、また影響力も大きい。会社としても、さすがに「紅白」を断るわけにはいかず、その調整に難儀したというわけだった。どうやら、数年後にせまる国民的行事と絡んだやりとりもあったらしい。しかし、それ以上のことは若手の社員の耳まで入ってくるようなことではなかった。
「今度の年末に紅白にも出るって、相当盛り上がっていたみたいだね。」
「はい。でも、今年の動き自体はそれに比べると少し大人しいですね。配信で、3曲ほどリリースしたくらいです。会社としては、結構大変だと思います」
 動きがあればあったで調整に難儀するし、何もなければ今度は売り上げに問題がでる。アーティストを扱うレコード会社は常にこの問題を抱えている。特に蜂谷輪廻に関しては、その傾向が強い。
 彼は、アーティストとしては遅咲きである。二十代前半に上京して、当時バンドブーム全盛だった下北沢などを中心にバンドの鍵盤と作曲担当として活動していたらしい。らしい、というのも本人はあまりそのことを語りたがらないし、そのバンド時代も資料が多く残るほど成功はしなかったようだ。ただ、当時共演し、のちにブレイクしたバンドや友人たちの話などによると当時そのバンドはいわば「大人に騙された」形になったらしい。大人、というのはここではかえでたち「レコード会社」のことをいう。当時はバンド界隈のセールスも今以上に大きく、各レコード会社は見込みあるバンドをどんどん青田買いするようになっていた。育成のための契約はするものの、いつまでたってもデビューができない。バイトと借金をしながらのバンド生活は数年続き、そうこうしている間に自分たちがデビューのためにあたためていた楽曲が担当していた新人発掘担当の手によって別の新人シンガーの楽曲として使われてしまった。担当は「これがヒットしたら、バンドのデビューへの足がかりにもなる」といったが、結局そのシンガーも鳴かず飛ばずで、勝手に楽曲を使ったにもかかわらずその担当者は売れなかった責任を楽曲製作者であるバンドにおしつけて、いつのまにか別の部署に消えていった。その後バンドを諦め就職し、会社員をしながらボカロPとしてヒットし各社から契約を持ちかけられた際もその会社とだけは絶対に契約をしない、と蜂谷輪廻は名指しで拒否したらしい。うちの会社はある意味そのおこぼれにあずかったわけだ。蜂谷輪廻の曲は、正直どのレコード会社から出たとしても十分に売れただろう、とわたしは思った。それでも、一応うちの会社への信頼はそれなりにあるらしく、いまだに契約は続いているし、他社に移るという話は聞いたことがない。こんなアーティストを担当してみたい、という気持ちはなくはないが、もしできることなら自分でそれを発見した上で、担当してここまでの存在になったとしたら、それが一番嬉しいだろうとは思う。
「今年の春に出た曲」
 佐倉先生が思い出すようにゆっくりと話し始めた。
「タイトルはえっと、「恋の作法」っていったかな。まあ、それはあとでネットで調べたんだ。たまたま論文を読もうとおもって立ち寄った喫茶店にいたときかな、この曲が店内放送でかかってきてね。蜂谷輪廻という名前は知っていたけど、どんな曲を歌っているのかまでは詳しくは知らなかった。店内の音量もそんなに大きくなかったから、本当に偶然きこえてきたのだけれど、その曲が」
 佐倉先生がまだ喋っている途中に、猫宮はMacbookを操作してYoutubeにあがっているミュージックビデオを開いた。幸い広告は流れず、曲がスタートする。猫宮は、蜂谷輪廻はサブスクに曲がないんですよね、といった。
「そう、この曲。これで僕はびっくりしちゃって」


作法は知らなかったの
年も好みも同じね
いつかそれでもいいよと
いえるかな

 前奏はほんの少しで、すぐに冒頭のメロディが流れてくる。蜂谷輪廻の曲を、詳しく全部聞いて分析したことがあるわけではないが、この曲はこれまでリリースされた曲や、ボカロP時代の曲ともまた違った雰囲気のように思えた。ボカロP時代に多かったような難解な単語が多用された歌詞ではないが、一方で蜂谷輪廻名義の歌詞ほどわかりやすい情景描写があるわけでもない、どこか抽象的すぎる歌詞であるというのが、そもそも最初にきいたときのわたしの印象でもあった。佐倉先生が聞き入っているのでわたしは猫宮に少し話をふることにした。
「猫宮さんは、この曲はきいたことありましたか?」
 猫宮は何かを思い出すように、
「まあ、去年から蜂谷輪廻の曲は、聞かないでいるほうが難しいくらい、どこでもかかってますし。それこそ貴女の会社にいったときも、ロビーで待たされた間に聞きましたよ」
「それは、すいません」
 たしかに会社のロビーでは、その前後にリリースした曲のミュージックビデオが何度もループしてかけられている。そしてそれは社員よりも、打ち合わせなどで来社したお客さんのほうが、待っている間に何度もみることになるのだろう。
 2コーラス目のサビがおわり、間奏にはいったところで、もう一度佐倉先生が口を開いた。
「うん、やっぱりそうだ。」
「どういうことですか?」
「1番、ていうのかな、繰り返しまでの部分は、僕が子供の頃につくった曲とそっくり一緒なんだよ。特に冒頭の歌詞とか」
「こんな歌詞を、子供の頃に書いたんですか?」
 私がきいたが、佐倉先生はそこは問題じゃない、と言わんばかりの顔でこちらを見た。
「というよりも、僕は小さい頃にこの曲を歌っていたんだ。すでにね。小さい頃はこれでもピアノを習っていたんだよ。先生が「この子は才能がある」なんてことを小さい頃に親にいっちゃったもんだから、両親もその気になっちゃって。小学生くらいまではずいぶん熱心に通ったな。僕はどちらかというと歌が好きで、クラシックを弾くことよりもピアノ弾きながら歌ったり、というのが好きだったんだけどね」
「え、そうだったんですか?」
 佐倉先生がピアノをやっていたことがあったというのは初耳だ。まあ子供の頃の習い事として、ピアノはそれほど珍しいものではないし、あえて周りにいうほどのことでもないだろう。わたしも小さい時にはピアノを少し習ったことはあった。もちろん例に漏れず、すぐにやめてしまったけれど、この仕事についた今思えばもっとちゃんとやっておけばよかったと感じなくもない。
「うん、まあ親も本当に最初は熱心にピアノにいけいけとうるさくて嫌だったんだけど、僕がそんな感じだってことに気づいてたのか、ある時から急に「行かなくていい」みたいなことを言いだしてね。それ以来、好きなことを続けたほうが周りが納得するんだなと気づいたよ。まあそれで今は研究者なんてやってるわけだけど」
 ゼミの頃にもあったような感じで関係のない持論に話が展開しそうだったので、わたしは話を元に戻した。
「で、じゃあそんな小さいときにピアノで弾いて歌ってたってことなんですか?」
「あの頃はいまでいうポップスを弾くのも好きだったけど、他にもいろんな曲をつくって遊んでたんだ。中には結構よくできた曲もあって、僕も覚えている。両親はまったくポップスを聞かない人だったらから何も言わなかったのもあって後で気づいたんだけど、中には僕が作ったわけじゃない曲もいっぱい混ざっていたけどね」
「それは、知らず知らずのうちにどこかで聞いた曲を弾いてたってことですか?」
 と猫宮が口を挟んだ
「まあそういうことだろうね」
「でも「恋の作法」、まあ僕はたしかそれを「お作法」って呼んでたと思うんだけど。これは、そうやってあとで曲を探しても見つからなかったんだ。当時は、歌本とかいって最新の曲の簡単な譜面が載っている雑誌を毎月立ち読みしてただけなんだけど、その中には少なくともなかった。今だったら歌詞検索とか、いくらでもできるだろうけど、まあネットが使えるようになってしばらくしてからも調べたさ。でも、どこにもなかったから、ああこれは小さい頃僕が作った曲の一つだったんだなってことで、もう何年も存在すら忘れていたんだ」
「それが、蜂谷輪廻の曲としてリリースされたと」
「まあそうだね。」そういえば、といって佐倉先生はスマホを取り出した。「これで、Youtubeの蜂谷輪廻の動画を送って、両親にも見てもらったんだ。覚えてないかって。そしたら、これだけじゃあ全部はわからないけど、やっぱりなんとなく記憶があるっていうんだよ。クラシックしか聴かない、僕の両親が覚えているって言ったんだからなぁ」
「それじゃあ、少なくともその曲に似た曲を小さい頃の佐倉先生が弾いたり、歌ったりしてたのは間違いないってことなんですかね、でもだとすると」と言いながら私は首をひねった。
 しかしただ単に似た曲というのであれば、さきほど猫宮も言った通り、まったくありえないというほどのことではない。
「蜂谷輪廻が子供のときの佐倉先生の曲を、言い方は悪いですが、つまりパクったってことですか?」
「いや、でもこの曲は何年も、それこそ子供の頃以来誰にも聴かせていないし、パクるも何もないと思うけど」
「それなら、たまたま、さっきもいったように例えばコード進行とか、そういうことの関係で似たような内容になっちゃったってことですか?」
「いや、それはないよ。だって歌詞まで一緒なんだから」
 それは不思議な話である。メロディやコードが似ることはあっても、歌詞も合わせて曲が偶然似ることはない、というのは通念としてあるし、猫宮の先ほどの話からもそれは作詞家をはじめ音楽の仕事をしている人全員がもっている確信だ。わたしにしても、曲をきいて似ていると思う時に歌詞に対してまでそのようなことを思ったことは一度もなかった。
「佐倉さんも、その曲を「作法」と呼んでいたんですよね?」と立ち上がってレコードの棚を眺めながら黙っていた猫宮が尋ねた。何か考えているようにも見えたが、ただレコードを探しているだけにも見える。
「ああ、「お作法」ね。」
「で、歌詞も一緒だと」
「そう」
 うーん、と猫宮は口に出した。
「歌詞が一部だけ、似ることはありえます。このメロディなら、こう来るだろうと歌詞のパターンが絞られることはありますから。例えば、この曲の冒頭の「作法」は僕でもこうしたいな、と思うくらいハマりがよいんです。だから、ここは偶然同じということはありえなくはない」
「そんな偶然あるんですか?」と私は途中で口を挟んで、しまったと思った。佐倉先生は、わたしのほうを見て、そのまま話をきけ、というような目配せをしている。
「ないとはいえないというくらいですよ。そこだけなら。この曲のコード進行は、イントロから4度メジャーセブンス、3度メジャー、6度マイナーセブンス、5度マイナーセブンスの繰り返し。まあよくあるコード進行の曲です。これに関しては、コードアレンジのオリジナリティというのは議論するレベルのことではないですね。僕は絶対音感があるわけでもないし、コードの理屈に詳しいわけでもないので、なんともいえないけれど、蜂谷輪廻らしいボイシングがこの独特の雰囲気をつくっているという気はしますけど。」ですが、といって猫宮はさらに続けた。
「そのあとの歌詞も同じになるっていうのは、偶然では考えられないですね。佐倉さん、やはりどこかでこの曲をきいたか、あるいは佐倉さん自身がこれをどこかで歌ったんじゃないですか?」
「うーん、酔っ払ってみんなでカラオケにいったときのことまでは覚えてないからね」といって佐倉先生は笑った。
「もう一度、その曲をつくった、と思われる時期のことを聞かせてもらってもいいですか」
 猫宮が聞くと、佐倉先生は猫宮にもう一度曲を再生するように言ってから話し始めた。

 佐倉優作少年は、神戸市内の裕福な家庭に生まれた。1980年代初め頃の話だ。いわゆるバブル経済の真っ只中で、父親が営む不動産業は、あの頃ほど羽振りがよかった時代はそれまでも、これからも間違いなくない、というくらいのものだったらしい。というのも、少年が物心ついたころにはもうその上り調子の経済には陰りがみえていたからだ。それでも父親は今となってはうまく売り抜けたほうなようで、佐倉家が金銭に困るということはその後もなかった。家には、本物のグランドピアノが置いてあったし、四半期ごとくらいに調律のために人を家に呼んでいた。父親はクラシック好きだが、楽器はまったくという状態で、もっぱら音大卒の妻、つまり佐倉少年の母にそのピアノを弾かせたり、自分の子供にも時折そのピアノを弾かせて喜んでいた(子供の練習用のアップライトピアノがそれとは別に子供部屋にもあった)。4歳の頃から佐倉少年は近所にあるピアノ教室に通わされることになった。少年より、5歳年上の姉も同じ先生からピアノの指導を受けたあと、東京にある音楽系の専門コースがある高校に進み、そのまま海外の大学に進学して声楽を専攻した。その先生は、以前ポップスのグループのバックバンドをつとめたこともあり、譜面通りにクラシックの楽曲を弾くだけでなく、ポップスを弾きたがる佐倉少年のためにコードを教えて、テレビで彼が見た曲をピアノで弾く方法を伝授した。それで、少年は家のアップライトピアノや、時に父がいない時にはグランドピアノで好きかってに自作曲を演奏しながら歌っていたわけだ。それでも両親は基本的にはそのピアノではクラシックを弾くようにいったので、教室にいる間の1時間はいつも先生が弾くクラシックを聞き、それを弾くということを繰り返した。まだ若い先生の教室は、その先生自身の実家らしく古くなった一階リビングを教室として使っていた。生徒はそんなに多くはなかったようで、いつも自分の前に女の子がひとり、おわったあとには誰もいないので課題曲が弾けていない佐倉少年は頻繁に居残りとなった。しかし家で練習をしないものだから、さすがに週に一回の教室では上手くならない。上手くならないと結局全く面白くなく余計に練習しなくなる。母親にいわれてしかたなくピアノの前に座っても、好き勝手な曲はいくらでもでてくるのに、課題曲になると手が動かなくなる。だんだんと教室にいくのもいやになって、いつも出かけて行ってから先生の家の前で、まばらに通り過ぎていく高級車(当時はそれが高級車であることもわかっていなかったが)のナンバーの数字を足し算するというだけの作業をしながら10分くらい時間をつぶしたりするようになっていた。そうすると、それまでピアノを弾いていた先生がみかねて外まで出てきて、そこから1時間の教室がはじまる。さらに居残りもするので、帰るのも遅くなり、みたいテレビも見られなくなってしまうという、少年にとっては最悪の循環がおこる水曜日だった。しかし、10歳くらいになったある日、ちょうど姉が音楽系の高校への進学が決まって、もうすぐに東京にいくという話を突然聞かされて驚いていた頃、母親からもうピアノ教室には行かなくてよいと言われた。姉がピアニストとしての道を進み始めたタイミングで、逆に特にクラシックに対してやる気をみせない少年に両親の愛想がつきたのか親の本心はわからなかったし、先生のことが嫌だったわけではないが、やっかいな時間がなくなるのはありがたいとすぐにやめて、その後家でピアノを弾くのはたまに好きな曲を好き勝手に弾いたり、自分の作った自作の曲をひくときくらいになった。姉が上京した後は、母もあまりピアノを弾かなくなり、父はもっぱらクラシックをレコードで聴くばかりになった。父はCDが気に入らないらしく、もう古くなったレコードプレイヤーを今度は頻繁に専門家に修理してもらいながら大事に使っていた。

「小学校高学年になるころには、本を読むほうが楽しくなってきてね。近くに大きな図書館があったんだ。中学校の図書館にはないようなサルトルの小説とか、フーコーの『狂気の歴史』とか、よくわからないままに読むようにもなったし、音楽もそういえばその図書館でCDを借りられたんだけど、うちでは聞けなかったからね」
 佐倉先生は、おそらくかなり裕福な家に育ったのだろうな、という予想はゼミにいたころからしていたので、その点は驚きではなかったが、それにしてもかなりのお金持ちだったらしい。フーコーを中学生の頃から読むというのはどういうことだろうか。さすがに邦訳を読んだということなのだろうが、それにしてもそんな同級生はまわりにいなかったように思う。それとも自分がしらないだけで、教室の片隅にそういう人がいたのだろうか。
「それじゃあ、その「恋の作法」を弾いていたのも、やっぱりそのくらいのときってことなんですか?」と私はきいた。「中学生が知っている言葉とかで、こんな歌詞かけるんですか。あ、でもまあサルトルを読むような中学生か」
「いや、残念ながらそれでいえば、これはもっと前だと思う。十歳くらいのころかな。たしかにね、今考えてもそのころに例えば「作法」なんて言葉を知っていたのかな、とは思うよ。」
「意味はわからなくても、歌にはできますからね」と猫宮が口を挟む。
「どういうことですか?」
 ああつまり、といって猫宮はいつのまにか手に持っていたコーヒーカップを口にしてから、
「例えば小さい頃、意味もわからずに歌っていた曲ってありませんか?もっといえば、例えば英語や、もっと別の言語で書かれた曲、それを語彙としてはしらなくても歌うことはできる、ってこと」
「でも、知らない言葉は歌詞にできないですよね」
「それは、なんとも」といって猫宮は佐倉先生のほうをみた。「難しい問題です。ねえ、佐倉さん」
「うーん」
「え、どういうことですか?」
 佐倉先生は猫宮のほうをみて、自分が説明するのか、という様子でちょっと困ったような顔をした。
「つまりね、たぶん彼がいいたいのは、「知ってる」ってことはそんな単純に定義できないってことかなと思うんだけど」といって猫宮のほうをみると、それであってますよ、という感じで猫宮が目配せをする。自分で説明するのが面倒なのか。それとも恩師である佐倉先生からの説明のほうがわかりやすいと思ったからなのかはわからないが、猫宮のその表情は少し憎らしかった。「例えば、「恋」というものを知っているというのはどういうことか、なかなか説明できないだろう。でも恋の曲を書くことができる。それはひとつには「恋」とはこういうものだ、ということを説明することが文章によって、あるいは歌によって可能になるからだ。どこかで聞いた言葉を無理やり使って、それを歌詞のように歌うことは、それこそただ歌うだけなら別にできないことじゃないからね」
「うーん、なんかわかったようなわからないような話ですね。でもじゃあ先生が、例えば「作法」という言葉の意味はわからないけど、それをつかって歌詞をかいたことはありえるってことなんですか?」
「理屈としては」といって笑ったあと、佐倉先生はさらに続けた「まあでも、問題はそこじゃない。僕が歌っていたその曲がなぜ今になって、「恋の作法」なんてタイトルで、しかも蜂谷輪廻の曲として、出てきたのかってことだよ」
「そうですね」
 そういった私をさえぎって猫宮が、
「いや、問題はそこじゃない」
「え?」
「訳詞ですよ。それでここに来たんだから」
「あ、そうでした!」話に夢中になってすっかり忘れていたが、来週には例の訳詞について結論を、一応上司に提出しなければいけないのだ。「あの、なんとか、引き受けていただけますか。といっても、何をお願いしているのか自分でもよくわかってないのですが、とりあえずどうしてこれが進まないのかだけでもわかれば」
 話を忘れていたのと、あせっているのとで、まくしたててしまった。
「わかりました。そうですね、たぶんお力にはなれると思いますよ。ただ、ちょっとお願いしたいことがあるのですが…」

 猫宮が出した条件は、意外なことに佐倉先生の話に関するものだった。「恋の作法」について、これはなかなか面白い問題だと思います、と猫宮はいった。そして、私には蜂谷輪廻についてネットには出ていないだろういくつかの情報を調べてくるようにいった。実際の年齢や出身地など、自分のいる会社のアーティストのことなので調べられないことはないし、いざとなれば担当者たちに聞くこともできるだろう。猫宮はさらに、その蜂谷輪廻のアーティスト担当のレーベルスタッフについてもプロフィールを調べてくるようにいった。
「どうしてスタッフまで?」と聞いたが、それに対して猫宮は、まあとにかく週明けにもう一度ここにきてください、といった。訳詞の方もそれまでに、ともいって佐倉先生には
「佐倉さん、その時間大丈夫ですか?」
「ああ、授業はその後だから、ここには来られるよ」
「それなら、それまでにもう一度、ご両親に、この音源、今ちょっと「恋の作法」のデータだけを取り出したので、えっとスマホは使えますか、ご両親は」
「ああ、大丈夫だと思う。Youtubeはパソコンでみたんだと思うけどね」
「そうでしょうね。そしたら、そのまま聞けるようにしたんで、これを聞いてもらって、本当にこの曲を以前にきいたことがあったか、もう一度聞いてみてください」
「これは、Youtubeとは違う音源なの?」
「音質は違いますよ」
 じゃあまた来週に、といって猫宮は、もうこちらを振り返ることなく奥の部屋に入っていった。

 訳詞について聞きにいったつもりだが、思わぬ不思議な話を聞いてしまった。最近、人気アーティストが発売した楽曲が、過去に自分が演奏したり歌ったりしていた自作の曲とそっくり歌詞まで同じだった、というこの話が本当だとしたらこれは本当にただ偶然そんなことが起こってしまったとしか考えられないのだろうか。しかし、猫宮もいっていたとおりそれはにわかには考えづらい。
 結局猫宮のスタジオからの帰り道、訳詞のことはいったん猫宮に任せたと思い込むことにして、むしろ無関係だった「恋の作法」のことだけを考えて会社まで戻ることになった。この悩みをある程度自分の意思で切り替えられるのはレコード会社のスタッフに向いている、と昔上司に言われたことがあった。色々なアーティストを同時に担当しなければいけない以上は、たしかに必要な能力だろうと今では思う。もちろん、できればこの訳詞にしても自分だけで解決できるならそれに越したことはないだろうが、自分ができることはやったのだから、あとはプロに任せておくのが一番だろう。それに猫宮という作詞家がどんな答えを持ってくるのか、というのは純粋に楽しみだった。
 湯島天神の裏あたりから御茶ノ水駅まで歩いて、今度はJRにのる。次に猫宮のスタジオに来るときはこっちから来た方が楽だろうとは思ったが、この辺りは坂も多く駅までの数回のアップダウンで少し疲れてしまった。幸いホームにきた総武線は空いていて、数駅だが座ることにした。
 同じ曲ができたことが偶然でないとすれば、やはりひとつの可能性は佐倉先生の勘違いだろう。デジャビュ、といえるような感覚をもったことは自分もある。音楽に関しても、新曲をきいたときに、「この曲は以前にきいたことがある」というような感覚をもったことはある。それを、自分が過去につくった曲だと感じたことはないが、それは自分がそもそも曲を作ったりしたことがない人間だからで、佐倉先生は小さい頃によく曲をつくっていたそうだから、その時の記憶と混乱してこの「恋の作法」も自分がつくった、というようなデジャビュを感じてしまったのかもしれない。そういえば、かつてまさに彼のゼミで読んだウィトゲンシュタインの『哲学探究』の話の中にも記憶に関する話があった。人間の、あるものに関する感覚が、今と明日で同じであるといえるのはその「記憶」によるものであって、その記憶が疑わしいものであれば、その感覚も正しいとはいえない、というような話だったと思う。ウィトゲンシュタインは彼のいうところの「私的言語」を否定しているということだった。当時その「私的言語」という言葉の意味も含めて、わたしにはほとんど理解できていなかったような気もするが、もしも曲をつくったり歌詞を書いたりということが「言語にすること」だとしても、佐倉先生の頭の中だけに、それがあったと間違いなくいえるような、もともとの『お作法』という曲はやはり私的言語ということにはならない、ということになるのだろう。なぜなら、それは「恋の作法」として、もうすでに蜂谷輪廻や、あるいはその曲を既にきいたわたしたちと共通の言語で語られている、ということになるからだ。でも、もし本当の意味で「歌詞を生み出すこと」「曲を生み出すこと」の過程に私的言語のようなもの、つまりその内容を誰にも伝えることできないようなもの、があるとすれば偶然「同じ曲ができてしまう」などということは絶対にありえないことになる。
 もし、単に今回のことが佐倉先生の勘違いだったとすると、先生の両親の発言と合わないことになってしまうが、もしかしたら猫宮はそれを確認するために、再度先生の両親に曲を聞いてもらうようにいったのかもしれない。そう考えれば、基本的に筋は通る。このあたりまで考えていたところで、右手に見慣れた釣り堀がみえて電車は市ヶ谷駅のホームに入った。そういえば、蜂谷輪廻の担当者の電話番号は知っていただろうか、上司に聞けば間違いなくわかるだろうけれど、その場合は訳詞の件をなんと説明するか考えないといけないなと思いながら、会社までの坂をまた登った。

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 この業界には週末というのはあってないようなもの、むしろ忙しいのが週末で、わたしはこの土日のどちらもライブの現場にでかけることになっていた。ちょうど幸いにもそのうちのひとつのイベント会場で蜂谷輪廻を以前担当していた林という三つ年上の先輩に会うことができた。どうやら林にとってはあまりいい異動ではなかったらしく、というのもせっかく蜂谷輪廻自身との信頼関係も生まれて来た時期になって、他社からきた制作担当が一人、制作ディレクターとして蜂谷輪廻の担当をすることになったらしい。以前の会社で、とある誰もがしるビッグアーティストを担当していたとかで、会社的にも相当期待されており、今うちでも一番勢いのあある蜂谷輪廻の担当となった。しかし林からすると、彼のやり方はそのビッグアーティストをうった九十年代なら「偶然」成立したかもしれないが、今時はありえないようなものだったらしい。それを上司に進言したら、結局自分が別の新人の担当に異動ということになった。たしかにうちの会社ではありそうなことだ。
 そんな愚痴を聞きながら、結果的に現在の担当はその林がいうところの「九十年代で思考がとまった」人であることがわかり、猫宮に言われた蜂谷輪廻の出身地も「多分そうだったと思う」ということで教えてもらうことができた。猫宮からは、わかったらLINEでいいので、先に連絡してほしい、と言われていたので、その場で連絡をいれておいた。

>蜂谷輪廻は兵庫県出身で今35歳のようです。
>担当は一年前くらいに異動になってきた斉藤という人間でした。

すぐに既読がつき、猫宮からも返事がきた。

>その斉藤さんという人が前にいたレーベルっていうのはどこ?

>それは今はわからないので、火曜までに上司に聞いておきます。

と返事をして、その日は久々に見る学生時代から好きだったロックバンドのライブを楽しんだ。


 火曜日、最近新しくなった社員食堂で、同期で入って今はスタジオの方で働いている同期とランチをしてから、そのまま机には戻らず、JR市ヶ谷駅に向かった。約束の時間より三十分くらいはやくつきそうだったが、先日の道を逆向きに通って猫宮のスタジオに向かう。
「はやかったですね」
「いろいろと気になっちゃって」
「佐倉さんはあと二十分くらいでくるとは思います。今のうちに、「恋の作法」をもう一回聴いておきましょう。実はアナログ盤もちょうど最近出ていることがわかったので、週末に頼んでおきました。」といって、猫宮はレコードプレイヤーをセッティングし始めた。音質は確かに違う気もするが、先週聴いて、きょうも今来る途中に電車の中でスマホから聴いていた曲と同じイントロが流れはじめる。
「ところでこの曲、実際どう思いますか?」
と、猫宮がきいた。
「えっと」何について聞かれたのかわからないまま私が言いよどんでいると猫宮は、もし先生が作った曲だと考えるとネガティヴな評価はいいづらいでしょうけど、そこは素直に聞かせてください、といった。
「このAメロから、ちょっと不穏な感じですよね。拍の取り方というか。実はあのあと、あらためて蜂谷輪廻の曲を他ぜんぶ聴いてみたんですが、この「恋の作法」のような曲は他にないような気がしました。他はもっとメロに対する歌詞の載せ方が、なんていうかスムーズに感じたというか。決してこの「恋の作法」が悪いというわけではないんですけど、言葉のハマり方が違っているような気がします。だから、そう考えるとやっぱりこれは蜂谷輪廻が作った曲ではなくて、もしかして佐倉先生がつくった曲なんじゃないかと」
「たしかにJ-POPでこのAメロはめずらしいと思います。音節の数が、かなり変わっている。やはり普段J-POPの制作をしているとそう感じますか?」
「そうですね。どちらかというと、詞にあわせて曲をつくったのかな、というような気がしました」
「その通りだと思いますよ」
 猫宮はそういって、コーヒーでも飲みますか?といった。曲は間奏から、最後のサビに入ろうとしたところだった。楽器の音のほとんどが消えて、蜂谷輪廻のシルキーでいて張り付くような声と、硬質な音色にも感じるピアノのコードだけが残るパートだ。
「アレンジはまあ今のJ-POPという感じの典型的なスタイルで、これを聴いただけでは正直誰が編曲なのかもわからないし、クレジットをみても、誰がやったか書いていない。それどころか、実はこの曲、少なくとも僕が買ったこのアナログ盤や、web上もクレジットに誰の名前も載っていないんですよ」
 それには気づいていなかった。そもそもCDなどを制作していれば、そこにクレジットを乗せることは基本中の基本である。私も、今やCDを買う一番の楽しみはブックレットに載っている詳細なクレジットを読むことになっていた。歌詞などは後でweb上で調べることができ、作詞者や作曲者もそこにのることは多いが、編曲者やエンジニア、スタジオの情報などを知ることができるのがブックレットをみたときくらいだ。
「会社の規定として、ある程度いれなきゃいけないはずなんですけど」
「アナログ盤は、別のところからでているって可能性もまあ、あるのかな。一応レーベル名は同じのようだけど、そのあたりのルールは何かあるのかもしれないですね。まあしかし、これでより僕の想像が間違っていないかな、という気がして来ました。」
「猫宮さんは、どうして佐倉先生が子供の頃につくった曲、えっとまあ佐倉先生がそう思っているだけかもしれないですけど、それがこうやって蜂谷輪廻の曲、「恋の作法」として出るなんてことがおこったのか、もうわかっているんですか?」
「わかっていると思います」猫宮はこともなさげに答えた。「そういえば、蜂谷輪廻のレーベル担当のことはわかりましたか?」
 それは昨日上司にきいてわかっていた。訳詞のほうの進捗ももちろん確認されたが、そのためにも必要な情報なんですというと、不思議そうな顔をしながらもまあ進んでいるならいいのだけど、といって上司はいろいろと蜂谷輪廻について知っていることを教えてくれた。基本的に自分は周りの人間に恵まれている、と思う。
「担当は、 LINEもしたとおり一年前くらいに変わっていて、A社からきた斎藤さんという方らしいですね。もちろん、今回の「恋の作法」も担当しています。ただ、私の上司が言うには、蜂谷輪廻は基本的にすべて自宅スタジオでレコーディングやミックスまで済ませてしまって、ディレクターと会う機会もほとんどないみたいですよ。ディレクターはただ、あがってくる曲の中から今後出す曲を考えたりするんだとか。まあそれであれだけの曲が出てくるんなら楽でいいですけど、そんな仕事やってて楽しいんですかね?」と思わず最近会社の一部のスタッフに対して思っていた本音が出てしまう。
「なるほど」と言いながら猫宮はレコードプレイヤーをとめ、またスピーカーの入力をPCの方に切り替えて、今度はYoutubeから「恋の作法」のミュージックビデオを流した。「僕は蜂谷輪廻さんにあったことはないですけど、その気持ちはわかります」
 ここに写っているのが蜂谷輪廻さんですね。といって猫宮は画面を指差した。私は一度だけ会社で蜂谷輪廻本人をみたことがある。それは光の当たり具合で必ずしも見えやすいものではなかったが、たしかにその時見た蜂谷輪廻の顔と一緒のようにみえた。
「会わずに仕事になるならその方がいいってことですか?」
「いや、会いたくない人もいるってことです」
 ちょうどそのとき、入り口のドアが開く音がして人が入って来た。佐倉先生は先日きたときと同じような格好をしている。そういえば大学のゼミにいた頃も、先生は毎日変わらず同じようなグレーのスーツを着ていた。一度聞いたことがあったが、同じものを何着ももっていて、そうすれば「毎日悩まなくて済む」らしい。猫宮はというと、こちらも先日と似たような全身黒ずくめのスタイルだったが、靴下だけは今日もカラフルだった。
「申し訳ない、遅くなってしまって」
「時間通りですよ」と猫宮がこちらを見ながら笑った。かえではいってみれば関係のない話なのに気になって早く来てしまったわけで、少しだけ恥ずかしい。
「佐倉さんも、えっと二人ともコーヒーでいいですか?」
 二人が同時に頷くと、猫宮は、佐倉さんもきたんでもう一回アナログのほうで聞きましょうか、といってまたレコードをかけ始めた。

「さて佐倉さん、ご両親に聞いていただけましたか。あの音源」
「ああ、それが」といって佐倉先生はちょっと気まずそうな顔をした。「聞いたんだけども、うーん、どういうことなんだろうか。うちの両親はLINEとかメールとかやりとりを長くしたがらないのもあって、特に父親はそうなんだけども、だからあまり詳しくは聞けてないから、やっぱり僕の勘違いだったのかな」
「どういうことですか?」こんなはっきりしない様子の佐倉先生を見たのははじめてだったので、驚いて私はきいた。
「うん、猫宮が用意してくれた音源、その曲は、覚えていないって」
「え、じゃあ前、ご両親が記憶があるっていってたのは」
「勘違いだったのかな」
 と佐倉先生がいうと、猫宮はスピーカーのボリュームをいじりながらこちらを向いた。
「いや、そういうことじゃないんです」
「というと?」
「佐倉さんのご両親は、Youtubeで蜂谷輪廻の「恋の作法」のミュージックビデオをみて、そこに写っているものに覚えがあったんですよ。つまり、蜂谷輪廻をかつて実際にみたことがあった、ということです」
「うちの両親が?テレビとかで見たってことか?」
「ご両親はテレビ、見られるんですか?」
「テレビはまったく見ないことはないと思うけれど、音楽番組はみないと思う。CDもきかないような人たちだし、今回も聞き方を説明してやってやっとスマホで音楽をきいてくれたくらいだから、普段だってレコードじゃなきゃ音楽を聞こうともしないんだ。それもほとんどがクラシック」
「蜂谷輪廻はテレビに出演したことがないんです」とかえでが付け加えた。「少なくともうちの会社と契約してからは、今度の年末がはじめて予定です」
「うん、だから、佐倉さんのご両親は、もしこのミュージックビデオを以前に見てないんだとすればもっとずっと昔に、それこそ子供のころの蜂谷輪廻にあっているだと思います。まあ、これはもう推測でしかないですけどね。きっと、佐倉先生、あなたが通っていたピアノ教室には蜂谷輪廻もいっていたんですよ。だからご両親にとってもそんなにはっきりした記憶というわけでもなく、でも覚えていなくもない記憶だった。」
 なるほど、それで蜂谷輪廻の出身地を確認していた、というわけだったのか。たしかに同じ兵庫県だということはわかっていたし、その可能性はある。年齢もそう遠くはないはずだから、当時送り迎えなどで、佐倉先生の両親が、もし同じ教室に蜂谷輪廻が通っていたとしたら、顔を見ている可能性がないわけではない。それで、ミュージックビデオをみて面影があると思えるかはわからないが。
「僕はまったく覚えてないな」
「きっと忘れるようにしてたんですよ」と猫宮がいった。「さて、それで「恋の作法」という曲ですけどね、だからまあこの曲をそのピアノ教室にいたであろう二人が知っている、ということが正しければ後はそんなに難しいことはありません。つまり曲ができたのはそのときです」
「なるほど。それで、その時にどちらかがそれを弾いて歌っていたのをどちらかが聞いた、ってことですか?まあ十歳くらいなら、どちらがつくったかなんてわからなくなっちゃうってことはありそうですけど。」
「まあそうかもしれないですけどね。でも僕はおそらく、この曲をつくったのは佐倉先生でも、蜂谷輪廻でもなくて、お二人の先生だった方だと思います。彼女がつくった曲が」
「「恋の作法」なんですか?」
「そうそう、これも。本当はできたときにはこの歌詞の最初の部分はですね、作法ではなくて、サッホー、だとおもうんです」
「サッホウ?」と私と佐倉先生が同時に発音した。とっさに漢字が思い浮かばなかったが、博識な佐倉先生も、どんな字を書くんだ、と問いただしていたのでほっとした。
「そのままですよ。あるいはサッポーでもいいですけど」
「殺法?」
「漢字じゃないです。そのままカタカナで」
「ああ」といって佐倉先生は何やら納得したようだった。「それは、もしそうだとしたらたしかに、十歳の僕には絶対に書けない。いやでも、ああ、なるほど」
「どういうことですか?サッポーって?」
 すると猫宮が佐倉先生から話を引きついで
「サッホーは、古代ギリシャの詩人です」と答えた。
「人の名前なんですか?じゃあ、それを当時、佐倉先生にピアノを教えてた先生がそう歌っていたのを、佐倉先生も、蜂谷輪廻も作法だって間違って覚えてたってことですか?いや、でもたしかにそうだってなんでいえるんでしょう?聞き間違いだったら、他にも可能性があるんじゃ」
「この曲の歌詞、ちょっと譜割がかわってるって、そう言ってましたよね?」
 たしかに、少しかわった歌詞のつくりや文字数に思えたが、それが何か関係あるのだろうか。
「ええ、聞いたとき、他の曲にくらべてそんな気が。それが?」
 すると、猫宮はレコードに付属の歌詞カードを取り出して、それを見せながら、
「この形は、サッホー詩体といわれる詩のスタイルなんです」といった。「三行目までが十一音節、四行目が五音節でできているんです。文字だけみると、長音や短音の細かいところはわからないですし、歌のメロディの中で聞くと、実際の詩を読むのとは違う形になってしまいますが」
「なるほど」と佐倉先生がいった。「それで、サッホー、いや、今ならたぶんサッポーというだろうけれど、猫宮はこの詩の形からそこにたどりついたってわけか」
「はい。僕も、同じようにこの譜割は少し、ポップスのつくりとしては変だなと最初に感じたんです。もちろん、ポップス的なつくりをあえて無視してつくられた可能性はありますが、それにしてはその新しさというのは楽曲として生かされているとまでは言えないと思います。蜂谷輪廻くらいのアーティストなら、そういうチャレンジをしたとしても、もっと高いレベルで昇華するんじゃないかなと。で、あるならばこれをつくったのはそのようなポップス音楽的な完成度や新しさよりも、この歌詞の形を表現することに意味を感じてた人なんじゃないか、と」
「でも、それじゃあこれはやっぱり僕が作ったんではなくて」
「はい。佐倉さんはサッポーをご存知ですか?」
「今は知っている。哲学研究者なら、名前くらいは聞いたことがあるという感じじゃないかな。古代ギリシャの哲学は、研究者じゃなくても一通りは学ぶし、詩学というのは最重要テーマのひとつだから。」
「でも」
「もちろん、十歳のときは知らないさ。これを弾いていたのは確かだと思うけど、その言葉を音としてはわかっていても、まあ今回はそれすらも勘違いしていたわけだけど、その存在をしらないと書く意味がないようなサッポー詩型として僕が書く、ということはありえないね」
「やはり、この曲を書いたのは、佐倉さんの当時のピアノの先生です」と猫宮が断言した。「蜂谷輪廻も、佐倉さんも当時その先生の演奏でこの曲をしったんです。それを佐倉さんは、その後ピアノ教室にいかなくなったことで自分のつくった曲として記憶してしまったんですよ。先生がそれをきいたのは」
「たぶん、教室にいって、中に入るまでにまっていた十分間とか、その時だろうね。今思えば、あの時は入るのがいやで色々考えながらきいていたから、勝手にインプットされてしまったのかもしれない。それはまあ、ありえるな」
「でも」私は単純に疑問に思ったことをつぶやいた。「じゃあなぜ蜂谷輪廻は、この曲をリリースしたんですか?彼もこれを自分のつくった曲だって、勘違いしているってことなんですか?」
「佐倉さん、佐倉さんがピアノをやめたときに、もしかしてそのピアノの先生は教室を閉めてしまったんじゃないですか?」と猫宮が、かえでの疑問に答えないまま質問を続けた。
「ああ、それはあまり思い出せなかったんで、両親にも確認してもらったんだけど、実はそうだったらしい。たしかに、その後先生を見かけないなと思っていたけど、彼女は結局実家を手放してどこかに引っ越してしまったみたいだよ」
「だから、きっと蜂谷輪廻も、急にピアノ教室をはなれざるをえなかったんじゃないでしょうか。」
「きっとそうでしょうね。そういえば、今回気になって色々と調べたんですけど、蜂谷輪廻がインタビューで小さい頃ピアノをやっていたけど、ある事情でやめてしまったっていうのがあった気がします。そのときは、まあ子供の習いごとなんて気まぐれでそういうこともあるのかなって思ってたんですけど」といいながら私はやっと蜂谷輪廻のやりたかったことがわかった「ああ、きっとそれだ。それで、蜂谷輪廻はきっとその先生に何か伝えたかったんじゃないでしょうか。まあ今どき、なんとかして子どもの頃離れ離れになってしまった人を探すことは難しくなくなってきたとはいえ、SNSなんかを何もやっていなかったら会えない人や何をしているかわからない人もたしかにいますよね。その先生に何らかのメッセージを送りたくて、この曲を自分の曲としてリリースしたとか」
「そういうことなんじゃないかと思います」と猫宮が横で頷いた。
「先生には届いたのかな?まあ、まさか、その曲を聞いたことのある別の生徒がいて、その男がこんな感じで聞いているとは、蜂谷輪廻も思っていないだろうけども」
 佐倉先生はそういって、もう一度アナログレコードに入っていた歌詞をまじまじと読んでいた。
「いや、しかしなかなか面白い話だったよ。仮にこれが本当じゃなかったとしても、よくできた話だ。」佐倉先生はすっかり疑問が解消した、といった表情で本当に猫宮に感謝しているようだった。すべてが信じられるような話ではない、偶然の重なったような展開だがたしかに筋は通っている。「猫宮、ありがとう」
「いえ」
「なんだか僕の昔の記憶の話に付き合ってもらっちゃって、申し訳ないんだけど、ちょっとゼミがこのあとあってまた戻らないといけないんだ。いや、今日はありがとう」
「あ、わたしも一緒に」
「そういえば、訳詞の件はどうなったの?」
「あ!」
「すいません、その話を聞いて言ってもいいですか?」
「そうでしたね」

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 佐倉先生そのまま、またここでみんなでゆっくりレコードでもききたいね、といって笑顔で出ていった。
「すいません、訳詞のこと、こっちが本題だったのに」
「いや、大丈夫ですよ。それに、まったく関係ないことでもないんです。そうそう、これどうぞ」
猫宮からプリントされたA4の紙を渡される。
「これ訳詞、ですか?」
「はい、大先生のものを元に、僕が少し直してます。たぶん、大先生ならこれをみればわかると思いますけど」
「えっと」確かに、見ると少しずつ表現が変わっていた。「これは?」
「そういえば、サッポーってご存知でした?」内容について聞こうとしていたところを、また少し前の話に戻される。
「いえ、恥ずかしながら知らなかったです。ギリシャの詩人、でしたっけ?」
「古代ギリシャ、今から二千五百年も前の人物です」
「そんな昔の人の詩の形が、今も現代の曲にいかされるなんてことがあるんですね。あ、もしかしてこの訳詞も、もともと何か型みたいなものがあってそれを反映させる必要があったってことですか?」
「たしかにそれもあります。でも、それは大先生の訳詞でも十分反映してましたよ。サッポーはね、詩の形もそうですけど、もっと大きな影響を後世に与えています」
「はあ」
「サッポーは、同性愛者だったと言われているんです。そして、サッポーの作品は、女性同士の同性愛と結びつけて語られることがほとんどです」
「同性愛?ですか。」
「サッポーの出身であるレスボス島は、レズビアンという言葉の由来にもなっていると言われていて。」
「その時代に、同性愛というのは、その、どういった扱いだったんですか?」
「まあ本当にその当時、というよりもそれより後ですけどね、たぶん想像されているとおりのことが。ローマ以降では反聖書的だとか、異端だとか。まあただ、その頃はギリシアの哲学やなんかもキリスト教的ではないものとして、異端とされていたんです。アリストテレスの哲学だって、神学の文脈で理解しなければ、ある種、没神論的でもありますからね。神がいなくてもなりたってしまったり、神の存在と都合がつかないものはそういう扱いになります」
「うーんとちょっとわからないんですけど、つまり受け入れられなかった同性愛の、その象徴的な存在として、サッポーは有名なんですか?」
「有名、といえるかどうかはわかりませんが、そういう風に考えている人は一定数います」そういって猫宮は、先ほどこちらに渡した訳詞の紙と内容の同じものらしき紙をデスクから持ってきた。「この歌詞も、おそらくはね、同性への恋愛感情を前提にして訳さないといけないんです」
「ああ、なるほど」
 確かにそれが前提であれば、訳としての直訳ができているのにまったく話が噛み合わなかったのもわからないことではない。一つ一つの言葉の選び方が、私たちが勝手に前提をした恋愛の姿を元に行われてしまっていたのである。そして、それを向こうが明確に理由としてあげなかったことに関しても、たしかにそれはサッポーの時代とは違う今であっても、伝え方が難しいことではあるだろう。
「あれ、でも、ということは「恋の作法」、いや正式名称はなんていえばいいのかな、あの曲もそうだってことですか?」
「ええ。でも、そうなってくると「恋の作法」というタイトルも、ある意味でこの歌詞内容を言い当ててるともいえますね。佐倉さんは、きっともうさっき帰るときには気づいていたとは思うんですけど、10歳くらいのときに急に教室をやめることになったらしいですね」
「はい、そういってました。」
「同じ頃、何があったか、佐倉さんの話を覚えていますか?」
「急にピアノをやめることになって、でも佐倉先生はそんなに熱心じゃなかったしっていうことでしたよね。あ、佐倉先生のお姉さんもちょうど東京にいくところだったって」
「そのお姉さんの東京行きは、佐倉さんは寝耳に水だったと、そういってましたね」たしかに考えてみれば、音楽系の学校の進学で高校生になるときに、地元を離れ遠く東京までいくというのは不思議な話ではある。「そして、同じ時期にそのピアノの先生もどこかにいなくなってしまっているんです。しかも、「恋の作法」の経緯が僕の想像していた通りだとしたら、生徒だった子どもたちに行方も知らせないままに」
「それは」
と、言って私は言葉に詰まった。佐倉先生は、このことに気づいてこれ以上は話を追及しなかったのだろうか。先生なら分かっていただろうとは思う。猫宮もあえて、それは話さなかったのだろう。
「そういえば、レーベルとしては、この曲はどうするのがいいんでしょう?まあそのピアノの先生に伝わっているかどうかはもう確かめようがないと思うんですけど。もし本当に今、猫宮さんが話したことが正しいとして、これって蜂谷輪廻のつくった曲じゃないってことですよね。これは、担当の人とか、上司とかに話したほうがいいのか」
「渋谷さんはどう思ってるんですか?」
「わたしは、これはこれで十分に蜂谷輪廻の曲として成立していると思いますし、悪意がある盗作というわけでもないのだから、ちょっと色々難しいですけど」
 といってわたしははっとした。おそらく今、この件についてわたしか、もしくは実際に作曲したと思われる人、佐倉先生はそんなことはしないだろうけど、誰かがこのことに触れたとして、蜂谷輪廻自体はダメージをうけるだろうか。いわゆる炎上をするかもしれないが、蜂谷輪廻自体はもはやそんなニュースによって評判が左右されるレベルのアーティストではない。しかし、レコード会社の担当はどうだろう。基本的には楽曲の権利などについて責任をもつのは本来楽曲を集めてくる、判断する役目をもっているA&Rといった役割の人間の役目である。そして、蜂谷輪廻にとって「恋の作法」でそれを勤めていたのは一年前に移動してきたという今の担当者だ。
「実はわたし、あの後調べたんですけど、今の蜂谷輪廻のA&Rの斎藤という男は、かつてインディーズの頃にやっていたバンドの曲を勝手に使ったほかのアーティストをデビューさせた、そのときの担当者だったらしいんです」
「もし、この曲が盗作ということになったら、その担当者の責任は免れないでしょうね」
「じゃあ蜂谷輪廻は、単に昔のピアノの先生にメッセージをという理由だけじゃなくて、自分たちを裏切ったその担当者に、何か復讐を、という気持ちだったんでしょうか?」
 自分がその立場だったらと考えると、ぞっとしなかった。
「蜂谷輪廻はおそらく「恋の作法」の歌詞の意味にまでは気がついていないように思います。もちろん、この歌詞が当時のまますべて再現されているのかどうか、それを確認する方法はありません。ただ、僕はこれを例の先生がすべてかいたのだとすれば、何箇所か整合性がつかない箇所があるように思いました。だからその部分は蜂谷輪廻自身の記憶違いか、あるいは覚えていない部分に加筆したか、そんなところだと思うんです。だとすればあえてそれを、だす目的がもうひとつあったと考えるのが普通かもしれませんね。」
「なるほど」
 わたしはそれ以外の言葉が出てこなかった。
「渋谷さん、この訳詞だって以前だったら、そのアーティストの意向は確認しないまま、きっと「当たり前」の形におさめられて世に出ていたんじゃないですかね」
「もしかしたらそうかもしれません」
 たしかに、今回はアーティスト側からNGが入ったことでわたしたちはこれを意に沿わない形で、世に出すことはなくなったといえる。それが、今だから可能になったのか、あるいはかつても実はアーティストたちが曲の裏側にこめていた考えまでは、汲み取ることなく世の中に発売していたものもたくさんあったのかもしれない。わたしが、学生時代にきいていたあの曲たちにも、本当はいまこそ世の中に問うべき内容が、わたしが気づいてなかっただけで、数多くあるのかもしれない。歌は世につれ、といったがわたしたちがその曲を「理解する」方法にしても、世の中と一緒に変化していっているのだ。
「アーティストが、自分の本当の主張を表明できる良い時代になった、ということなんでしょうか」
 猫宮の手でかけられた「恋の作法」はすでに、ずっと前に止まっていた。アナログレコードは勝手に、もう一度リピート再生されることはない。この曲の聴かれ方が、本当につくられた人の思いとあってたとしても、そうでなかったとしても、これが再生される可能性を世に問うているのが自分たちなのであることを、わたしはまた知った。

 音楽に恋をする作法として。


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作詞家です。作曲、アレンジなども結構します。音楽プロデューサでもあります。#ロゴススタジオ で作詞について書いてます。「#音楽ミステリー小説」も書きはじめました。よろしくお願いします。 ご連絡は info.apriorimusic@gmail.com にお願いします。

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