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作詞解説短期連載 第一回 フィロソフィーのダンス「シスター」

フィロソフィーのダンス「シスター」
作詞:ヤマモトショウ
作曲・編曲:宮野弦士

(ちなみに「シスター」の歌詞はこちらのYoutube動画の本文でご覧頂けます)

 フィロソフィーのダンスの現時点での最新曲「シスター」、これまでと同様に作詞は僕、作曲と編曲を宮野弦士という組み合わせで、これもフィロのスの曲ではもっともよくあることだが、宮野くんの仮歌入りのデモ(この時点では歌詞は入っていない)がまず僕のところに届いた。音色はともかく、アレンジの方向性もかなり見えていたデモだったと思う。

 さて、フィロソフィーのダンスはその曲タイトルに意識的に哲学の用語を使うことも多いが、その中でも「シスター」という単語は、これまででもっともシンプルなタイトルの一つといってもいいだろうと思う。


ここでシスターの辞書的意味をみてみたい。
https://www.weblio.jp/content/sister

①姉または妹、姉妹
②教会の修道女
③女学生の間の同性愛

とある。この楽曲の歌詞には、教会というワードも出てくるように、明確に「教会」がある場所をイメージして作詞している。しかし実際に上記のどの意をとったかということは、歌詞を読めばある程度明確になってくるだろう。

 作詞におけるいくつかのテクニックを考えながら、作詞過程を整理してみよう。僕は通常、詞先でない場合(つまり今回のように曲が先にある場合)、テーマなどを考える前に曲を何度かきいて口ずさんでみる。僕らがつくっているのは「歌」を伴う音楽であるため、まず自分がうたってみるというのは非常に重要な行為で、そもそも歌っていて楽しくなかったり、自分の心に響かないものなどつくりたくはないだろう。(実際にこの段階でそのように感じる場合は、作曲者に対してその部分の修正などについて相談することもある。が、もちろんこの曲ではその必要はなかった)
 

 何度か口ずさんでいると、「なるほど、この曲の歌のポイントはここだな」というところが見えてくる。これがどこにくるかというのは、まったく僕の主観的なものではあるが、まずこれを作曲者の意向も含めて正しく感じとるのが作詞家の能力ともいえるだろう。(たとえばサビがそれに当たることが多いが、まあそれは当たり前でもっともキャッチーなところをサビというのである。そこが実際に制作者としても、もっともポイントであると思われる場合はそこをあげればよい)

 この曲ではAメロのラスト「シドーシシー(レドーシシー)」が歌っていて実に気持ちよかった。このようにいうと安直と思われるかもしれないが、僕はこの時点でこの部分の歌詞を「気持ちいい」と当てている。しかしこの気持ち良さはある種自己満足の気持ち良さだな、と思った。そうか、この曲は誰にもいえない気持ち良さ、感情の歌なのだ、とわかったわけである。

 サビではメロディがリフレインする。この部分を次に決めよう、と考えた。自己満足の気持ちよさが、どこに向かうのか、そもそもそれはどこから来たのか。おそらく歌い手は、自分の愛について再考することになる。そこで”which is this love?”となる。

 楽曲には主旋律のパート以外にも、コーラスなど作詞家の裁量でそこに当てはめるワードを決められる部分がある。この楽曲では歌詞の上で「()」がついているところがそれに当たるだろう。特に、Bメロに二回

「白いため息に透けた、同じくらいふたりの背」
「黒いフィルムうつるような、ちょっと低いあの子の背」

がその形で出てくる。ここはこの曲中では唯一、主人公の心中が実体化(ため息、フィルム)している部分である。それは隠喩ともいえるし、実際にそこにあるのだともいえるが、コーラスパートということによってその多義性が担保されていると考えることもできるだろう。
 色が反転しているのは、もちろん対として基本的なテクニックだが、この曲の2コーラスめ(2番)では明確にストーリーが展開していることからも、その必然性がこの部分で明確になるだろう。特にこの2Bでは「昨日のかわいい子」が明確に登場してしまっている。


大サビ、あるいはDメロといわれるパートではじめて「デカダンス」という語が登場した。フィロソフィーのダンスなので、いままでつかっていてもよさそうではあったがこれは「ダンス」とは関係ないフランス語「退廃的」ということである。(厳密にいえば関係なくもないのだが)。振り付けではここで「でかいダンス」を踊っているらしく、それはそれで面白い。日本語詞にこだわってかいた面白さというのが出るのも良いことだと思う。

 さて、冒頭の話に戻ろう。たしかにこの曲は女性同士の同性愛について歌っている。しかしあえていうなら、それはある種の結果論なのだ。僕がかいてみたかったのは途中言及したように、まだ自己満足ともなんとも自分で定義づけられないような愛の形で、それを女学校(さすがにこのワードは古い気がするが)という中で描いてみたかった。もちろん僕は実際にはみたことがない世界なのだが、例えば萩尾望都がかの大名作『トーマの心臓』をかいたようなチャレンジをしてみたい、ということかもしれないといえばわかるだろうか。女学校の中なのだから、少なくともその意味では女性同士の恋愛ということになる。しかしよくこの歌詞をみてみると、実際に主人公が例えば悩んでいることは「女性同士の恋愛をしている」ということではない。本当にせつないことがあるとすればそれは、どんな恋愛であっても変わらず、人の気持ちが揺れ動いていくということだ。

 女性同士、ということであれば実はフィロソフィーのダンスの歌詞で、このようなテーマを扱うことははじめてではない。(別に世の中にありふれたテーマだとは思うが、あまり一般に良い歌詞がないのも事実だ)しかしながら今回のシスターに関しては、かなりその件についてファンの方やまわりの方からも言及されることになった。これはこれで、新しい発見だったのとともにフィロソフィーのダンスの認知度が単純にあがっているということでもあるのだろう。


作詞解説短期連載第二回は

ふぇのたす「かわいいだけじゃダメみたい」

の予定です。

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